ネイマール、自宅で療養 メッセージ語る映像公開

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「ネイマール、自宅で療養 メッセージ語る映像公開」(http://www.asahi.com/articles/ASG7630PWG76UTQP007.html)は怪我の原因の一つに判定が甘く審判がラフプレーを抑制できなかったことにここにつながる流れがあるとのこと。

初戦のブラジル戦の西村主審の判断はいろいろ波紋を呼びましたけど、ああいう感じでしっかり取っていくのはサッカーという競技にとって悪くないことだと思います。

逆に言うと、あの判断が物議をかもしたので逆にゆるくなってしまったという部分もあるのかもしれません。

7日の荒川強啓さんのラジオでは「兵庫県議不透明支出 野々村県議、辞職も念頭に置きたいと話す」(http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20140707-00000041-fnn-soci)について、荒川さんがみんな真面目にやっているのにこういう人がいるから~、といっていましたが、当たり前のごとくこれは氷山の一角であるといわれています。

まずは最初に不正をしていないか調べるのが報道の仕事ですが、権力におもねるために、いかにないことにするかに全力を注いでいるのではないでしょうか。

しかし政治を取り上げるかと思えばこのような自分たちにプレッシャーをかける力がないどうしようもない人の映像ばかりを延々と流して、本当にテレビはどうしようもないと思います。

最近「おわこんTV」というドラマがNHKで始まるそうで、視聴者の考えを逆手に取ったつもりのタイトル・内容だと思うんですが、テレビはオワコンだとは思いません。影響力は強いですからね。ただそこに携わる人の能力・精神・利権でずぶずぶな構造がオワコンなのです。

7日のアカデミヨシズミでは大動脈瘤の最新医療技術を特集。カテーテル手術の進歩は素晴らしいです。なんでも大動脈瘤は握りこぶしほどの大きさになるのだそう。よく胃の大きさが握りこぶし大だといわれますから胃と同じ大きさになるんですね。

6日のラジオでは爆笑太田が国会議事堂前で集団的自衛権に反対している人たちに対して、こんなことをやっても変わらないのに何をやっているんだ、と批判。

本人は「賛成ではない」のだそうですが、だったら効果的な方法を考えて自分で提案するのが筋です。まずは自分の意見をしっかり表明したらどうか。

冷笑主義の保身至上主義者は何とかならないものですかね。若い世代?の悪いところが凝縮されていますよね。

一方吉田照美さんのラジオでは、私たちの世代が賛成したと思われたくないから、というデモ参加者の声を紹介。

サンデーモーニングでは有権者の政治への無関心を取り上げていましたけど、ただ自然に無関心なのではなくて、政治に関心が無い方が会社などで好感される、というのが大きいと思うんですよね。政治に関わると損をする(企業)風土を問題にしなければなりません。

あと、経済だが良ければよいという町のお年寄りの声を拾ったインタヴューなどを観ていますと、アベノミクスというのもお年寄りが多い人口比に沿った今だけの政策がそのまま取られているだけでもあるんだなと感じました。

8日のゴールデンラジオ!によると、大手紙は割れているが、地方紙に目を向けると39対3で集団的自衛権の行使容認に反対だとのこと。

やっぱり国会記者クラブに所属していないのが大きいのだと思います。正しい意味で自由なんですね。

ゲストは神保さん。DIGが無くなってTBSは完全に報道系は無くなった印象。

集団的自衛権については、国内から自発的にやりたがっている説とアメリカの圧力説がある、と大竹さんが聞くと、アメリカにやらされているという形をとっているものは基本的に国内のグループがやりたいものをそういう形で進めている、とみるのが正しいとのこと。

湾岸戦争が外務省のトラウマになっていて「肩で風切って国際社会を歩くためには武力行使ができることがアジェンダ」とのこと。

しかし、湾岸戦争の日本への圧力はアメリカの意図的な演出であるといわれています。やはりまわりまわるとアメリカの意図といえるのではないですかね。

TPPとかはどうなのでしょう。郵政民営化はアメリカの対日年次改革要望書に書かれていたことが有名ですが、日本の特定のグループには年次要望書の内容に影響を及ぼせる力がるということなんですかね?時価会計の導入とかもそうなのでしょうか。

「一番大きな問題は市民社会に対する挑戦状であるということ」とのこと。「民主主義を自分たちのものにしていたか」が問われているとのこと。

戦後は安保運動などあって、民主主義的な部分が結構あったんですが、どんどん政治的な意思を持っていると生きづらい世の中を作っていってしまったんだと思うんですよね。

歴史修正主義者の用語に「プロ市民」という言葉があって、そういう目線からの文脈で言うわけでは無いですが、政治的な意思を表明する人が、普通の市民として生き辛い世の中ではあったと思うんです。そういう中で遊離してしまった人をそのように呼んだというのはあるでしょう。

そういう世の中を作ってきたのは、軍部の流れをくむ人脈を含んだ自民党であって、結局は戦前をそのまま何も振り返らないで戦後に引き継いできたつけとして今の状況があるのだといえます。

ほんとうにこれではいつまでたっても「起」は始まりません。

「中国紙 日本への原爆投下連想させる広告」(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140708/k10015832751000.html)は外相の反応は当然とはいえ、広島出身者としての発言として原発と原爆を分ける思考は疑問です。事故の直後に大いにそれは反省されたはず。

長崎は原子力ムラの学者を養成していましたし、日本人は広島長崎を説得力を醸すツールとしてバックにし、原発推進機関であるIAEAの要職を得ました。広島は戦後に食いつばまれた印象です。

またこういった反応は石原・野田に端を発するものであって、そのことをしっかり報道して踏まえた上で中国の暴発を咎めなければいけないといえるでしょう。

安倍の靖国参拝や憲法を無視した集団的自衛権の行使容認が無ければ日本の外交的な完勝であるというのに、ほんとうに安倍は中国のプレイヤーなのだといえます。

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