千葉市美術館 浮世絵師渓斎英泉 その3

#その他芸術、アート

行って参りました。正直琳派の肉筆展のように、行きたいなー、という感じにはならなかったんですけど、ここの美術館の初期の中核コレクションが英泉らしく、行って参りました。

英泉の絵は色々な中で沢山観ていますが、纏めて見るとより画風が観えてきます。
鈴木春信の美人画は結構すっきりと重心の上に乗っていたり、身体を曲げたりするにしてもより日常的なんですけど、英泉の絵は重心を取った上で、しなっ、くねっ、とさせてせり出してくるような印象があるのが特徴だと思います。「青楼四季之姿会 松葉屋 粧ひ」などが典型的。
恐らく、女形の所作の影響で、独特の見栄えがあります。歌舞伎の人のよく言う、楽な格好でやると芸にならない、というのはこういうことでしょうね。実際は楽じゃない格好が楽に取れるようになることが必要なんだと思いますけど。

英泉には国芳が描いた全身像が残っており、今回も出品されていましたが、いなせな遊び人っぽい感じが出ています。
その国芳は絵にも自画像にも歌舞伎の男役の見得の切り方のようなものを強く感じさせますが、一方で、女形の所作を絵師として最も裡に引き込んだのが英泉だったのではないかと思います。退廃的な美しさといわれますが、意外と「奇想」カテゴリーに入れられることはなく、それはフォルムに奇抜さが無いことと、あくまで洗練された舞台芸術が元になっているからではないかと思います。

「浮世四拾八手 ひゐききをたのしみにみる手」などがそうですが、何かに集中している人を描くのも特徴で、日常の素の色気のようなものを重視しているようです。

「当世好物八契 けん酒」などはちょっと悪く言うとあばずれた、凄絶な色香を感じさせる作品で、こういう人は歌舞伎に結構出てきます。

「当世ふじみたい 夜鷹」は展覧会中にほかにない力感が漲る作品。「「辰巳風そく 道のかいから」階段上の芸者」は、なれない酒に気分を悪くした様子を描いた珍しい作品。

作品番号64、65、66の傾城シリーズは遊女っぽい人が振り返る感じで、女性の背中に語らせるのが上手い作家だと思います。しかも薫っているのは大正以降のように色気ではなく、意気地ですね。

「三世相逢生競 烟草の火性 仇な気性 冨貴草」は、明治に来た外国人が暇があれば茶屋の娘が本を読んでいることに驚嘆していたらしく、そういう風情。やっぱりもちろん音読でしょうね。しかし戦前以前は音読だというんですが、春画の書き入れとかどうしていたんでしょうね????

「からかさ美人」は屈んで裾を押さえる英泉得意のポーズ。露出自体はほとんどなく、女性の踵に色香を感じてやまなかったという江戸時代の感性の延長線上にあるものでしょう。ただし道端ではみんな上半身はだけていたり、混浴だったりしていたので、あくまで美意識で、現代人の感性とはかなり違うものだといえるでしょう。

滲み出る色香といえば、ブログの浴衣は、図柄とは違いますが、存在そのものが杜若、といった端然とした美しさが素晴らしいと思います!

雑学家族のお風呂の回は歴史的な話も交えて、面白かったです。

ペリーがお風呂をみた話がありましたけど、砲艦外交をしているにもかかわらず市中を安全に回れたわけで、最初江戸の庶民は好奇心をもって友好的に異人さんを迎えいれていたんですよね。
市民感情が悪化したのは、開港した後に悪い意味での冒険的な商人などがやってきて、不法だったり乱暴狼藉をしたためで、当時は理由のない襲撃はなかったのだそうです。(文明国をめざして (全集 日本の歴史 13) 牧原 憲夫 (著) 27,8ページ)
なので尊王攘夷運動をもって現代日本の閉鎖性を説明しようという人は今でも多いですが、それは歴史的に間違っていると思います。

市川さんの良いところは、いつも初々しいところで、それは悪い意味での安定感が無い所が関係していると思います!
なので登場されると気持ちに良い意味での変化が生まれて、とてもいいアクセントになっていらっしゃると思います。

動画投票では他のアナウンサーの方のもいくつかみたんですが、安定していて暖か味のある低音が、とても良い意味で異質だと思いました!
しかもNHKの男性アナの○平さんのような居付いた低音ではなくて、爽やかなのも素晴らしいと思いました。

風景画のコーナーでは「北斎や広重のような明快な線と面」ではなく、筆致を再現していたという評価なんですが、美術雑誌などを読んでいると、この線の絵というのはほとんど日本画に対する差別用語で、そういう区分けを必要以上に気にする必要はないですし、むしろ特に肉筆画では冴える線の技が観賞する側にとっても至高だといいたいです。文化としてむしろプラスに評価するべきところだと思うんですよね。

しかし英泉の風景画は西洋の銅版画を思い起こさせるもので、風景画というジャンルの確立自体に西洋の影響が結構ある可能性もあるのかもしれませんね。英泉の風景画には「蘭字枠」シリーズなど、枠などにアルファベットっぽいのをあしらったものが結構ありますが、当然なのかもしれません。

番号83、4、5、などの風景画は富士山が描き込まれていて「「鎖国」という外交」( (全集 日本の歴史 9) ロナルド トビ (著)) には、このころはロシアなどの外圧に晒されていて、富士山の威容を観て安心したがっていた、というような事が書かれていて北斎同様渓斎の富士にも似た様な意味があるでしょう。
外圧に対して日本を確認する、という意味も、浮世絵風景画には込められているのかもしれませんね。

普通の風景画では「拾五 木曽街道六拾九次之内 坂本」が山が艶めいてよく、「東都両国橋夕涼図」は大作で両国橋の賑わいが良く描けています。「江戸名所 三囲稻荷図」も狭い角度か方鳥居を描いた構図がなかなか。

しかし重要美術品の二点は山水画仕立て。「雪中山水図」は格調高い山水画で、斜め後ろ上空から登山者を捉えた姿は、グレートサミッツのベストショットを思わせます。
「月夜山水図」は同じく鄙びていて雅美で、こういう名作を持つ絵師だとは知りませんでした。

「日光名所の内 素麺之瀧」はたばこと塩の博物館で観たなー、と思っていたら借りてきたようです。北斎でも応挙でもない、独特の水流を描いていて、これは代表作の一つでしょう。

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