12月14日のテレ朝の午後6時15分ごろのニュースで、茨城県で観光客がこなければ、あんこうも売れないという特集。50ベクレルで安全基準内だといいますが、2008年の日本人の一日摂取量の0.021ベクレルの2000倍以上であって、食べたくないという選択をする人がいるのは当然だと思います。すべて計っているのかもわからず、ベクレル表示も無く、汚染される可能性が高いといわれる深海魚の茨城産を買わないのはむしろ賢く、小さい子供などには食べさせてはいけないとすらいえると思います。
また、四号炉の状態は危機的で三号炉からも放射線が出続けている状態で、なるべく茨城方面には行きたくないという人が多いのも当たり前であって、どちらも東電が補償をしなければなりません。
そういう視点が無く、農水省から電通経由で流れるお金に目が眩んで、被災地や日本人全体を犠牲にしているのではないでしょうか。
12月15日の朝8時15分ごろのTBSでは、管理職以外の公務員のボーナスが5パーセント下がったが、これは復興資金捻出のためである、というニュース映像を放送。公務員は優遇されすぎているので下げていくのは当然ですし、そもそももっと削るべき違う所があるはずです。解体しないで給料を下げたポーズをする東電や、公益法人・財団法人などに切り込まないで国土強靭化で増税をする政府と同じものを感じます。そのような視点で報道しないことはとても疑問です。
12月15日のニュースキャスターでは投票の最高裁の判事の話をしていましたけど、北野たけしがだれにつければ良いか分からない、というと安住さんが調べてください、といっていましたけど、どのように調べれば良いのか途方にくれる人も多いのではないでしょうか。テレビでやるべきで、そのことについてきちっと国民が判断できるだけの情報を流さないのは、公共的な視点から、してはいけないといって良いくらいだと思います。北朝鮮の報道をするならこういったことや、神保さんが最近よく強調されるような、司法改革の話であるとか、原発など主な争点の話をしっかりと流した上で時間が余ればそういったことを報道するのが当然で、とてもおかしいと思います。
原発推進の右派の後押しになる北朝鮮報道に食いつきすぎなのではないでしょうか。
テレビが異常なほどに好きな北朝鮮の報道では「事実上のミサイル」というまったく同じ表現で伝えていますが、局によって見方が違って良いもので、横並びでまったく同じ表現というのは気持ちが悪いと思います。
中国の領空侵犯は、タカ派の政党が有利になるので、水面下で自民党と手を握り合っているのではないか、という観測もありますが、右派の政権になると日本が崩壊するのでそれを狙っている、と考えるのが妥当だと思います。
この前石原の外交について話しましたけど、小泉の靖国参拝も、中国が戦争などを仕掛けてこないという「安全神話」を基にしているんですよね。仕掛けてきたら日本が煽ったということで、挑発していて不利になりますからね。
靖国については(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/52022018.html)にも少し書いています。
小泉は2002年の福島の原発事故を隠し発送電分離改革を葬ったり、二人とも原発事故・推進とも縁が深い人物で、それがそろいもそろって同じような過ちを外交で犯していることに、日本政界の根深い病を感じます。
サンデーモーニングでは辺真一さんが、日本は領土問題があることを認めて、竹島も尖閣も国際司法裁判所に提訴するべきだ、といっていましたけど、韓国が応じるわけも無く、実現性の無い事を言っていると思います。
東シナ海では長らく軍事的な衝突は無かったわけで、現状維持こそが正しく、国際社会もそのようにみていると思います。なので今回の中国の領空侵犯などは本来大きな非難に晒され、日本からも、どうなっているんだ、と外交的な揺さぶりをかける材料になるはずなのですが、その前に日本が現状維持を破って挑発・差別発言を行っているのでそのような外交的な成果が挙がらないことが残念です。
「風を読む」では、お金には目もくれない職人魂、ということをやっていましたけど、別に職人の人達もお金がいらないわけではなくて、社会が大事にしないのでお金が入らないだけで、仕方が無いので伝統の重みを背負ってやっているという面も大きいでしょう。昔からの流れで以前の世代がやっているだけでこのままではとても次代には繋がらないと思います。つまり私たちがみているのは、文化を大事にした江戸時代を起点とした残滓なのです。
一方でこの前大竹まことさんの指摘の話をしましたけど、本当のお金持ちの人は働いていないという状況があって、職人の道よりお金を転がしていた方が儲け易かったりですとか、総括原価方式や色々な利権にたかっていた方がお金持ちになってしまうという現状があります。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/52904662.html)
テレビでも普通の発言をするだけで排除されかねない、という状況があり、大きく括るとしっかりやっている人間がわりを食う構造になっているのが一番の問題です。
忍耐を褒め称えるのはメディアの仕事ではなく、こういったことをちゃんと報道して、それで良いのか、とやるのが本来のメディアの役割なのです。逆に忍耐だけの世界だと思ったら若者は参入してこず、現に大切にされていたからこういったものに人材が集まっていた、という過去があるわけです。辺さんも言っていた様に、朝鮮などと較べても、職人を大切にするのが日本の本来の伝統なのです。
お金をいじっていた方が儲かるような流れになっている、と大家映子さんはいっていましたけど、そういった傾向は行き着いており、それがわからないのはメディアがこういったところを報道しないからです。今は逆にそういった職人芸や道といった価値観を戻していく段階に入っているといえるでしょう。
愚直にそれだけをやる、というのが番組中の扱いでしたけど、昔の人が安心して一つの道を窮めたのは、一道は万芸に通じる、という考えがあったからです。つまり一つの事をやっていると人間的にレヴェルが上がっていって、総合的に人間的な力が上がっていく、という価値観があったからで、そういった考えの復興が職人芸の復活には欠かせません。そういった視点がなかったのが、とても物足りない、といいますか、職人の世界を衰えさせてきた考えの根本なのです。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51816757.html)
(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/32543267.html)
(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51876327.html)
海外に出ろ、と多くのコメンテーターが仰っていましたが、今は帰って来ると仕事が無いなど、海外に非常に出づらい状況が指摘されていて、ジャーナリズムとしてはそういったところの改善を提言するべきでしょう。
いくらでも職人芸の復興のために手を突っ込むべき病巣はあるのに、最後の岸井のコメントは極めて当たり障りのないもので、シャーナリストとして失格だと思います。
また司馬遼太郎さんの話になるんですけど、「ひとびとの跫音」という作品があります。この作品に出てくる正岡忠三郎という人は、日々勤めを果たす謹直な人として描かれていますけど、親友の朝比奈隆さんによると、どうもそういう人ではなかったらしいんですよね。では、この作品に出てくる「正岡忠三郎」という人は何なのか、というと、僕は司馬遼太郎さんが理想の市井の人を、正岡忠三郎という名前に仮託して描いたものなのではないかと思います。
この「正岡忠三郎」という人の特徴は、勤めは立派に果すんですけど、成長しないんですよね。よくよく考えると、司馬遼太郎さんはあれだけ仕事をする層に読まれた作家なのに、仕事を通して成長するべきだ、ということをいっているのを読んだ事がありません。
やはり日本最大の文化遺産は、仕事を通して成長していく、という思想だったのではないかと思います。
菅直人が似たような事を言っていたので長らく言い辛かったのですが、こういったことを本音・社会システムのレヴェルで取り戻すことが、見事な職人芸や正直な仕事に溢れた国にする、一番大切なことなのではないかと思います。
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