サントリー美術館 サントリー美術館・東京ミッドタウン5周年記念 毛利家の至宝 大名文化の精粋 国宝・雪舟筆「山水長巻」特別公開

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飯田哲也さんと江川紹子さんが対論されたようですね!梵唄(以下略

江川さんはかなり強く死刑継続を言っていて、サリン事件など一連の事件に関わられた方として重みを感じますし、それはもちろんありえる議論なんですけど、ちょっと主張のされ方に難点があると思うんですよね。
死刑といえばやはり冤罪が一番怖いものですが、それについて余り議論をされないんですよね。冤罪事件がいくつかあり、捏造がいくつかあり、情報公開は進まず、冤罪が生まれやすい素地が払拭されていないと思うんですけど、それでもそのことについて議論をされないで、死刑制度を支持なさる。

検察の問題を扱っているようで、実は検察という組織の底に合理的ではない意味での信頼感があるんではないかと思うんですよね。
それが電力問題に敷衍されると、関西電力に対するそこはかとない信頼感になるんだと思うんです。

関西電力は試算は各電力会社のピークが一致する前提での数字であったり、揚水の使用もピークに集中させず低く見積もっているといいます。
火力の増設もしてきませんでしたし、未だにオール電化を推進しているといいます。
長期的な転換とはいえ、再生可能エネルギーも今夏に向けで出来るとこまでやるべきだったと思うのですが、そういう事をなさったというのも聞きません。

節電も他社に較べて非常に低く見積もっていたといいますし、そもそも後に出してきた原発を再稼動すればぴったり足りるのとの試算は、率直に感じた事をいえば、投げやりな数字に思います。

再稼動の手続きは強引且杜撰であり、活断層の問題も今まで取り上げられないような体質があったといいます。新しい試算ではいくらか改善しているみたいですけど、電気会社の体質まで変わったわけではありません。

飯田さんも仰っていますけど、飯田さんの試算に突っ込むにしても関西電力のそのような姿勢と十分戦った上で、吟味するべきことだと思うのです。

一方飯田さんは、ドイツの状況を踏まえてか、即時廃止にはこだわら無いとの事を仰っていますけど、日本は地震などの活動期に入ったともいわれていますし、活断層の事を考えても、即時廃止は第一選択肢にしたいですし、いわずもがな、もちろん飯田さんもそのつもりなのでしょうね。
そこを通すためにも即時廃止にこだわらない形で条件を出しているんでしょうねぇ。

ただやはり、日本の習慣・歴史に余り論理的とは思えないマイナスのイメージを持っているのが、飯田さんの私からみた良くないところで、「融通」も日本特有の「長屋でのミソ・醤油の貸し借り」的な用語。
とのことですけど、こういった風習が悪いものとは思えず、動機も今の電力会社と根本的に違うといって良いでしょう。
自国の習慣を批評する時は、もっと精密に論理を積み上げるべきだと思うのです。

また、原子力ムラを幕末の幕臣と捉えていらっしゃいますけど、最近の研究では幕末の幕閣は無能とは捉えられておらず、たとえば「BS歴史館 シリーズあなたの常識大逆転!(2)「幕末・日本外交は弱腰にあらず」という番組では、この頃が日本外交の頂点であった、と評価されています。

また前に私も無謀な戦いを挑んだ第二次世界大戦と比較しましたけど(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51894232.html)幕府の非戦という判断が非常に重要だった、と評価されています。
(「幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉」(岩波新書) 井上 勝生 (著) 13ページ)

幕府が無能であったというのはかなり明治政府のプロパガンダがあったらしく、最新の研究でかなり覆されています。

海外の脅威についても最近は、幕末の危機はさほどではなかったのでは、と疑問を呈する史書が多く、逆に江戸前期はいわれているより危なかった、とするものが多いです。(「開国と幕末改革 日本の歴史18」(講談社学術文庫)井上 勝生 (著) 363、4ページなど)

