東京国立博物館 140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」その3

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他にメディアでは、5月10日の報ステのコメンテーターの三浦俊章さんは経産省の無策を説明したのですが、その前に中小企業への安定した電力供給云々、といって「バランス」をとっていましたけど、それは関電の試算によったものであることと政府の無策のせいであって、再稼動しないことで企業に迷惑をかけるかのような言い方はおかしいと思います。

この人は、待機児童のニュースでも、地域で子供をみる環境云々、といって、もう三十年前に崩壊しているんじゃないかというような仕組みの話をして、文部科学省と厚生省の縦割りの弊害について指摘しませんでした。

5月11日の8時15分ごろのモーニングバードでは、計画停電の危機として、お年寄り達の施設が危ない、ということをやっていましたが、関西電力・原子力ムラが再稼動をして懐を潤わせるために出してきた情報に乗ってしまっていると思います。

去年、ピーク時だけで良い節電を、一日中ほとんどするべきだという政府の発表に従って一日中するべきだと報道し、死ななくて良い人が熱中症でたくさんなくなったのですが、未だに検証をしようという声すらテレビでは出てきません。計画停電を煽るのは昨年と同じ愚を繰り返す大本営発表であることを認識した上で、報道してほしいと思います。

ただこのモーニングバードではまだVTRが終わった後に一茂さんが不信感がぬぐえないなどと仰って、フォローが出ましたが、番組全体でいえばここまで流してしまった以上アリバイ作り以上のものではないですし、他の番組ではそれすらないという参状であると思います。

江川紹子さんも足りるという試算は涼しい夏を根拠にしている、と仰っているようですが、その試算とは何かを具体的に指摘してほしかったと思います。
最近では東京新聞を反原発機関紙といっているそうですが、テレビではこういった悪い意味での保守性が、出演できる担保になるのかもしれませんが、公平な視点で観た時にはどうしようもないくらいに偏っていると思います。
東京新聞は地方紙と共にかなりの程度信頼できる情報源で、全国紙が書かない事実がたくさん書かれています。当時のご自身の発言と見比べてみて、どちらの方が正しかったか考えられることも大切なのではないでしょうか。

東電の値上げの報道で思うのは、値上げの主体として映されるのは東電なんですよね。
値上げは国民に賠償金の負担をそのまま回そうという政府の意思の表れであり、財務省・経産省に深く斬り込むのが理想ですが、そこまで出来なくともせいぜい首相の顔を大写しにしながら値上げを論じるのが当然だと思います。

また、脱原発依存の方向性と原発を根幹的なエネルギーとする新東電社長の間に整合性が無く、メディアはここを問題視するべきだと思います。

大竹まことさんのラジオでは、銀行が法人税を納め始めたという話をしていましたけど、こういった所が介護や町工場より給料が高いのはおかしいと思います。

平安時代の「太刀 銘 安綱」は寸法を短くしているそうですが、反りが美しいどしっとした作り。これは素晴らしい名刀です!
鎌倉時代の「太刀 銘 備前国長船景元作」など長船派のものも沢山ありましたが、反りが浅いシャープなつくりで、安綱と比べた時に自然に出てくる動き・斬り方は大分違うだろうなぁ、と感じました。

着物のコレクションも充実していて保存状態も良好です。「振袖 黒縮緬地桜楓模様」は成人頃の公家の娘が着る感じらしく、シックで華麗でした。

華麗なファッションといえば、みぃちゃんのファッションショーは、堂々として自信に溢れていてかわいらしかったと思います!
出てきた後のポーズにも変化があって、特にちょっと肩をすくめるような動きがかわいらしかったと思います。

おめしかえの後のウォーキングも力強くて、カメラへの流し目が色っぽかったと思います!
最後の振り向いた時の表情もとてもかわいらしかったとおもいます。

服も結局はどっちも似合っていると思います。

横山さんのクレヨンねたは面白かったです。

僕の見立なんですけど、アイドルっていうのは大変な職業なんですよねぇ。綺麗な子ばかりが集まっているから、普通のかわいらしさでは不美人といわれてしまう。それだけではなくて、その中で綺麗でもそういう事を言われるのは避けられなくて、大島さんのようなグループの中でもかわいらしいのみならず、普通に生活していると人生でお目にかかれない様な美人でも、たまに顔が良くないといわれたりする。

大島さんは性格が勁いので、そういうことを言われても大丈夫だったんだとおもうんですけど、みぃちゃんはちょっと悪い意味でも繊細なところがあって、それがこたえてしまったんじゃないかと思うんですよね。

それでちょっと怯んで壁を作るというか、逆に攻撃的に出るようになってしまった。それが「反抗期」だったのではないかと思うのです。
反抗期とのことなんですけど、特に何かと戦っているということは、されていないようなんですよね。なのでこういう事なのではないかと思いました。

みぃちゃんをみていると、カメラに映っていることを意識していないときの方がかわいらしいことが多いと思います。小嶋さんの誕生日を祝う写真も滅茶苦茶かわいらしかったですけど、多分それは自分が撮られていると意識していないからではないかと思うんですよね。

なんといっても元が物凄く綺麗ですから、それを自覚して、もっと自然に微笑まれると本来の実力が発揮されて、ワンステージ上へ登れるのではないかと思います。
今回のファッションショーは意識していても凄くかわいらしくて、そういう意味でもとてもよかったと思います!この調子でみぃちゃんのかわいらしさを世間に知らしめていってくださいね!

でも、反抗期も悪くないと思うので、よりエレガントなスパイスの効いた反抗期を目指して精進してくださいね!!

