サントリー美術館 生誕250周年谷文晁 第一展示期間 その3

#その他芸術、アート

安倍の経済政策については、国際会議で疑問を呈する声があったのに、政府の発表のまま支持されたと横並びで報道するなど、政府と一体化したテレビは国際的に支持されているかのような歪んだ報道を繰り返しましたが「「アベノミクスが新たなリスク」 IMFが初めて指摘」(http://www.asahi.com/business/update/0710/TKY201307090487.html?ref=com_top_pickup)については報道しません。最低、公平な報道を心がけているという看板は下ろすべきなのではないでしょうか。

嘘とその場しのぎを繰り返す政権ですが、そこにはメディアさえ握っていればごまかせる、という驕りがかなり含まれていると思います。

テレビへ対する信頼が日本はいまだに他国に比べて高いらしく、これだけのうそ情報を流されているのにどうなっているんだ、という声を聞きますが、これはニュースの流され方にアナウンサーというクッションが挟まることが多分に影響しているように思います。

眼前にいるアナウンサーは人にもよるでしょうけど、真摯に修練を積んで謹直にニュースを読み上げていて、その信頼に基づいて我々はニュースを聞いてしまうわけですが、そのニュースを作っている人達は必ずしも真摯ではない。というが物凄くひどいと思います。

そういったニュースを読み上げる人への信頼のフィルターを通して聞いてしまう、というのがテレビの誤情報に対する悪しき信頼になっていると思うのです。

この部分について非常に自覚的にニュースを観ていって、ニュースそのものと切り離して認識するようでないと、いけないのだと思います。

また、キャスターやコメンテーターには物凄くひどいのが多いですし、また、アナウンサーでも時にニュースの内容に意見を挟んで、ご自身が流している情報について自覚的になって責任を共有する態度が必要なのだと思います。

「【PC遠隔操作事件】報じられてきた「決定的証拠」はなかった」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130711-00026343/)と、この事件は容易ではないようですね。

文中「佐藤弁護士は、事件と片山氏を結びつける決定的物証があるかのような報道がされたことについて、「報道機関は、よく手を胸に当てて考えてもらいたい」と訴えた。」とありますけど、村木さんの裁判があって、陸山会の裁判があっても、大手メディアの体質がまったく変わっていないことの証左でしょう。

もう、根底から変わらない限りどうにもならないのは誰の眼にも明らかではないでしょうか。

7月13日の吉田照美さんと伊東四朗さんのラジオでは吉田照美さんが原発について話すと、伊東さんが黙りこくる展開に。興味がないとか、伊東さんがやたらめったら悪い人というわけではなくて、やっぱり原発について発言することの危なさを知っているんだと思うんですよね。いろいろ出ていますしね。まぁ、絵を売って暮らせばよい吉田さんがガンガン話せばよいのではないでしょうか。

TBSの報道特集ではエジプトのデモをやっており、民衆が言うには「国営放送は私たちのデモを全く伝えません。」とのこと。

カラオケをするバラエティー番組の「うたうま」はほぼレギュラーのリン・ユーチュンがでていましたけど、彼は歌がうまいですね。
情感も素晴らしいですし、人柄の素直なところが出ている声なのではないですかね。よく出てくるしやっぱり評判も良いのでしょう。よいものは何度でも出すべきです。

最後はハナミズキでしたけど、これもよく作ったな、というくらい良い曲ですよね。前に一青窈のアルバムを聴いたんですけど、この曲はいいな、と思って作曲者の名前をみると、世間的に知られていない曲でも必ずマシコタツロウでした。マシコタツロウは天才だと思います。

また、やはり一青窈も良い。自作自演とかも聴きましたけど、一青窈のほうが上でしょう。そーらをー、でか細く意識が遠くに飛んでいく感じが独特です。
「うたうま」でもmayjさんは点数は高く出ましたけど、音楽的な内容は一青窈のほうが上だと思います。

「笑ってこらえて」のジブリスペシャルをみましたけど、やはり庵野監督を起用したことは目立つでしょう。
内向的な感じはあるので、それが欲しかったのかなとも思います。声優さんはどれだけ内向的な役柄が得意な人がいたとしても聞き取りやすい内向性になるでしょうからね。
良寛さんがいう「料理人の料理」の一種なのかもしれません。
あと、あまり新しい作品を作れないようですけど、基本的に、自分の中に無いことはしない、できないタイプなんですよね。そういう意味での誠実さも、声に表れているといえばいるのかもしれません。

「ニュースキャスター」ではお笑いの人が、皿を割る陶芸人間のネタをやていましたけど、陶芸にいろいろ詳しくなった現在、このネタをみると違和感が。
かつては陶芸とは商品であり、完品を割るということはまずありえませんでした。そういうのにしても、より芸術的な意図で作られたものも、古陶によくあるんですけど、割れたり歪んだものを何とか修繕して味にしているんですよね。

ではこの陶芸人間の皿を割るネタはどこから来たかというと、おそらく加藤唐九郎らへんの作陶が参考にされているんじゃないかと思うんですよね。つい最近まで生きていた有名な陶芸家ですが、たくさん焼いて、気に入ったもの以外は片っ端から割ってしまっていたのだそうです。

私はこれは日本人の精神ではないと思う。明治になってかつての江戸期以前の、日本人のものを大切にする精神が失われたときに、出てきた陶芸家の変わった行動がクローズアップされて記憶されているのではないかと思います。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53444242.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53448438.html

ネタとしては面白いところもあるのかもしれませんが、陶芸とは本来こういうものではない、ということを、世界で陶芸大国と尊敬されている日本の国民は基本的な知識として一方で知っておくべきではないかと思うのです。

ニュース中では各番組と同じく、吉田所長の功績として海水注入中断の命令を無視したことが筆頭に挙げられていますが、この時に海水注入を指示した主体については触れられません。東電がとすら言いませんが、さらにいえば「東電」という組織の中に埋もれさせて個人の責任を逃れるということもあってはなりません。

このことについては菅直人がtwitterで安部に反論し、ついに提訴しましたが、訂正の報道をまるでしていない(玉川さんが取り上げたのは見た)テレビなど大手メディアに対してももっというべきでしょう。

それにしても菅直人といえば、就任当時、経済に暗いとずいぶん叩かれていましたが、安部の経済的な素養は菅直人より上なのですかね?何を基準にどう報道するのか、めちゃくちゃだと思います。(といいますか、経済面からみれば整然としていますが)

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