太田記念美術館 蜀山人 大田南畝 -大江戸マルチ文化人交遊録-後期

#その他芸術、アート

行って参りました。
行く前に惹かれたのはやっぱり、チラシの南畝の姿ですね。猫が眠るように丸く座っている姿が気持ちが良さそうで、きっと良い雰囲気の人だったんだろうな、と思わせました。こういう肩に力が入っていない在り方が、江戸の庶民文化の素晴らしさです。展覧会には南畝の肖像画が沢山有りましたが、南畝も没後暫く経った明治には、背筋がピンとした姿で描かれていて、ああ、明治だな、と思いました。

電車の中では「玄奘三藏」という本を読んでいたんですが、途中で顔を上げるとビックリ。チベット仏教風の糞掃衣を着た方が吊革を掴んでいらっしゃいました。なんと親切な本でしょうか(違)インド系かと思える彫りの深い顔で、流石だと思いました。話しかけたりはしなかったんですけど、尊敬の念が伝わるように目線を送っていました(不審)

太田記念美術館は、なんとなく朝10時に開くんだと思っていたんですけど、行ってみたら10時30分に開くとのことで、時間までの間、明治神宮に行ってきました(笑)雨上がりで地面が水をたっぷり含んでいて、靄がかかっていて良い雰囲気でした。菖蒲園ですとか、宝物展示をやっていて、有料だったので行きませんでしたが、楽しそうだったので今度行ってみたいと思います。宝物展では船中八策や西郷隆盛の書があるそうで、面白そうです。以前にテレビで見た西郷隆盛の書は、特異的な雄渾さがあって凄そうでした。
しかし日本語より良く聞こえてくるのが中国語です。最近日本に何か大きな変化が起こりつつあるのを感じます(笑)それにしても、明治天皇を祀る神道(しかも国家神道っぽい)の施設にツアーで押し寄せているわけで、ある面大らかな民族だと思います。韓国では日本アニメの鳥居がNGだったりするそうなので、かなり違いを感じます。なにか、この違いを外交に生かせたら良いですねぇ(国策)

大田南畝が絵に狂歌を沢山書いた、親しい絵師に鳥文斎栄之がいますが、この2人の合作はどれも非常に良かったです。栄之の静的な絵と南畝のクセの有る字と内容の取り合わせが絶妙で、相性というのはあるものだな、と思いました(笑)
栄之の描いた南畝の肖像画が何枚も有りましたが、どれも格別に素晴らしく、画面に知性と柔和さが横溢していました。

南畝の狂歌は、庶民的な意味での快楽主義的な陽気さと、知識に裏打ちされた高いパロディ能力が窺えました。たどたどしい、墨絵の雰囲気も結構良かったです。
ただ、南畝に限りませんが、この頃の狂歌師の歌は、政治的な素材は余り扱えないから、結局問題の本質に迫れ無いので、諧謔すればするほどに閉塞感を感じるような所があります。中々大変な時代です。

展示は漢文の本が開いてあるだけ、といったものも多かったです。漢文は白文の読みがそもそも怪しい上、草書で書かれているものも多く、歯が立たない文章が多かったです(笑)更には古典を知らなきゃ本当には分からないわけで、大変なものです。
江戸の漢文レベルの高さは空前のものだったといいますが、それを肌で感じました(笑)そのレベルに近づけたら良いですねぇ。
ただこういうのは雰囲気が大事、でもありますので、展示としては煩わしくなくて良いものだったと思います(笑)

南畝以外の狂歌師のものも充実していました。
酒井抱一・鈴木其一・青木南湖の合作に亀田鵬斎が文を添えた物が有って面白かったです。抱一らしい端然とした鶴が其一の松に留まっているのですが、この松の葉が車のワイパーの一本に絵の具を含ませて動かしたような一筆書きで、素人っぽいので南畝が描いたのかな?と一瞬思いました(笑)其一という人は飛び切り繊細な絵を描くかと思えば、こういう稚拙にデフォルメをしたような絵も描く面白い人です。ただ墨の含ませ方は絶妙で、これはこれで変わった質感があって、其一は質感の人である、という印象は一貫しています。
南畝の親友の亀田鵬斎は良寛和尚の逸話に良く出てくる人で、良寛さんの滅茶苦茶凄い人、といった役割に対して、結構凄い人といった感じで出てきます。文化的素養が豊富なお陰で、良寛さんの凄さが良く分かるので、一種のレフ板の役割を果たしています。という訳で、私には鵬斎は長岡でのイメージが強いのですが、一方で江戸では文化サロンで中心的な役割を果たしていた人だったとの事で、今回の展示で本当にそうだったのか、と感心しました(笑)

北斎の風俗三美人図というものも有りました。着物の上から骨格が透ける様な実在感が有って、添えられた狂歌共々、女性の生活の重みを感じさせるものでした。

狂歌師はペンネームが凝っています。
知恵内子という人が居て、「ちえのないし」と読むそうです。ちえないし、と読めれば現代風の砕けた感じがして、面白いのですが(笑)この人は女性だとの事です。

一つ書き写すと、鹿都部真顔の「浄土にて剛者といはれたし 世界の人のしんがりをして」という句を含んだ狂歌が面白かったです。要するに長生きしたいという事ですね(笑)

大田南畝は「浮世絵類考」という浮世絵師の便覧のようなものを書いています。数少ない写楽についての記述がある資料ですが、そこでの写楽に対する評価は芳しくないものです。
地下の展示には、歌舞伎堂艶鏡の「三代目市川八百蔵」と言う作品があって、写楽風の迫真の表情をした大首絵だったのですが、やはり南畝はこの人を貶しています。つまり南畝は優雅さに欠ける作品は余り好きではなかった様で、サロンの中心人物らしい保守性なのかもしれないし、漢詩を人生の中心に置いていた風流人らしい認識だともいえると思います。
とはいえ、あの歌麿だって写楽を評価しきれて居なかったわけですし、私は南畝の醸し出す、飄々とした雰囲気がとても好きです。それに、こういう画期的な本を書く位ですから、人に対する興味も強かった人なんだと思います。片山杜秀さんの様な傾向も持っていたのかもしれません、
ちなみに横には歌川豊国の「三代目市川八百蔵」の大首絵もあって、これまた見事でした。「三代目市川八百蔵」という役者は、若々しい華が有って素晴らしいです。きっと凄い役者だったに違い有りません。

黄表紙という分野は江戸の超重要文化で有る事は知識として持っていたのですが、実物に接する機会が皆無で、実感が沸かなかったというのが正直な所だったのですが、今回の展覧会でその感覚の空白の幾らかを埋める事が出来ました。重要でありながら扱いにくい、大田南畝という人間を丁寧に展示して下さって、有り難かったです。

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