東京国立博物館 足利義満600年御忌記念「京都五山 禅の文化」展 ⑥展示期間

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凄い物を見てきました――――――(マニア以外には大げさ度500%)

最初の方は、まぁ、面白いんですけど資料的なものですね。禅師達の像もやはり生前の当人を知っている人が見てその法なり徳なりを思い出すといった面が製作の過程から見ても強いと思うので、やはり資料的ともいえます。
とはいえ、目に水晶を使ったと思われる物が幾つかあって、円らな瞳がとても映えていましたし、それ以外にも一像一像が独特の空気を纏っていて禅風を偲ばせました。

最近気が付いたんですけど、禅僧の書って書の歴史全体から見ると異端ですけど、禅僧の内だけで比べるとみんな結構似ているんですよね(^_^:)太くて勢いの良いものが多いですけど、もうちょっと恁麼の人の気質を示した変幻自在な書もあっても良いと思うんですけど。
そういう点から見ると夢窓の「別無工夫」は禅が日本に定着する以前の人の書だけあって、どっしりしている中にも繊細なバランスが有って結構感動しました。言葉も実に良い言葉です。
今資料を見ていたんですけど①②期は夢窓問答集が有ったんですね。少し見てみたかったかもしれません。

絵で良かったのは陸信忠の「十六羅漢図」です。南宋の人が描かれたという事で、インド人がインド人らしく描かれていました。場面はかなりえげつい物も有りましたが、グロテスクに陥らず猟奇を強調せずに自然に描かれている所が良かったです。山水画張りに三つぐらいに絵の階層が分かれていて、その様相の違いが劇的な効果を生み出していました。
水墨画は守拙の描いたものに一休が賛をつけた「山水図」が、山の孤高を感じさせる良い絵でした。

仏像は正直余り期待していなかったんですど、どれもこれも凄まじかったです。仏像展の時と比べても江戸時代のものを別にすれば上廻る質だと思いました。
圧倒的に凄かったのが性慶作「宝冠釈迦如来坐像」で、限り無く神聖な佇まいとその清澄な空気はとても表現できません。光輪というのはややもすればとって付けた様になり、下品に陥ることが有るのですが、この像の半身を覆うほどの光輪は光を放っている様に見えず、敢えて言えば光りの本質だけを照射しているような滋味が有りました。例えるならブラックライトのようなものといえるかもしれません。この像の前だけを数十分間うろうろしていたんですが、少し怪しいと思われたかもしれません(笑)
もう一つ凄かったのは京都・慈照寺の「阿弥陀如来立像」で、繊細な細工は現代の粋を凝らしたチョコレートケーキの様です。衣服にしても極めて薄く細やかで、乗っている蓮の花は重みをギリギリで受け止めて撓っているように見えます。足利義政のお気に入りの仏像だったそうで、仏像も日本文化の一つの源流とも言われる義政も流石です。
個人的に小さい物が好きな傾向が有るのでこれらの仏像を高く評価してしまうのですが、慶派の手になる京都・養源院の「毘沙門天立像」も同格の品でしょう。やはり迫力は素晴らしく、大柄でも隅々まで神経の行き渡っている造形が素晴らしいです。
京都・相国寺の「迦葉尊者立像」も一休の様なちょっと胡散臭い表情が生々しくて良かったです。
京都・聖住院の「十一面觀音菩薩坐像」も持っている水瓶と植物等本当に上手く作って有りました。

とにかく最後の仏像たちに圧倒的なインパクトが有った展覧会でした。最初の方は良い造形物を見る喜びというより歴史の勉強をその芳香と共にさせて頂いている感じでしたが、最後の方は本当に心の深い所に訴えかける逸品ぞろいでした。後々まで記憶に残るでしょうし、嗜好の分岐点となりそうな個人的に特別な展覧会でした。

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