東京国立博物館 140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」その2

#その他芸術、アート

5月15日の午後6時5分ごろのテレ朝のニュースでは、大谷さんが沖縄に対する政府の冷淡さに散々悲憤慷慨した挙句、最低でも県外という鳩山発言について、ロードマップを作ってから言わなくてはならなかった、といっていましたけど、ロードマップは後でも作れるもので、沖縄のためを思うならそのために全力で支援するべきだったとおもいます。さらに解決しようとも思っていないようにみえる、以降の政権については厳しい追及をするべきだったと思うのです。
ラジオなどでも指摘している人がいるみたいですけど、美辞麗句とは裏腹の実際の報道は寒々しいもので、悪質なアリバイ作りだと思います。

省庁が大手メディアに報道の仕方を通達する会議があると言われていて、陰謀論だとか、実際にあるとか色々な意見が飛び交っていますが、小沢にしても消費税にしても欧州の問題をそれに絡めた緊縮財政の視点から報道するところをみても、TPPにしても鉢呂叩きや勝俣会長などの責任を問わない報道姿勢など、数え上げたらきりがありませんけれど、理屈に合わない横並びが不気味で、やはり横の繋がりで何らかの意見をすり合わせる場が存在していると考える方がより自然だと思います。そしてその不自然さから、何らかの形で権力の介入があるのであろうと――――――。

小沢問題に関しては裁判に限っていえばかなりおかしいようで、それをいったのはテレビではモーニングバードの松尾貴史さんが唯一だったのではないかと思いますけど、周囲の弁護士など報道の基調は他社と横並びで、それでもアリバイ作りの範疇を抜け出したか抜け出さなかったか、というぐらいだったと思います。

おかしな報道をした上でコメンテーターにこちょこちょ言わせて、誇大広告の隅の小さな注意書きのようにアリバイを作る、というのがテレビで培われてきた様式のようで、そういうのはもうやめてほしいと思います。

この弁護士の人は5月16日の朝も、関西電力の電力不足の数字の変更に関しての、報道を慎んでもらいという話に対して、国民を信用しないから信用されないんだということを言っていて、面白い切り返しのようにも思うんですが、信用とか信用されないとかそういう話ではなく焦点は原発再稼動一点で、そこを話さないのはピンボケだと思います。

沖縄問題でも他では荒川強啓さんの時事川柳が、鳩山をくさす句ばかりを選んでいましたけど、沖縄では問題を前進させようとした鳩山の評判は必ずしも悪くなく、沖縄の心情よりも自分たちが作り出した報道の方針を優先していて滑稽だったと思います。

時事川柳は東電の話は事故後出てきませんでしたし、経産省・財務省などをえぐるものも皆無だと思います。選考の過程でそういったものを弾いているとしか思えませんが、市民からの投稿を募る形でこういう事をするのは非常におかしいのではないでしょうか。

沖縄といえば司馬遼太郎さんは「街道をゆく」で独立を志向する動きに触れており、日本でいて損をしたのは沖縄だけではない、とその考えを否定していましたが、沖縄がこうむった惨禍、悲劇の大きさは莫大なものであって、そもそも文化圏が違うというのも大きいです。

極めてナンセンスな考えで、余りにも心に欠けるコメントだと思います。人の気持ちが分からないんだ、と時折ぼやいていたと読みましたけど、こういうことなのではないかと思います。

かなり昔に読んだ本なのですが、当時はかなり怒りの感情を覚え、この本を立ち読みしていた時の周囲の風景まで鮮明に残っているのですが、長じるに従って、これが口にはせねど日本(政府)の本音そのものだったのだな、と悟った次第。司馬遼太郎さんのいう「公」というものは、こういう性質のものだったと思います。

