出光美術館 生誕260年 仙厓 ―禅とユーモア―

美術

仙厓さんなので、行って参りました。

仙厓さんの絵ですけど、これは仏教の説話を描いたりしたものが結構あるんですよね。これは一見僧侶として当然のことですけど、例えば盤珪さんは誰に説法するにも誓って経典や祖録の言葉を用いなかったそうです。つまりそういうことで説法をすると、その説話の固定化された意味に捕われて、本当に伝えたいこと、その先にある「不生」が伝わらない恐れがあったからだと思うんですけど、その辺を仙厓さんはどう思っていたのだろうな、と思いました。

「らいさんやきいも画賛」の「らいさん」は我がPCが誇る花園IME辞書でも出てこないような禅僧で、皇帝のお召しより焼き芋焼きを優先したという逸話の持ち主なのだそうです。
この話も絵を貰った人は分かったのかな、と思うんですけど、他にも仙厓さんは、分かり難かったり、その指し示す所が明瞭では無い様な絵を結構描いているんですよね。

「意識と本質」の54ページによると、新古今和歌集では「眺め」という言葉を使うことによって、「この「眺め」の焦点をぼかした視線の先で、事物はその「本質」的限定を超える」事を目的としていたそうです。つまり、新古今の定着した言葉の世界をぼかすことによって、その先に深いもの―――普遍的本質―――を醸そうとしていたそうです。

そういう視点で仙厓さんの絵を観ると、この適当さは説話の定着した世界をぼかすことによって、その先に深いものを醸そうとする、仙厓さんの工夫なのではないかと思いました。
絵の中に込められた本質、真実性の感化力を期待していたのではないか、と思うのです。つまりお札的というか、真言的な要素を絵に込めているのではないかと感じました。

「絶筆碑画賛」によると「今までで書き与えてきた書画の事を思うと、今となっては恥ずかしいばかり」とあって、これは説教の向こうのもを説きたいと思いつつも、説教をせざるを得ない恥ずかしさが込められたコメントだと思います。
そう考えると今回の展覧会の解説は、「説教臭いんですけど、みんなにユーモアで合わせている仙厓さん」といったイメージに、少し傾いているのではないかと思います。
例えば、「大黒・恵比寿画賛」に、本当は仏教の教えを描きたいのだろうが、庶民の為に大黒・恵比寿様を描いた、との解説がありましたけど、少し違うのではないかと思います。

説教をすることに、少し躊躇う所、考える所があったのではないか、というのが僕の仙厓さん像なんですが、どうでしょうかね。
また全体として、仙厓さんがあえて残したであろう、絵のぼやけた部分を残しつつ解説するような解説が読みたかったです(容易ではないですが

本展覧会は表具も結構良くて、茶系、クリーム系の表具が仙厓さんの雰囲気と良く合っていたのではないでしょうか(予想

「野狐禅画賛」は野狐禅の元になった逸話を描いた図で、「悟った人は因果に左右されない」と、あるお坊さんが言ったら、狐になってしまったというお話です。
これは人は、悟っても(悟ったら)現実世界の中で暮らしているということでしょう。
ヘーゲルは信仰する人が現実世界にも所属していて、利益に配慮することを指摘して、信仰は二枚舌だ、といったそうですが、この説話に習って禅について言えば、二枚舌ではない禅は禅ではない、ということが出来るでしょう。

仙厓さんの楽しむ姿勢ですとか、博物学であるとかは、仙厓さんのまっとうさをを自然に示しているものだと、感じます。

「狗子仏性画賛」は犬に仏性があるかないかという有名な禅問答を描いたもの。ほんわかした絵柄からは、どちらでも良いんじゃないの、といった雰囲気が伝わってくるように思います(笑)
この問題を禅問答としてではなく、論理的に取り上げたものに、白川静さんが日本の思想的成果の一つとして挙げた「勘の研究」という本があって、「神秘説とするならば(中略)私はそれを甘んじて受けよう」(講談社学術文庫版328ページ)とまで書いて、動物は悟っていると力説します。
やっぱり動物の美しさとかをみていると、こういう風に言いたいことも良く分かるので、私もこれに与したいと思います(笑)やっぱり動物はかわいいですよね。
ただ、あんまり環境の悪い動物園の動物は悟っていないかもしれません(笑)
この本は今の目でみて、非常に立派なものだと思います。

「南泉斬猫画賛」は中国のお坊さんが、議論の的になっていた猫を切り捨てたことで、皆の妄執を取り除いたというお話なんですが、仙厓さんはこの絵でその説話そのものを斬り捨てたそうです。
日中の生き物に対する感覚の違いが表れているんじゃないかと思うんですけど、そう考えるといわゆる神道の影響といえるでしょう。

「三聖画賛」は神仏儒の教えはそもそも一つ、ということで、釈迦・孔子・神官っぽい人、がみんなで鍋のようなものをつついている図なんですが、当時の中でも神仏儒習合っぽい要素が強いお坊さんだったといえるでしょう。
「阿弥陀如来図」によると、阿弥陀さんも好きだったようで、霊性の総合しょ・・オールラウンダーといえるでしょう。

「臨済・徳山画賛」は「禅では徹底していればこそその真価が表れるとして過激すぎるほどの行動や言動もむしろ尊重します」しますとのことで、そういった象徴的な二人を描いた絵。

「蕪画賛」は仙厓さんは蕪を手本に坐禅を組めといっていたそうで、平べったい蕪から伝わってくる物があるように思います(笑)

「臨済栽松画賛」は臨済の喝と黄檗の棒として有名な二人の、応酬の逸話を描いたもので、この人たちや「臨済・徳山画賛」の徳山といった人は、純粋な意味で拳で語り合っていたのかもしれません(^_^;)

一行書「一日不作一日不食」は百丈懐海の、重労働の農作業をする師を見かねて弟子が農具を隠したところ、師が自分の為に耕しているのだ、といったというお話。
禅と作務の関係や、仙厓さんの労働観を示しているのではないかと思います。

遺愛の品々も「書画入煎茶碗箱」をはじめ、素晴らしかったです。確かな禅の基準点といいますか、毎回来ると非常にさっぱりとする展覧会です(笑)ありがとうございました。

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