東京国立博物館 特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」

#その他芸術、アート

一昨日のTBSの津波と言い伝えの特集は面白かったですね。
神社が軒並み津波から逃れている、ということですけど、文字通り避難所。アジールだったんでしょうねぇ。

福島原発の土台を削る所を記録した映像の名前は「黎明」でしたけど、国家神道っぽい名前で、戦後にしてそういう感覚がまだ続いていた、といいますか盛りを迎えていた事を感じずにはいられませんでした。
江戸時代は誰も知らなかった天皇をいきなり古代と結び付けて権威化する明治~昭和のキッチュでマッチョな作業です。
天皇の権威とそれとの結びつき、というのは戦後の公務員の中でまだ生きていたようですね。

その学問の内容はまさにハリボテで、過去に大規模な津波が来たという積極的な証拠は見つけられなかったという東京電力の答え。内容もさることながら「積極的」という言葉が凄く駄目ですね。

過去の言い伝えのようなものはまったく無視されているわけで、これは戦後の社会が東洋哲学の豊かな内容に無頓着なのと軌を一にしていると思います。

宿場町が軒並み津波から逃れていることを解説された平川新さんは、動いているのを初めてみましたけど、流石に優秀そうです。

一方、昨日のサンデーモーニングでは寺島さんがまたでていましたけど、内部被爆や汚染による恒常的な被爆をCTに例えて解説するなど、相変わらずどす黒かったです。
しかし、さらにどす黒いのはそういうコメントを喋らせるTBSですけれどもね。。

行って参りました。

やはり目立ったのは文字資料。孫文の「同仁」はいわゆる一視同仁で、韓愈の詩から取った博愛的なことば。奥方には「「賢母」の羽織」を贈った模様。
僕は前から結構、孫文の書が好きなんですよね。

梅屋庄吉の「積善家」の書もなかなか。

梅屋と孫文の付き合いは一つの繋がりであって、それぞれ違う革命家・日本の協力者と付き合いがあったそうです。
そういう人たちが集まって、中国ツアー、、、じゃなくて、中国から志士がツアーで来て日本の協力者と集っていたらしく、「革命の志士の寄せ書き衝立」は誠とか愛とかそれぞれが好きな言葉を書いていった衝立。ここにあるのは、東洋であって、漢文です。

梅屋庄吉が私財をはたいて支援をした理由はいくつもあるそうですが、人は魂にこそ価値がある、という考えから、というのがありました。

また、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という格言に従った行動でもあったそうで、これは剣術の格言だと思うんですけど、日常生活に転用していた人も結構いたんですね。
今日の梅屋家の子孫の栄誉は疑いも無く、この戦略はまさにあたったといえるでしょう。
方向性が正しければ、後は突っ走れば何とかなるものです。

剣術の格言といえば、坂本龍馬は「丸くとも一かどあれや人心 あまりまろきは ころびやすきぞ」という小栗流の極意歌(の様なもの)を詠んでいたらしく、人生の心得としていたみたいです。
これだけみても、「竜馬がゆく」の暗殺シーンの竜馬は刀を嫌悪していたので身近においていなかった、という記述はあんまりですし、早い段階で刀に見切りをつけたのが他の武士との違いだった、みたいな記述もあんまりです。

幕府は早い段階で農民による歩兵を活用しようとしていたらしく(開国への道 (全集 日本の歴史 12)平川 新 (著) 342ページ)、ミニエー銃によってはじめて「鎧・具足が役に立たな」(慶喜の捨て身―幕末バトル・ロワイヤル 野口 武彦 140ページ)くなったそうです。そういった中から龍馬の先見性を位置づけるべきだと思います。

また、近藤勇が広島行きの際に出した手紙をみると、「邪正共に引きまとめて公明正大の議論を展開し、先方から破綻を引き出すようにすれば、必ず敵方の邪正を引き離せることと信じています」(慶喜の捨て身―幕末バトル・ロワイヤル 野口 武彦 101ページ)とあって解釈が微妙ですが、「五輪書」の「我兵法におゐては、身なりも心も直にして、敵をひずませ、ゆがませて、敵の心のねぢひねる所を勝つ事肝要也。能々吟味あるべし。」(岩波文庫 122ページ)の影響を感じます。剣の理合いが論戦の場で生きていたのだと思います。

