古代オリエント博物館 日本メキシコ交流400周年記念「古代メキシコ・オルメカ文明展-マヤへの道」

#その他芸術、アート

行って参りました。
アメリカの古代文明でよく言われることは、時代が下るたびに建築技術や科学技術の水準が落ちていることで、そういう延長線上で考えるなら、最古のオルメカ文明は最も発達していたということになるでしょう。
不思議な話だな、と思っていたんですが、日本でも飛鳥以降建築水準が落ちているといいますし、中国でも商の青銅器は、以降でつくれないそうですから、そういう中では自然な話でもあります。

実際に非常に高度な暦なり技術を持っていたそうなんですが、なにぶん古く資料が僅少で、遺跡の偽造も横行しているらしく、よく分からないみたいです。
そういう中で、この展覧会のもとになった美術館のものは、信頼できるとのことです(笑)

ヘルメットが好きな文明だったらしく、一番最初にはヘルメットを被った巨石のレプリカが。中国の商ですとか、青銅器の兜をかぶっていたそうなので、似たような感じですかね。
権力者が被っているという説と、球技の競技者が被っていたという説があるそうです。
3キロ余りのゴムボールを使っていたらしく、世界最古とのこと。レプリカを持てたんですけど、結構重厚ですね(^_^;)

翡翠の石斧ですとか、中国の古代文明ののりで、やっぱり近い感じですよね。
ずっとむかしといえば、白川静さんが「「吾は誰の子なるかを知らず、帝の先なるに象たり」(「老子」第四章)というのはね、「自分は一体どういう素性の者であろうか、帝よりも先にわしが居ったように思える」。全てのそういう存在より先にね。先験的に意識があったように思えるというんだろうね。これなんかどういう意味だろうかと思うけれどもな。」(呪の思想 134ページ)と言われていましたけど、これは仏教の理論で説明できるのではないかと思います。

お釈迦さんが最初に説いた説法。いわゆる縁起の法則ですけど、これはお釈迦さんが悟ったときに何を悟ったのか、と考えて直感を整理したものなのだそうです。このことの華厳的な表現がインドラの網である、といえると思います。
つまり人は悟りを開くと、インドラの網のようなものが強く実感として感じられるということがいえると思うんですが、このインドラの網は空間的な方向だけではなくて、時間軸の方にも伸びているんですよね。
親がいるから子どもの自分がいる、というのは直接的な繋がりですけども、それ以外の間接的なものも含めた、全ての時間軸の結果が自分の中に凝縮している、ということを強く感じるようになるようです。
そういう時に何か不思議な、ずっと昔から自分がいるような、そういう気分になる。その事を書いたのが冒頭の老子の言葉ではないか、ということが、仏教の理論上からはいえるのではないかと思います。

翡翠の首飾りは泉に捧げるらしく、メソアメリカ文明に特徴的ですよね。

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