江戸東京博物館 開館20周年記念特別展 「尾張徳川家の至宝」 その4

#その他芸術、アート

行って参りました。

徳川美術館の東京出張のような展覧会で、最初の主催者の挨拶には「大名文化とは何かという問いに答えられる唯一の美術館」とあって、自信の程をうかがわせます。

明治になって他の大名家の至宝が売り立てに出されるのを心を痛めながらみつつもちゃんと守り通してきたとのこと。当時の大名家のですとか美術館などで一手に引き取ればよかったと思うんですけど、当時はまだそういった文化財保護の観点が無い、もしくは文化財とは思われないような風潮もあったのでしょう。

最初は武具のコレクションで「質、量、ともに日本一」と書かれていて、東博や専門の美術館を上回るのでしょう。
持った感じが良さそうだなと思ったのは国宝の「太刀 銘 来孫太郎作(花押)正応五年壬辰八月十三日 徳川家康・徳川義直(尾張家初代)所持 鎌倉時代 正応5年(1292)」で、充実していてバランスが良く反りがちょうど良い感じ。
この刀を始め、刃こぼれしているものも多く、戦国を潜り抜けて来た刀が揃っているのが当館の特徴であるとのこと。

他にも「刀 金象嵌銘 正宗磨上 本阿弥(花押) 名物 池田正宗 徳川家光(三代将軍)下賜・徳川義直(尾張家初代)拝領 鎌倉時代 14世紀」は王羲之の書を思わせる堂々とした趣があり「太刀 銘 国宗 徳川光友(尾張家二代)・宗勝(尾張家八代)所持 鎌倉時代 13世紀」もどっしりした造りで、実に良さそうです。

「刀 銘 村正 徳川家康所持 室町時代 16世紀」は有名な妖刀村正ですが、一連の話は後世の創作であるとのこと。村正としては例外的なのだそうですが、波紋が怪しすぎる特徴的な刀で、この刀を見たのなら妖刀といってみたい気持ちが良くわかります。

「短刀 無銘 保昌 徳川家康所持(駿府御分物) 鎌倉時代 13世紀」は家康が帯びていた短刀らしく、実に強力。勁さと鋭利さを五乗したような印象があります。

「脇指 銘 乕徹興里作 寛文五年三月吉日 徳川綱誠(尾張家三代)所持 江戸時代 寛文5年(1665)」はいわゆる近藤勇が佩刀していたと称していた虎徹で、ざっくりとした造り。らしい刀を持っていた(ことになっていた)なと思います。
新刀は虎徹だけで、やはりこの世界では室町以前の刀の価値が圧倒的です。外側からみてにわかには分かりづらいですが、研いでみたり斬ってみると歴然と違いがあるのでしょう。西岡常一棟梁もおっしゃっていましたけど、基本的に鉄の製法が変わって行ってしまっているみたいですね。

世の中にはネット右翼にマルクス主義者と批判されるような人がいて、その中の大半の人は厳密にマルクス主義ではなく、リベラルな人で事実無根のようだったりすることも多いのですが、仔細にみて行くと、歴史観がマルクス主義的といいますか、歴史は一直線に進歩するものだと思っている人が結構多いんですよね。

各処が退歩する所もあり、進歩する所もあり、というのが実情で、その中で価値を見極めて次代に引き継いでいかなければなりません。
そういうことが例えばこういった刀の出来栄えなんかをみて行くと実感として分かる、ということですね。

ちょっと見るとみんな同じに見えますけど、よくよくみると個性豊かな刀が揃っていたと思います。

「銀孫手 徳川義直(尾張家初代)所用 江戸時代 17世紀」は他に作例が無いという、鎧を着た時のための孫の手。

予想していた通り充実していたのは茶道具で「伊賀耳付花生 岡谷家寄贈 桃山時代 16~17世紀」は伊賀の精髄を示す荒々しい迫力がある作品。

「古備前水指 銘 青海 大名物 武野紹?所用 室町時代 15世紀」は焼き締められている、との解説どおり、まさに結晶化の極みで玄々としています。備前の地力が品良く金属的なまでに出ています。

