3月14日の報ステでは古舘さんが原発の同心円を放射能汚染という視点からは意味が無い、とひっぺがしていましたけど、これはこの番組の早い段階からの主張でもありました。未だに同心円を書き込んでいる政府は意固地ですよね。
やはり戦時中に、現実にあわせることができずに戦艦大和を建造したセンス。それが引き継がれて執拗な同心円の強調に一つとして現れているといえるでしょう。
1月12日の朝日新聞夕刊では「いいとも」の特集記事があって、友達で数珠繋ぎで紹介していくパターンをやめた理由を「友達の定義が大きく変わったから」と小奇麗な製作者側のコメントを元に紹介していましたが、いいともではこのパターンを取りやめる直前に、紹介者とされる側が実は友達ではないのに表面を取り繕って友達として紹介していた、ということが露見する事件がありました。このことが影響しているのは確実でしょう。
友達ではなくても事務所が同じであるとかというので友達として紹介していたということが結構あったもよう。
結構有名な事件なので知っていたり調べたりしても良いと思うのですが、記事はいかにも奇麗事で、取材対象がいうがままの大本営発表。
ジャーナリズムに必須の取材対象として疑っていく姿勢が感じられません。
些細なことと思われるかもしれませんが、テレビと新聞の間の緊張感のなさが記持に良く表れていると思うのです。本来なら批判しあわなければいけない間柄なのに、震災以降をふくめて、そういったことはなく、検証しあうということもありません。これは極めて不健全な状態です。
3月20日のニュースではオリンピック種目の話で、近代五種を守るためにサマランチジュニアが力を発揮したということをやっていましたけど、子供がそこまで力があるんですね。
こういう風に世襲で要職を受け継いでも特に非難が挙がらない欧州の感覚はおかしいと思います。
3月20日には中学の剣道部の体罰が問題になりましたが、体罰というのは一応罰という言葉がついていますが、これはやたら滅多ら暴力をふるっていて、すでに体罰ですらないといえるでしょう。
日本の本来の剣術と剣道は(あまり)関係が無いということも、もう一度言っておきたいと思います。
報告を受けても公にせず改善をしなかった、大分の教育委員会も責任を取るべきです。
責任を取らないとまた同じような対応が起こるのです。責任を取らせない社会自体も実は表向きでは体罰禁止を訴えながらもこういった対応を望んでいることが現れているのかも知れません。そうであってはならないのです。軍国主義の精神は早々に放棄するべきなのです。
そういう意味ではこの問題は保育所の問題と通底する部分が大きいといえます。
朝日新聞は以前にいかにも発送電分離が行われるかの様な記事を一面で大きく載せましたが(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53327790.html)一部の人が指摘していたように、やはり先送りになりました。
TPPの報道などとあわせて読むと、内閣の一時の支持率に貢献しようと、読者の錯誤を誘う記事を大きく持ってきたのではないかとおもうのです。
サンデーモーニングは「風を読む」で原発問題が風化しているのではないか、という事をやっていましたけど、重要なニュースがあっても伝えないテレビが自ら望んで招いた状態です。
ツイッターなどでも良く話題になりますが、NHKなど特に一部のメディアは、裏腹にむしろ風化を喜んでいるかのように感じるのです。
今回は原発を安全性の面から取り上げていて「緑の風」の谷岡郁子さんは「安全神話第二幕」といっていましたけど、それもそうとして、今回の本質は「貧乏神話」だと思います。メディアの原発を稼動しないと貧乏になるという、広告主・政府に配慮した拝金主義による刷り込みの連打が、今回の再稼動の支持率の数字が本当なら、それに大きく影響を与えていると思います。
そしてこれはやはり小出裕章さん等の倹約生活も大きく影響を与えていると思います。
小出さんのお話で経済的にも原発は要らないということが分かりますが、だからこそ、明るい未来像を描いて、それを体現した生活をせねばならなかったと思います。
反原発運動をしていた人達も小出さんの生活をみて、自分たちは間違った事をしているのではないか、という念に駆られた人も多かったと思います。
非常に言いにくいですけど、推進派とコインの表裏の形で原発を推進してしまったという面があるのではないかと思うのです。
ほかにも、山川健夫さんが今週ツイッターで話された、ベトナム戦争に触れてテレビを追放された話ですとか、戦後の「ノモス」でぎちぎちになったテレビ界を象徴しています。その後に、原発の電気を使いたくないということで田舎で生活されることにした、ということですけど、脱原発は正論なので、もっと堂々と普通に生活してよかったと思うんですよね。それは当然一つの立派な生き方ではあるのですが。
物理的な意味での、自然に帰れ派、と結びついてしまったのが、原発事故以前の脱原発派の大きな失策だったのではないかと思います。
そういう歴史的な経緯の上に乗っているのがメディアの偏向報道に説得力を持たせてしまっている一因でもあるのではないかとおもうのです。もちろんメディアの報道が一番の酷い原因であって、ここは強調したいですが。
今回はともかくとして、そもそも世論調査の数字をそのまま鵜呑みにできないことは内部の声からも判明していて(鳥越:毎日新聞の記者時代の経験ですが、例えば、選挙に関する世論調査の結果を発表する前に選挙の担当者が数字を“調整”するのをしばしば見てきた。担当者が取材で掴んだ選挙区情勢と違うという理由です。そういった裏事情を知っているので、私自身は世論調査の数字を疑っています。(「鳥越俊太郎氏 若者ら除外する世論調査結果の信憑性に疑問」(http://www.news-postseven.com/archives/20120720_130805.html)))という証言があります。
しかし、これは紛れも無い犯罪です。これは鳥越さんの肚を括った内部告発だと思います。
そういう事をちゃんと提示しないで世論調査をそもまま不動の事実であるかのように報道するテレビの報道には疑問を覚えます。
またこのようなことは、本来なら新聞・テレビ自身でしっかりと調査を行って追及されねばならないことなのです。
谷岡さんのインタヴューに戻って、今度事故が起こったら、もう知らなかったというのはいい訳になりません、といっていましたけど、原発に経済性がないということをメディアは伝えていません。そしてそれは「第一幕」でも重要な意味を持っていました。同じ事を繰り返しているのはまず第一にメディアなのです。
スタジオでは浅井信雄さんや萱野稔人さんの発言はまとも。
大崎麻子さんという人が、日本で中流が増えたのはエネルギーの安定供給があったから、と原発の功績を匂わせていますが、小出裕章さんなどが仰るには原発で電気料金は非常に高くなっており非常に産業にマイナスであって、他の電源で賄うべきだったとのこと。
自明のことのように語られる部分に、疑問な認識が交じっていると思います。
最期に岸井成格毎日新聞主筆が、原発が忘れられていくのはメディアにも責任がある、といっていていかにも真摯に振り返っているようですが、軽い。こういうのは何故原発を扱わなくなるのか、という仕組みに踏み込まないと何の意味もないんですよね。それ以外は全てガス抜きにほかなりません。
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