この前実家から物資が送られてきたんですけど、野菜を包むのに使われていたものは農業新聞。将棋世界の漫画欄を描いている人は、一体どのように生計を立てているのか長年の謎だったんですが、この新聞の漫画欄に連載されているようで、疑問が氷解しました。
しかもそれがテレビの原発のぬるい解説に「ちゃんと質問しろ、それでもジャーナリストか!」と厳しく突っ込んでいる漫画で、日本最高峰のジャーナリズムは農業新聞に存在することを確信しました。いや~、やっぱり自由が一番です。
「第 77 幅 堂伽藍(どうがらん)」は羅漢の大工仕事。なぜか鬼も運んでいたりもします。当時のお坊さんはもっこ担ぎとか、大工仕事もけっこうしていたみたいですね。今でも真面目な人はやっているみたいですけど。
身を労することについて、このまえはリスクについて話しましたが、決断を下すべき時に勇気を持って下せる、というのは一つの作用ですが、昔の僧侶たちが仏教においてそれだけを求めていたのでは当然ながらありません。
仏教の人として全体的な向上を図っていたわけで、智慧とか慈悲といったものを求めていたといえるでしょう。智慧があれば今回の震災のようなときでも、各自の立場で的確な判断を下せるわけです。
また、少年期から青年期にかけて、家の中で閉じこもり気味の人と、よく外で遊ぶ子どもがいて、どちらの方が情操豊かに育つか、というのは科学でどこまで明らかにされているかは解りませんが、直観的に多くの人の意見が一致することだと思います。
「夢中問答集」(文庫版399ページ)に「山水そのものに利害得失はない。それは人間の心にあるのだ。」とありますが、そういう意味ではやり方にも依るわけで運動することにも、仏教的な方向性の成長に100パーセントの対応性はありませんが、大体こういうことがいえると思います。
現に今の震災の被害を受けた地域に対する政策などの人命軽視の風潮は、このことの延長線上にあるのだとおもうのです。身体性と深い関わりがあるのは、疑問の余地が無いと思います。
心身の総体に光りを当て続けてきた仏教や、それと関わって発達してきた文化、更にそれを解明してきた科学などに、そこを改善する大きな力があると思うのです。
ちなみに身を労するといえば、額に汗して云々といったライブドア事件の検察官が真っ先に頭に浮かぶと思うんですけど、彼がもっと本当に額に汗して働いている人たち。例えばということで例を出すんですけど、近所の八百屋さんを自分より偉いと思っているかと思うと、そうではないと思うんです。
その検察官の仕事を客観的に振り返ってみた時に、社会そのものを萎縮させてしまった、というデメリットが指摘されます。狙い撃ちして恣意的に法律を運用しているのではないか、という疑問も残すことになりました。
そういう面から考えると彼はマイナスの仕事をしたといえる訳で、近所の社会に貢献している八百屋さんに彼より偉い人はたくさんいると思うのです。
これはつまりどういうことかというと、本当に人の役に立つ人間になるということは、生半可なことではないということです。そこに格別の努力を注ぎ込まないと難しいということです。
これはやはり原子力村の人たちをみると痛感できることだと思います。
そういう視点から社会・教育を組み直していく事が必要だし、その時に日本が受け継いできた伝統文化は、大きな力添えとなると思うのです。
ついでに言えば、司馬遼太郎さんは身を労する人が偉いのが日本の良いところだ、といっていましたけど、彼自身が身を労する人を尊敬して、そういう人と交わったという話は聞かないんですね。農家の誇りの無さを嘆いていましたけど、誇り高い優秀な農家の人と友達だったかというと、そういう話は聞いたことがありません。
「街道を行く」の連載の途中で須田剋太さんが亡くなった時に、連載を続けるのか打診があったのだそうですが、絵描きがやめたくらいで、やめることは無い、ということをいっていたといいますが、彼は心の底で身を労する人や文化(言語的な側面の一部分を除いて)に携わる人間を軽んじていたのではないかと思う。
それが今まで言って来たような、小説の非文化的な内容、身を労することに関する軽視に表れているのではないかと思います。
こうやってみると良く分かるのですが、司馬遼太郎の思想は時代の原型になっているし、また彼自身が時代に非常に適合した人間だったのです。
つまりは口先だけで汗みず垂らしている人が偉い、といっている所がそっくりなのです。
・・・とそんなことを、当時の検事総長の就任会見のニュースをみながら考えていました。
社会全体でも、前に新聞で、町工場の人を擁護して身を労する人が偉いんだ、と官僚達の前で言ったら、なんでだ、と言い返されて反論できなかった、という記事がありましたけど、みんななんとなく身を労する人が偉いんだ、という感覚はもっているんですけど、何でなのなかもう思い出せなくなっているんです。
今日の報ステの特集でも福島の中小企業の話をやっていましたけど、同心円状の避難地域は言ってみれば虚構です。その虚構を守らせるために、中小企業には莫大な負担をさせるわけです。
それにしても横の解説の人は、100メートル手前の境界線の話を原子力村的に、だらだら長い説明をして結局違う話にすり替えましたけど、要するに同じ質の人が違う(同じ?)職業についているということですね。
つまりは身体性を大切にするべきだということで、それによって政官財メディア学会といったところは、本当に人や子どもに対しての共感に溢れた、合理的な判断が下せるだろうし、産業の構造としては、職人の技を磨いて大切にしてきた、日本本来の姿・強味に回帰できるだろうということなのです。
100年後からこういう視点でみて、現代は、良くあんなに偏った価値観・社会で世の中が回っていたな~、と嘆息されるような状態だと思うのです。
一信は安政大地震に遭遇していて「第 81 幅 七難 震(しちなん しん)」は迫真のルポ。鬼が家を掻き分けて人を救っています。
「第 83 幅 七難 風(ふう)」は当時の台風による洪水を描いているらしく、馬が流されています。今日で言えば車に当るでしょう。
「第 90 幅 七難 盗(とう)」では咎める羅漢の腕が長く伸びています。
ここら辺からは恐らく鬱由来の病気に襲われていたらしく、絵の躍動感はほぼ皆無ですね。暁斎が、一信は上手くないけど根気がある、という証言を残していて、それはこの晩年の部だけを観たからではないかとの事。
これだけ細かく書き続ければ、鬱になってしまうものですかね?
「第 91 幅 四洲 南(ししゅう なん)」のシリーズはアショーカ王の即位の説話。禅では無功徳の逸話がありますけど、実際はともあれ、世俗権力を軽んじる傾向があり、こういうことは描かないので違いに驚きます。
原始仏教でも「国王と盗賊とは本質的に区別の無いものであると考えていた」(ブッダのことば 岩波現代文庫版 277ページ)とのことで、ただあんまり馬鹿にすると痛い目みるから、そこだけは気を付けた方が良いよ、というのが公式見解です。(ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫))(158ページ)
この絵では大和絵風の松が唐突であるとの事。
「第 95 幅 四洲 東(とう)」は富裕な人の空しいありようを描いているといいますが、平和な構図で、豊かな日常に対する賛歌のような印象も受けます。裂帛の気合に乏しい代わりに、そういう雰囲気が結構良い味を出している気もします。
ただ流石に筆致は乱れてきていて、初期作品と比べると、ダヴィデ像の横にヘラクレス像があって、ダヴィデの凄さがよく分かることに似た効果もあるかもしれません。
凄まじい質量の展覧会でしたが、最後まですいすいと楽しめました。感想を私なりに書いて、一信の行に報いたいです。企画に凄く時間がかかったようで、おつかれさまでした。
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