ここまでで六分の一。次のフロアへ繋がる回廊から覗き観えるのは今回の呼び物の一つ、快慶の「弥勒菩薩立像」。かつて興福寺にあった快慶の初期作品なのだそうですが、既に快慶らしさは全開。
端然として、軽やかな衣紋も素晴らしく、ふっくらした足など肉付きのよさも見事です。彩色や塗金が残っているのも、やはり素晴らしい所で、正面に立つと独特の威光を感じます。ああ、法の力が満ちる。。。。
玉眼の美しさも比類なく、食事をして午後も観たんですが、微妙なまどろみが吹っ飛ぶくらい強烈です。

納入品の展示もあり、快慶の名前があります。なんでもどうも個人的な理由で作った可能性があるものだとのこと。

平安時代の「菩薩立像」はかすかに右ひざが曲がった作品で、そういった局所のちょっとした違いによるバランスのズレを、全身で上手く補正して整えることで柔弱さを表現するというのが仏像のとても重要な要素だと思います。
この像では右足が僅かに曲がっているので、腰が切れて上半身が自然に右に寄っているのですが、そういったところも美しいと思いました。

さらに素晴らしいのは円慶の「地蔵菩薩坐像」で半跏趺坐で坐った姿がすとんとしていて、今の時代の要石といいますか、そういうどっしりとした風格が滲んでいます。足の裏が上を向いていて、股関節の柔軟さを示し、右手に持っている法杖も美術的アクセントとしてべりべりぐっどです。
図録の姿は斜め下からとった、やや怪しい雰囲気がありますが、正面から観た実物は実にけれんみの無いものです。

細かく観ると右手の指に僅かに欠損がありますけど、こういうのは直した方が良いですかね。

「吉備真備大臣入唐絵巻」はユーモア溢れる物語で、非常に筆致も丁寧なもの。横のおばさま方にかなり受けていました。
昔の日本人ってそういうおおらかさがあった、いくさとかないから。と噂されていて、そういうアングルは日本の古典を観ていく時に欠かせないものだと思います。

唐の役人が驚くと冠の後ろが跳ね上がっているようにみえ、鳥獣戯画より漫画の元祖としての要素はこっちの方が多いような気がします。何より笑えますし。

吉備大臣は「文選」が読めるか試されるわけですが、これもインターネットで注釈付きのものを共有できたら良いなと思います。

「平時物語絵巻」はそれなりに合戦のきつい描写もあったりしますが、横のおば様によると、凄いと思わない、この火、とのことで、屋敷が燃える火勢の巻く感じなど、かなり素晴らしい描写で、プロジェクトXの北野天神縁起絵巻を思い出しました。

「観音図」は楊柳観音という観音様が描かれているらしく、病気に効くそうなのですが、楊柳という語感とそれを表した風情だけで、良いものがあります。

拙舟等揚の「三聖・蓮図」は曲線的な琳派を思わせる作品で、海で漂う海草を思わせます。一方、蓮の描写は精緻で高雅さを示します。拙舟は雪舟の若い頃の名前らしく、日本人は中国思想の中でも「拙」の字が好きだなぁ、と思います。

伝揚月筆の「枇杷に栗鼠図」はモノクロの写実として極まっている作品。

「瀟湘八景図屏風」は屹立する山水が幽明の中に浮かび上がる作品。

狩野元信の「白衣観音図」はフェノロサが購入した時点で元信の最高傑作と考えていたらしく、最初の方の仏画と比べても、ガツンと来る力強さがあります。戦国らしくがさつになったような気もしますけど、非常に力強い精神性を秘めた絵だとおもいます。

「金山寺図扇面」は狩野派の紺碧画の中で現存最古のものらしく、非常に貴重な作例。紺碧画というのは下地が金のやつですね。
日本の金屏風は西洋の祭壇画の影響、ということをNHKの永徳特集でやっていましたが、ザビエルが来たのが1549年で、この絵はその三十年以上前なので、そうなると伝来の時代自体があやふやか、それより先に祭壇画の影響が到来していたということになりますが??!

「韃靼人狩猟図」はモンゴル人の狩猟風景で、結構こういう作品は風雅なものとして存在したみたいですね。

「松に麝香猫図屏風」は麝香猫の質感がリアルで、菱田春草の先を行っています。

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