また同じ著者の「天誅と新選組―幕末バトル・ロワイヤル」(194ページ)によると、池田屋の会合に桂小五郎が出席しなかったのは「動物的な危機察知の本能が閃いたとしか思えない運の良さ」らしく、だとしたら剣豪桂小五郎の面目躍如です。幕末は色々な意味で剣術に満たされた時代だったのだと思います。

「武術格言から読む日本史」という本があったら三千円まで出す準備があるんですけど、誰か書いてくれないものですかね(^_^;)

写真では「横浜からの富士山」がやたら富士山が大きく、こんなに良く見えるんですね。

他にも色々ありましたけど、やはり2章の「孫文と梅屋庄吉」が圧倒的に印象的で、これから幾度も来るであろう中国・アジアの変動のなかで優れた避難所。アジールでありたい、と日本人として襟を正されました。貴重な資料をみせて頂いて、ありがとうございました。

平常展では善光寺本尊を模した仏像群も、童子切綱安をはじめとした刀も、光琳の八橋蒔絵螺鈿硯箱もいつもながら素晴らしいです。

夏休み特集陳列では「運慶とその周辺の仏像」が小部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に、嘘だろ・・・と思わず呟いてしまうほどの名品群で、「十二神将」の凄まじさが異常の一言。
JR東海のCMで流れている感じのものですが、あちらは天平時代で、こちらの鎌倉時代の慶派の作品群は更に激しく、その中にも仏像的な人間的充実を湛えています。
「流転の運慶仏」など他にも充実していて、夏休みは東京国立博物館に行くしかありません!!!

以降の観覧はちょこちょこみてはここに戻ってくることの繰り返し。

同じく夏休みの特集陳列の「親と子のギャラリー「博物館できもだめし-妖怪、化け物 大集合-」」が本館はじまって以来?の解説が充実した練られた展示で、面白かったです。情報量が他の展覧会の0.8つ分くらいあったかもしれません。

国芳のお化け絵画の数枚がユーモラスで印象的で、この前の国芳特集になかった系列の作品なので、その無尽蔵の懐の深さに感銘を受けました。
歌麿の天狗の絵も珍しいです。その師匠の鳥山石燕が、語り継がれてきたお化けたちを図像化したらしく、彼が勝手に作った妖怪も多いのだそうです(^_^;)ここにげげげに至る系譜がはじまるものと思われます。

ちょっと変わった格好といえば、一昨日のさっしーの、ゴム手袋を割るのは大変でしたけど、本当にお大事にして下さい。
体調管理が大変なお仕事ですけど、気温変化にはお気をつけください。

柳田國男の「妖怪は神の零落したもの」説についてもちらっと書かれていましたけど、これは「ケルトの水脈 (興亡の世界史)原 聖 (著) 」に詳しい比較がありましたけど、欧米の妖精についての学問の直輸入らしく、どうも色々な学者さんが仰る通り、疑問が多そうですね。
ちなみにこのケルトの本はアマゾンの書評にあるとおり、読んでもケルトについてよく分からない本で、こういう民俗的な部分が一番面白かったです(^_^;)

この展覧会のプリントがもらえるとの事が書いてあったので、受付に行ったのですが、他の特別展示のプリントまで貰え、本館の特別展示はカウンターで言えばプリントをくれる事を初めて知りました(^_^;)もっと周知した方が良いかも?

もう一つの特集は「歴史資料 お城―軍事施設から政庁へ」で、お城の敵を撃退する極めて合理的な構造と、呪術的ともいえそうな軍学の並立が面白いです(笑)

あやしくて買いきれなかったんですが、前に立ち読みした「山本勘助(講談社現代新書) 平山 優 (著)」にこの頃の軍学についてよく書かれていましたけど、こういう陰陽をみてなんちゃら、といったやりかたも直観力が優れていれば役に立ったんですかね?

一方で、この本には武田信玄の人間重視の姿勢が描かれていたと思うんですけど、乱世で一番信頼できるのは、しっかりした人間とその絆である、と情報が錯綜する福島後の日本をみるにつけ非常に強く感じます。

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