続いて行って参りました。
ミニチュアの展覧会らしく、縮み志向の日本の清華といえるでしょう。根付よりも更に小さく、どのようにして作ったのかさっぱり見当のつかない物ばかりでした。
引き出しや机は本物そのままで、木目の細かい仕上げが美しいです。是非これでアリエッティを作り直していただきたい(笑)
「三友棚」ですとか、極小の茶筅、蓋付きの壷の焼き物が美しく、風雅の極み。他に屏風とかも小さいのがあったんですけど、どんなものでも、雅趣を損なわないことが、ミニチュアとして完成させる無言の基準になっているように感じました。どれも独立した絵としてもとても綺麗です。
虫眼鏡もあったんですが、それで観ても完璧!
心が美しい方の様に、どこまで拡大しても完璧な美しさです。
「絵入細字百人一首」ですとか、書かれている絵・書ともに細かく、拡大されても書けないだろう、といった感じでした。
たばこ盆などを作っていた人たちが、仕事が減りつつある時に、その技術を結集して作ったものなのだそうです。
展覧会タイトルの小林礫斎は本人が職人ですが、各分野の職人を統率して作っていたそうで、小林礫斎工房作といった感じなのだそうです。各分野の一流の職人の「強力な横の繋がり」が物をいって作られているらしく、これは日本の職人文化の特徴といえるでしょう。飛鳥建築は「大工一人ひとりが棟梁と同じ腕前をもち(中略)人間のヨコのつながりで完成していた」(宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み 88ページ)らしく、現代のホンダのかつての意思決定の過程・組織構造などは、こういったものが遺存したものだといえると思います。
もととなる江戸時代の玩具も置かれていたのですが、こちらも凄く、また、極小のお手玉、剣玉など、実用的に面白そうな玩具が多く、簡潔な用の美を備えていました。見立て文化の一種、ともいえるかもしれません。
江戸時代に継承されてきたものが、最後にマニアックな花を咲かせたもののようで、各分野の職人がいなくなるにつれて、完成させることが出来なくなって、放置された作品も多数ありました。実用を離れた装飾性という面から言えば、並河靖之の七宝とかと、同一線上に並べられる文化運動なのかもしれません。ただ、それよりも品が更に上かもしれませんね。
驚きと、江戸・明治の職人の技術を体感されたい方は、どうぞどうぞ。
コメント