国立西洋美術館 大英博物館 古代ギリシャ展 -究極の身体、完全なる美 その10

#その他芸術、アート

みなさま、今年も一足早い、当ブログの聖夜にようこそ。

報ステの天気予報が始まってすぐに、この人は殺伐とした、末世的な日本社会を癒す使命を負っていると確信しました。
以来私も定時の斎き視聴を欠かしたことは、ほぼありません。

ここですうっと精神の状態がほんわかと澄むことで、長い間一日のリズムを作ってきました。

俗塵を離れたかのようなふんわかとした笑顔で、逆に今でもあんまりよろしくないニュースを読まれると、心が痛みます。。

そして震災時には、普段の余裕がキャパシティになって、日本の状態を救っていたと思います。

常識的、ではニュアンスが伝わりませんけど、理知的で人としてとても出来ているのも、極めて希少な個性だと思います。

これからも発展し続ける色々な特技と、ゆるキャラ顔負けのかわいらしさをふりまいて、世のためにもご活躍下さい。誕生日おめでとうございます!

今年の竜王戦は一瞬で終わりましたね。一つの黒星にしても、勝ちになってめんどくさい感じで指したら負けてしまった、といった感じで、谷川×真田戦以来の終わってみればはっきり力の差があったかな、と思わせる内容でした。

日曜日にはっしーが解説していましたけど、なんかさばさばしていましたね。

先々週のいいともの後半は、CMの間の踊りも含めて、とてもかわいらしかったと思います(^_^;)こればっかりいっていますけど、特に最近はさわやかな雰囲気も薫ってきて、とてもかわいらしいと思います!

アレルギーの番組は治療法が画期的だと思いました!
りのさんは落ち着いていて若い人に人気があるので、これからもこういう番組に呼ばれると思います(多分)
高いところにいるので、みていてどきどきしました(^_^;)

ちょっと前のMJは一人一人に対する観察が光っていて、一人でみんなの個性をわかりやすくしていたと思います。
そんなりのさんの性格が、ファンの人も自分の事をわかってくれているんじゃないかな、という気分にさせて、たくさん応援してくれるんだと思います。

大島さんのには重いなー、というのが正解だったと思います。。(他局なので微妙ですかね?)

先週のいいともでは伊吹吾郎さんもファンになったみたいですね!?

全体的に回りの人が動いていた回で、それと張り合わなかった所が良かったと思いました。
うけようと思う雑念に支配されていた、はらいちさんと対照的だったと思います(^_^;)
自然体が一番強い、ということを知っているのがりのさんのとても知的な所だと思います。

メディアでは、ゴルフ場の訴訟の話はテレ朝の夕方のニュースで取り上げたみたいですけど、他ではほとんどやっていないのではないでしょうか。これより優先して伝えるべきニュースを探すのはなかなか難しいのではないかと思います。

原発神話について、このまえNHKのニュースで、細かい点検に気を取られすぎた、木を見て森を見ずだった、と元東電の人が答えていましたけど、警告する人はいくらでもいたはずで、森をみようといった人をはねつけて冷や飯を食わせた、がせいぜいの正しい表現ではないでしょうか。

原子力ムラの人たちの特徴として、ミスの原因をどうしても高等な話へもって行きたがる傾向があると思うのですが、まずかったのはもっと人として基本的で本質的なところだと思います。そこをみていかなければ正しくないし、事故の再発を防ぐことは出来ないと思います。
こういう認識のもとに、電力業界を根本的に見直し、社会についても根本的に見直す、というのが正しい方向性だと思います。

もう一つ原子力村、メディアの特徴として昔からあるのが、歴史物に逃げることですね。今週のサンデーモーニングでは田中正造をを取り上げていましたけど、相変わらず原発は経済効率を支えたとされていましたし、具体的な組織名、人名を俎上に上げることはありませんでした。

こうすると批判することによる責任を被らないまま、原発を取り上げたような雰囲気になるのですが、現実と密接な形でジャーナリスティックに取り上げないのは、田中正造に失礼なことだとおもいます。

歴史といえば、この前のNスペの戦争特集では、敗北が決定してからの最後の一年間の粘りの間に集中して人が死んだということです。
現代でも、敗北が決定した原子力村の粘りをいかに速やかに封殺できるかが、被害の規模と日本の未来を決するでしょう。

テレビでは、さっきの報ステの電源開発促進税の特集は良かったですし、良い取り組みもあるんですけどねぇ。

一方で旧来のメディアに変わろうとする勢力ですが、これも頼りなく、人によっては旧来のメディアと大して質が変わらないのが日本の深刻な所。

上杉隆さんが原発容認、TPP賛成を表明されたみたいですね。ちょっと脱原発運動が下火になったこのタイミングでいうのが、やっぱりいやらしいと思うんですよね。

何かあったらこの人、一人で逃げ出すんじゃないか、といっていた人がいましたけど、やっぱり矢面に立つのを避けるようなところがあるんですよね。広瀬さんにマスコミは訴えないのか、とけしかけていましたけど、上杉さんが訴えれば、といわれて、その後自身で訴えるようなことはありませんした。

上杉さんの震災後の対応は迅速で、重要なことですが確かに東電・政府・(上杉さんがメルトダウンを追及したら、記者クラブの記者に怒鳴られたそうですが、だとしたら)一部を除く記者クラブメディアは、プルトニウムやメルトダウンなどを追及されて嫌がっていたと思います。

