pm2.5の話題がたくさん出ましたが、3月27日の葉千栄さんの「実は政治システムの問題」という文章によると、石油を国有企業が抑えているので利権があって、規制をかけて新しい基準に対応するための設備投資を迫れないのだとの事。
アメリカの銃規制や日本の原発と同じ構図ですね。
日本の水俣などと同じ「私害」でやはり、公害と呼ぶのは違うと思いますし、中国においても全体の経済発展と結びつける論調は正しくないといえるでしょう。
3月27日の朝日新聞の「プロメテウスの罠」の冒頭は「原発の「げ」の字もなかった。」から始まるもので、原発事故であると明示しないで避難を迫ったため、すぐに帰れるだろうと思ったりして避難で非常に苦労や辛苦を強いられた、という内容。
原発事故はタヴーなのだな、と。そしてspeediやメルトダウン情報が遅れたのもそういったタヴー意識の表われで「風評被害」ということばの中にもそれは大量に入っているでしょう。
いまなおそのタブー意識は続いていて、だから新聞も、参院選の争点はアベノミクスと憲法、などと書くのでしょう。そんなにタヴーなら、もうすっぱり足を洗ってしまったら良いのにねぇ?
「【エンタがビタミン♪】「“挨拶されない”とはこういうことか!」今度は久米宏が“世界的VIP”に無視され反省?」(http://japan.techinsight.jp/2013/05/naomaru201305190910.html)と後で記事にもなりましたが、5月18日の久米さんのラジオによると、久米さんの事を知っているはずなのに、会った時にカルロス・ゴーンに無視されたということで、爆笑。報道が好意的ではなかったからでしょう。カルロスに嫌われるというのは良いことだと思います。
カルロスが事故を起こした時に日産ではなくポルシェに乗っていた、という事件を紹介していましたけど、そういえばそのようなこともありました。カルロスは有能な人間かもしれませんけど、やっぱり心はないですよね。
海外の企業家にとって企業は資産であってお金です。切ったり張ったりするものであって、従業員と一丸になって内部で価値を作り上げていくという日本の企業が本来持っている価値観に、そのようなものを入り込ませてはいけません。カルロスも上手く回っている時は良く見えますけど、究極的にはそういう所に気を付けて観て行くべき人であると言えるでしょう.
ただ、久米さんは政治ねたはラジオでやらなくなりましたね。衆院選以来、誰も付いてこないので面倒くさくてやめてしまったのでしょう。良くも悪くもあっさりした都会人の久米さんらしい気はします。それに比べると吉田照美さんの意地強き執着力は立派なものです。
5月18日の吉田照美さんの親父熱愛のニュースではもんじゅの停止命令についてやっていて、その解説員の鈴木敏夫デスクは当初から田中俊一は原子力ムラではないと主張していたらしく、このニュースをもって、田中俊一が原子力ムラだと非難した人は総括するべきでは、といっていましたけど、この人の活動はとんでもないといえるレヴェルです。
食品の基準値の規制に反対したり、100msv以下なら健康被害が無いといってみたり、学校の除染目標を5msvにしようとしたり、過去の電波発言は枚挙が知れず、東電の賠償支払いを少なくするために国民の健康を犧牲にする活動に邁進しており、それを原子力ムラでないとするのは、情報が足りないが、報道人として基準がぶっ飛んでいます。
こういった発言を踏まえて、しっかり原子力行政を監視していかなければ、今の最低限のラインですら守るのは難しいでしょう。
5月16日に「とべさる」でアーサーさんがいうには、廃炉命令が出ていないこと自体が異常とのこと。
毎日5000万円注ぎ込んでいる、やっているのは日本の教育を司っている文部科学省。発電時間は一時間という説もある。多く見積もって3ヶ月。
責任者いるはずなんだから。という吉田さんの合いの手が入りましたが、まったくその通りだと思います。
もんじゅは電気を大量を消費していて、その総量は誰も計算できない。もんじゅを廃炉にしないから夏の電力が足りない。(という)
破綻を認めると予算に反映させなければいけない。また、想像を絶する量の廃棄物がどうなるか。
日本の核武装の隠れ蓑がなくなる、すっぽんぽんになる。もんじゅは核武装であって、外から見ている人はみんなそう判断しているとの事。
ニュースキャスターでは齋藤孝さんに代わって李智雄さんという方が出ていらっしゃいましたけど、みるからに若いです。
李さんはともかくとして、最近30代前半の若手論客をテレビで目にする機会が増えましたが、しっかりしている人は極めて限られるなという印象。有名な人でもあんまり良く無さそうな人も結構多いです。
やはり原発事故があって、事故以降の世代に対する期待感が増していると思うんですよね。こういうことは以前にもありました。
戦争の時も、敗戦を招いた戦前の世代がおとなしくなってしまって、団塊の世代を中心に滅茶苦茶やった結果、現状、国家としてかなりキツイ状況に追い込まれている、ということがあったと思います。
ただ、上の世代が説得力を失っているところに便乗するのではなく、着実に内外共に実を積んで、なんとか今後の時代を、少しでも実りある充実した時代としたいもの。
tbsの報道特集は盲聾の方についてやっていて、国から支援を受け取っている人は全体の5パーセントであるとのこと。
今回出演された方にも家族が隠していたのではないかと思わせる人がいましたけど、制度が周知されておらず知らなかったり、周囲の目を気にして受給しなかったりするんですよね。生活保護にも同じような問題があり、むしろ受給出来ない人がいる事を問題とするべきです。
また盲や聾の国の基準はあるが盲聾の基準はないということで、こういった基準作りは急ぐべきです。
動けない老人に対しては石原慎太郎のように差別的な態度を取る人もいますが、これは社会の本音をある程度代弁しているのだろうと思います。障碍者に対する考えもここから類推できるでしょう。
動けない老人というのは誰でもなる可能性があり、障碍もまた同じです。障碍というのは社会の中であるパーセンテージの人が持つものであり、そういう中で自分はならなかったことは運が良かった(という表現も問題ですが、仮にこのように書きます。)、自分たちの分を引き受けてもらったのだ、という観点が重要だと思います。
コメント