明記しているものは無かったと思いますけど、これは幕府が無能で新政府が危機を救ったという、明治政府の一種の建国神話だったのだと思います。

また、しばしば独占体制を「幕藩的」と仰いますけど、藩は総括原価方式ではないですし、中央との関係も違うと思います。
歴史的に観ても、より江戸時代に近い明治の自由な状態から、中央集権が強固になるにつれて電力会社の発送電一体型の地域独占体制が確立して行くわけです。

他にも農業はこれから国を支えていく一つの柱になると思うのですが、江戸時代は自分たちの事を「御百姓」と呼んでいたらしく、その誇りや、社会での重要視する視線は今と比較にならないだろうと思います。六次産業化などによって、農村が回復していく過程で、農業の位地も江戸時代のそれにある面近づいていくだろうと思います。

もう一つは、「文明国をめざして (全集 日本の歴史 13) 牧原 憲夫 (著)」の アマゾンの書評がまとまっているので引用させていただくんですけど、

第二の点は、市民革命後の西欧と同様に、日本でも明治初期の地租改正により、農民・商人らの土地私有権が認められて以降、地主制が本格的に拡大したということ。そうすると市民革命の歴史的役割とは、自由な私的所有を認めることで、経済的強者の自由、つまり地主制と資本主義の自由な発展を保障したことになる。

 ただし著者は、当時の一般民衆が要求したのは、西欧でも日本でも、自由な私有権の行使ではなく「モラル・エコノミー(日本語でいえば仁政・徳政)」だったと釘をさす。つまり西欧で地主制が市民革命後に発展したのは、それが封建遺制だからではなく、王権や地域共同体のモラル・エコノミーで抑制されていた「強者の自由」が解放されたからなのだ。そう考えると、日本でも明治維新によって経済的強者が自己利益を自由に追求する時代に入っていくことがよく理解できた。

とのこと。

以前までは明治維新というのは単なる進歩と捉えられていたわけですが、最近では、仁政からの転換、という視点で捉えられているらしく、「「強者の自由」が解放された」時代とされているみたいです。
そしてこの路線は新自由主義に非常に良く似ています。つまり新自由主義というのは最近湧いたわけでなく、戦争など揺れ幅はあったにせよ、明治維新以後続いてきた価値観の極点として存在するわけで、そこから脱却する為にはそういったベクトルを反転させる価値観の転換が必須なわけです。ここに、色々問題が指摘されながらも新自由主義が生き残る大きな理由があります。

資本主義というのは有史以来発達してきたわけですが、特に江戸時代以降に著しくバランスを欠いた形で新自由主義的な色彩を強めてきたわけで、ここを反省することによってはじめて、一人一人を大切にして最大限の能力を育成・発揮させつつ、競争が行われるべき場所で適切な競争が行われる社会へと転換していくだろうと思います。

また私が常日頃いっているように、文化的な側面でも江戸時代の良い部分を取り直しに行こう、という流れは強まってくると思います。

こういったことなど、日本では各地で明治以来の中央集権的などの仕組みの弊害を取り除いていく、ということが起こっており、原発から再エネへのシフトによる社会変革もその流れのひとつといえると思います。

それを「幕藩体制」と呼んでしまうと問題の根源を誤って認識してしまう恐れがあり、結果として実を結ばない可能性が高まってしまうと思います。長州出身というアイデンティティは承知ですが、是非色々調べてもらいたいと思います。

行って参りました。

当日はかなり混んでいて、サントリー美術館では珍しい方だと思います。

サントリー美術館が旧毛利藩邸に建っているということで節目の展覧会を催したらしく、ブラタモリねたです?

一番最初の出し物は「色々威腹巻 兜・大袖・喉輪付」で正統派の美しい鎧。紐の色とか保存状態も非常に良さそうです。

「毛利輝元画像」の解説では、西軍の総大将とみなされ~、と所領没収の憂き目を紹介していましたけど、密約があったといいますけどどうみても総大将で、仕方が無いと思います(^_^;)

全編から微妙に恨み節が聞こえてくるのですが、あんなに大大名のままだったら、徳川政権で潰されるのはむしろ必定で、伊達政宗の反故になった百万石と同じで、幸運だったと思います。
さらに、減封されたものの「徳川家康誓紙」という所領を安堵する家康の直筆が残され、後々まで所領が没収しにくかったのだそうです。

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