しかし、海外のメディアの情報を国内でぶつけるのは上杉さんの常套手段で、それが原発事故では傍目八目的に上手くはまった、というだけであったということも忘れてはならないと思います。

しかもこの人は海外メディアの論調や学者の意見を自分の意見として横流しして発表する癖があって、そこにも気を付けて評価しなければならないと思います。

富士山噴火の質問とか、もちろん十二分に注意するべきことではあるんですが、被害を受けている人の事を考えればもっと傾注すべき事柄があるはずで、この人は日本の秩序が壊れれば何でも良いんじゃないか、と感じたのも事実です。

不謹慎ということばを嫌がっていましたけど、それは被害を受けた方々に対する溢れる共感があってはじめていえることで、事故後の原発への対応、デモに対して取材に行かないことなどをみると、そういったものを著しく欠いているのではないかと思います。

除染・避難や福島のマラソンの事等も言及することはないですけど、そもそもこの人は人の健康に興味が無いのではないかと感じます。
そういうちょっとおかしな所も、全体的におかしな日本では人の注目を集めやすくなっている特徴になっていると思います。

全体としていえることは、わかりやすく人の気を集めるのが得意で、しかもメディア批判という重要な事柄を含んでいたのでかなり通用したのですが、一つ一つをみていくと明らかに良くないとおもいます。
上杉さんには人の気を集めることに特化していただいて、周囲の方々がしっかりした仕事をなさると、日本は良い方向に行くのではないかということです。

ちょっと前の話になりますけど、相撲部屋の親方が亡くなったそうですね。暴力騒動の渦中でしたが、ゴルフクラブが曲がった、などという話も伝わっていて、そうだとしたら、凄惨過ぎて想像を絶します。

日本の教育についてですけど、外から見た一番古い記録はやはりフロイスの報告書の「子を育てるに当って決して懲罰を加えず、言葉を以って戒め、六、七歳の小児に対しても七十歳の人に対するように、真面目に話して譴責する。」(ヨーロッパ文化と日本文化 64ページ)でしょう。

江戸時代の寺小屋でも、儒教の仁愛をもって子弟に教えるのが基本だったらしく、ほとんど体罰は無かったといわれています。

こういったものは、新自由主義的な教育観とも一線を画しているのではないでしょうか。
しかし、現代でも伝統的な教育の場でこのような仁愛が存在するかといえばそうとはいえません。

特に良識のある人が心を痛めているのが、一時期の永平寺で、体験記の中には体罰の酷さを伝えているものがあるようです。

読んでいないのですが、ぐぐると「体罰の社会史」(江森一郎)という本にい詳しく書いてあるそうで、体罰が日本で行われるようになったのは日露戦争以降なのだそうです。
最澄も道元も体罰否定論者だったとか。

(ちなみに「「世間体」の構造 井上忠司著」という本がありますが「ムラ八分はずいぶんむかしから多かったように思われているが、宮本常一氏にしたがえば、そのじつ、多くなったのは比較的新しいことなのである。宮本氏によれば、ムラ八分がにわかに多くなったのは、明治期になってからのことだった。」(56ページ)と書いています。その理由は、ムラ人が「ひろい世間」にふれ」村の結束が弱まり、違反者に対して厳しい制裁を持って臨むしかなかったからだ、と書かれていますが、この体罰に関する研究を引用することで変わってくるのではないかと思います。
やはり軍隊の影響が大きかったのではないかと思うのです。

ちなみに、最近タイムスクープハンターでもムラ八分を取り上げていましたけど、一番多かった時期ということでいえば、明治期を取り上げるべきだったと思います。)

なので、この永平寺をはじめとした日本の仏教での体罰は非伝統的なものといって良いと思います。昔のお坊さんの記録を読んでいても体罰が出てくることはありません。

山岡鉄舟が、本当の禅を知りたかったら管長とかそういう人に聞いては駄目だ、といってたそうですが、いかにも伝統的なところに意外と伝統は残っていないもので、これもそういった事例の一つだろうと思います。

日本の仏教は必ず初心に帰らなければなりません。

そして、それを見守っていただく方にも、文化をみる眼を持っていただきたい。
本来の日本の伝統的な教育なら、必ずそこに慈悲心がある、といって良いと思います。そういったところを良くご覧になって、「伝統」と一括して称されるものを選別していただきたいと思います。

舞でも武道でも、伝統的なものでどやしつけているような指導がなされ、それがいかにも「伝統的」な厳しさを醸しているように思われる事がありますが、それが本当に伝統なのかどうか、軍隊が導入されて以降の伝統なのではないか、という事は注意深く総点検し、改善するべき所は改善するべきだと思っています。
それを欠いての日本文化の復興はありえないと思っています。

そして、現代の日本でも体罰は禁止されて、一見学校は平和にも見えますが、様々な矛盾が噴出してしっちゃかめっちゃかな所もあるのではないでしょうか。

それは体罰の原因が軍隊由来であるという事を、的確に把握していないことが強く影響していると思います。

たとえば式のための練習を延々とやるのは、本当に本人達のためなのか。マスゲームや行進の練習を延々とやらせたりするのもやめるべきだと思います。

「めいめいの人が小さな宇宙であると同時に、その中に大宇宙を内含している、内に秘めている」(中村元「仏教の真髄」を語る 18ページ)ということを一人一人が一人一人に対して強く感じる教育を目指さないと、学校を取り巻く諸問題が解決することはないだろうと思います。

分割いたします。

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