「古天明釜 銘 梶 名物 古田織部・徳川家康所用 室町時代 15世紀」は品が良く堂々とした味があります。

「古瀬戸肩衝茶入 銘 横田 大名物 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康所用 室町時代 15世紀」は細長い茶入で長ナスのように特徴的。

「黄天目 中国・南宋時代 12~13世紀」は数が少ないという黄天目で、古雅な味があり「白天目 大名物 徳川将軍家伝来 朝鮮王朝時代 15~16世紀」は雑器調のなかに品があります。

「竹の子文志野筒茶碗 歌銘 玉川 岡谷家寄贈 桃山時代 16~17」は荒川豊三が志野の産地をと発見したエピソードに出てくる陶片と同じもの、という由緒正しいもの。
これ自体もやはり志野の緋色が品が良く、本当にすべて品が良いなぁ、と思います。

「織部筒茶碗 銘 冬枯 岡谷家寄贈 桃山時代 17世紀」はやはり実に特異で「唐物茶壺 銘 橋姫 大名物 徳川綱吉(五代将軍)下賜・徳川綱誠(尾張家三代)拝領 中国・元~明時代 14~15世紀」は張り出すような充実感が物凄い壷。「牡丹尾長鳥文堆朱盆 彫銘「 大明永楽年製」 中国・明時代 15世紀」も実に華麗な堆朱です。

「小倉色紙手習「こひすてふ」 徳川家康筆」は家康の手習い帳で定家の書から学んでいたとのこと。

「飯牛鋤田図 伝 石鋭筆 中国・元~明時代 14~15世紀」は斉の宰相甯戚と西漢の倪寛の話で、詳しい顛末は名前で検索して欲しいのですが、声調といった人の本質に関わる部分と、学問の大切さを描いたバランスの良い作品で、茶室に飾られるものとして実にふさわしいと思います。

能は「武家にとって修めるべき必須の教養」だったらしく、能面なども充実しきっていて、その表情の古典的な完成度の高さ、保存状態はとても見事とです。

香合では「黒織部弾香合 岡谷家寄贈 江戸時代 17世紀」というのがあって、織部独特のハリボテのような黒がユーモラスです。「金彩鯱香合 樂旦入(樂家十世)作 徳川斉荘(尾張家十二代)所用 江戸時代 19世紀」は尾張らしくしゃちほこが乗った香合。「香木 伽羅 銘 蘭奢待 源頼政・太田道灌・東福門院和子所用」はかの蘭奢待で、おおっ、と思ってみていたら、横から興奮したおばさま方の一団がやってきて弾き飛ばされました。

ここら辺の香木は江戸時代の東南アジア貿易を偲ばせます。

「堆朱牡丹文碁笥 中国・明時代 15世紀」は失透性のガラスを碁石に使用しているらしく、他に例を見ないとのこと。

「新古今和歌集抜書 本阿弥光悦筆 江戸時代 17世紀」はいつもの宗達との合作調のもので、この人の書と料紙の調和は素晴らしいと思います。神さびていて、実に味わい深い。

「朗詠屏風 近衛信尹筆 江戸時代 17世紀」は禅僧の墨蹟が持つ逸脱した気分が感じられる、との解説で、やはり恁麼の気質を示しているといいますか、日本伝統である形式を破壊していく気分が感じられます。

「書画巻 松平勝長・松平勝當筆 江戸時代 18~19世紀」はいわゆる殿様芸の展示で、当時の大名家の子女は狩野派の絵を習うのが必須教養だったとのこと。北斎や暁斎も学んでいますけど、やはり狩野派は絵の基本でもありますので、当時のお抱えがとりあえず狩野派だったのも、うなずけるのかもしれません。

会期末で引き上げられているものが多く、源氏物語絵巻や一休の書など、メインとなるものの中でいくつかみられないものがあったのが残念でしたが、全体として絢爛豪華で、日本文化が爛熟しきった江戸時代のひとつの最高峰のコレクションが揃っていたと思います。ありがとうございました。

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