この前のスタジオパークのRAG FAIRの回は面白かったですね。あの違いでチームワークを保っている所が凄いですよね。
住吉さんは歩く所とか、相変わらず反応がよかったですよねぇ(笑)腹巻と黒ストッキングが色っぽかったですね。
どれみふぁワンダーランドは実は録画しているんですけど、あんまり観られていないんですよね。中ではアキラさんのスーダラ節解析が面白かったです。あの中に戦後の日本が全て詰まっているような気すらします(笑)
当日は特別展を見る時間は無かったので、行って参りました。
やはり、特集陳列「仏像の道-インドから日本へ」は良いです。
仏伝「託胎霊夢」はブッダを身ごもる夢を見た、というもの。仏伝のシーンは灌水とか相撲とか、風習に近い所がありますよね。
仏像コーナーではそっくりな「十一面観音菩薩立像」を三体。形式的な物と写実的なものとその中間を並べたもので、面白い企画です。よく違いが分からない位だったんですが、形式的なものは平べったいんですよね。湛慶の写実的なものは、細かくふくよかさが表現されています。
神は細部に宿る、といいますが、細部の工夫を止めた時に、形式化するのかもしれません。
「毘沙門天立像」は重厚な、痺れる力作。佛師の心の内の太陽がみえる様ではありませんか!
浮世絵では北尾重政の「品川君姿八景」が、厚ぼったい着物の流れと彫の抑揚が、面白かったです。
歌川広重の「京都名所之内・金閣寺」は、みんな金閣寺に登って遊んでいる図ですが、楽しそうです(笑)
「山海愛度図曾・人形になりたい」は美女が人形を抱いている図で、良牙君といいますか、昔から考えることは変わりません(笑)
根付では「蘭亭」という作者のものがどれも可愛らしく、作風はあるものです。「東方朔牙彫根付」は巨大な桃がおめでたくもぷりっとした、おじいさんが愛嬌のある根付。
それにしても、根付は代表的だといえると思うんですけど、江戸時代は色々あって、ちょっとした文化でも結構厚みがあったりして、なかなか凄いんですよね。
司馬遼太郎さんはやはり、物事を観る目に独特の鋭さがあって、「例えば江戸時代展という重厚な展覧会が企画されるとすれば、世界じゅうを圧倒するに違いない。”文明開化”のはずの明治は、とても明治展として世界のひとびとに見てもらえる内容をもつことができない」(以下、無用のことながら 185ページ)と江戸文化を評しています。
やっぱりこういう眼があったから、色んな人から支持されたんだと思うんですけど、同じページで「江戸時代は文明であった」という表現を採っているんですよね。
司馬遼太郎さんは「アメリカ素描」で文明とは合理的なもので文化とは非合理なもの、ということを書いていましたけど、額面どおり読んで、文明と文化では文明を上位においていた人なんですよね。とりあえず並列しているようには書いていますけど。
また、「文明はかならず衰える。いったんうらぶれてしまえば、普遍性をうしない、後退して特異なもの(文化のこと)になってしまう」(以下、無用のことながら 109ページ)とも書いています。
鉄道を飛行機に例えるように、江戸の壮麗な文化総体を文明に例えているんだと思うんです。
これの真逆が白川静さんで、「ヨーロッパの文明は私は強弱を争う戦争の所産であると、考えています。そしてアメリカの文明もまた、支配の所産であると考えています。あれは本当の文化ではありません。文明であるかもしれんけれども、文化ではない」(文字講話Ⅳ286ページ)と書かれています。文化というものを、文明より上位に置かれていたと思うんです。
この二人は他にも間逆の所があって、司馬遼太郎さんは一貫して共通日本語の成立に興味があった人で、個々の作家の文体については、あまり興味が無いんですよね。一つのセンテンスに二つ以上の意味が入る文章は悪文だ、ともいっていました。
一方、白川静さんは字通の編集の際に「なるべく独自の主張をもち、独自の表現をもつものをえらんだ」(字書を作る 300ページ)そうで、文体の独自性を重要視されています。
つまり司馬遼太郎さんという方は、国内的な、私的なものより、無国籍的な、一般的な基準を重視した人だったといえると思います。
これはどういうことであったかというと、司馬遼太郎さんの社会で果たした役割のひとつとして、グローバリズムの時代の露払い、という面があったと思います。
もう一つは、「この頃、著書の中で司馬さんは「公が大事だ」とおっしゃっている。私は、人格が大事だということを言っているんです(西澤潤一)」(八人との対話 文庫版337ページ)といわれていましたけど、司馬文学とは「公」の文学であった、ということがいえるのではないかと思います。それは公共性の原理であり、ノモス的な世界だった。社会に対して本質的にノモス的に働いたのではないかと思います。
司馬遼太郎さんは独創性を大切にする人でしたが、全体としてみたときに、そのことが社会に与えた影響としては「「個性」を大事にする時代になったといいますな。しかし、私たち職人から見ましたら、みんな規格にはまった同じ物の中で暮らしているようにしか見えませんのや。使っているものも、住んでいる家も、着ている服も、人を育てる育て方も、そして考え方まで、みんなが同じになっているんやないかと思っております」(木のいのち木のこころ―天 (新潮文庫) 4ページ)と西岡棟梁にいわれてしまうような個性が、社会に広まる位のものだったのではないでしょうか。
戦前から戦後の日本は「近ごろの大工は寸法はやかましくいいますが、木の癖は問題にしていませんな。(中略)こんなことで造っても木の耐用年数の半分も持たされません」(同153ページ)といったような社会を組み上げてしまったのではないでしょうか。
木でいえば節の部分ですか。最近は社会に活気が無いといいますが、人人の癖を生かして社会を組み上げれば、活力というものは幾らでも自然に湧いて来るものではないかと考えています。
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