自動車部も進行として、よく捌いていたと思います!あんまりいうのも良くないですけど、AKBはたくさん集まるほど普通の女子学生で、みぃちゃんはその中でも凄く性格が素直で優しくて、機転が利くと思います。

スカイツリーは進行の香取君の質問に答えるときとかの、みぃちゃんが人懐っこい笑顔でかわいらしかったと思います!途中からみたんですけど、コメントや答えとかも、しっかりしていて適度に詩情があって、視聴者もスタッフも納得だったのではないかと思います。

最後の纏めのコメントも理想的で、かわいらしかったとおもいます!

香取君と草薙君も、平気で無茶振りが出来たりする、二人の間の信頼感・友情に感動しました!

スープカレーの第5話はめがねがとても似合っていて、お上品な先生みたいで、かわいらしかったと思います!じゃらじゃら色々付いているのが、インドの菩薩像みたいでした。
髪をいじる仕草も乙女っぽかったと思います!
はるさめを入れるのもかわいらしかったですし、辛さの表現もよかったと思います。

近世絵画の部で、回廊の向こうに観える特等席に置かれているのは、長谷川等伯の「龍虎図屏風」で黒い深淵より龍が顔を出し、反対側の虎が全身をセンサーのようにして龍をうかがっています。構図の雄大さ、大気の大きな揺れも素晴らしく、等伯は凄いなぁ~、という感想が自然に出てきます。松林図屏風クラスの出来といって良いでしょう。

一方で虎の表情はユーモラスでもあって、ここでも周囲のおば様方の笑いを誘っていました。日本絵画の観かたとして重要な所だと思いますし、中国を含んだ日本以外の絵画と比べた時にもこれは大きなアドバンテージだと思うんですよね。

「牧牛・野馬図屏風」は長谷川左近なる等伯の息子の一人が描いたらしく、等伯に複数の息子がいたのか!と思いました(^_^;)しかし、あんまり話題にならないだけあって、構図はおとなしくて、「龍虎図屏風」クラスの作品の中では名品とはいえなさそうです。

狩野山雪の「十雪図屏風」は名前からしても雪の描写が得意のようで、砂糖菓子のような質感。人物の小ささがしんしんとした感じで、余白を効かせた構図に大自然の営みが表現されています。

「四季花鳥図屏風」は京狩野三代目の狩野永納が描いたらしく、江戸狩野とは一線を書く豊かな装飾性、が見所とのこと。確かに豊かな色彩が瀟洒で、京焼と共通したものを感じます。町のDNAが表れているといって良いでしょう。

京都風といえば、ティッシュケースは、市川さんがこういうデザインのものを持ち歩いていると想うだけで、心が豊かになります。

5月6日のANNは災害のニュースが多くて笑顔が少なかったのが残念だったんですけど、服装が控え目ながらも野いちごのような可憐さで、かわいらしかったと思います!
とうほこはミスでしたけど、雹や竜巻など、災害のニュースなのに聞いていて心地良く、少しだけ申し訳ない気持ちになりました(^_^;)

市川さんの読みは一音一音誠実で基本に忠実でそれがテレビ局の教えなのだと思うのですけど、そういったところよりも伝えようという気持ち、ニュースのニュアンスに集中することで、むしろミスが減って内容もさらに良くなるのではないかと、素人ながらに独り言をいってみますけど、ご参考程度に、、、、。

5月12日のANNはやっぱりすだれをかける動きがかわいらしかったと思います!

狩野養信の「仙境・蕭史・弄玉図」は江戸末期の作品で極めて細密。

尾形光琳の「松島図屏風」は波が荒れ狂いつつもぬるま湯的な雰囲気と繰り返しが光琳らしいです。

若冲の「鸚鵡図」は透けるように観える作品で、工夫の至り。恐らく得意の裏彩色なのでしょう。

同じく「十六羅漢図」は相変わらずぶっ飛んだ表情で、狂であって痴であって愚であり拙の至りです。被災地にはがんばって、という風に言葉を送りたいところですが、このぶっ飛んだ不真面目の至りのような表情がストレスから身を守って、仏教で言えば無我を貫かせるのであって、私は本当のところでは、難しいですけど、いい意味で一度すべてを投げ出してほしい、と伝えたいように思っています。

最後の一室は「奇才 曽我蕭白」ということで、まるまる蕭白に割いていて、千葉の展覧会を抜きそうな質です。

「楼閣山水図屏風」は左隻の崖の直立した峻厳さが他の絵師ではまず観ない奇観。

「(出ませんけど三国志のほうとくのほうという字)居士・霊昭女図屏風」はいわゆる見立久米仙人の画題で、千葉にも同じものがありました(^_^;)

「商山四皓図屏風」は木を描いた線の勢いが普通ではなく、江戸時代の書の延長としての絵画の中でもインパクトを放っています。

「虎渓三笑図屏風」はなぜか登場人物が電車ごっこのような格好をしていて、解説には蕭白の穏やかな画風がうかがえるとのこと。

今回の展覧会のパンフレットに使われている「雲龍図」は真ん中の胴体部分がどこかに行ってしまったとのこと。等伯の「龍虎図屏風」と部分的に共通しますが、こちらの方が立ち込めるものに黒が強く、より怪異的な雰囲気が強いです。蕭白の個性が一番活きそうな画題で、流石に圧倒的に力強く、龍の表情は羅漢のようです。

ボストン美術館の展覧会は洋画のものを除いても、肉筆浮世絵展に浮世絵展が二つと行きましたが、すべて作品がダブらず、すべてが圧倒的です。この世の天国とま言っていいのか解りませんが、それに近い居心地の良さを感じました。なので感想もかなり丁寧に書いてみました。

ボストン美術館の設立当初からの歩みと、今回運送等も含めて企画に携わられた方々。そして、風雪の中で何とか生き残ろうとした日本美術の力強さに感謝して、文章を締めたいと思います。ありがとうございました。

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