能と狂言

今日はふらっと能と狂言を観て来ました。

能というのは伝統芸能好きの私にも謎の領域で、高校の校外学習の時は寝てしまいました(笑)

こういうのが好きな私が寝てしまったんですから、他の人は余程詰まらなかったと思います。

今回は身銭を切って再チャレンジしてきた訳です。

狂言はなんと申しますか、吉本新喜劇の源流を感じました。

今週のNHKのアーカイブス映像は嵐勘十郎だったんですけれど、若いときに歌舞伎をやっているんですね。

勘十郎だけではなく当時の有名役者にはとても多かったらしいんですけど、そういうスターに成る為の所作の元のようなものが歌舞伎には含まれているんですね。

狂言にも所々でそういう力を感じました。

息の合わせかた、呼吸のはっきりしている事、所作のリアリティと狂言で要求されている能力は、現代の笑いで要求されているベーシックな能力と全く同じだと思います。

でも、ただ、狂言だけで現代の最先端のお笑いの上質な人間達のネタより面白いかと言われればそれは疑問です。

もっとも狂言に明石家さんまクラスを超えるような人材がいれば、また印象が変わるのかもしれませんけど。

所々でとても感心したり、古代的な間に珠に欠伸を掻いたりというのが今回の狂言鑑賞でした。

メインの能ですけど、能については結構予備知識を入れていったんですけど、高校の時よりは楽しめたものの、珠に睡魔に襲われたりしたのが今回でした。

あれは観ているよりやっているほうが楽しいのではないかなんて思うのですけれども。

地謡は実に日本的で、聴いているだけで腹に来る感じで流石では有りました。

といいいますか、実は雅楽の音楽会である、というのが能の本質なんですかねぇ。演者を見ていたのが良くなかったのかな?

良く能の舞台は心拍数を200超まで上げて、能面の下で感情を表現するんだといいますが、たぶん今日の人は高校の時に観た人より上がっていたと思います(笑)

やっぱり流石な所も散見したんですが、トータルで見ると単調に感じる所が多く、集中力を保つのは中々難しかったです。

歌舞伎や落語は最近やっと分かってきたのですが、能の真髄も是非感得したいので、これからも能については色々と注目していきたいと思います。

帰りにちょっと本屋に寄ってから帰ったんですけど、その帰途に演者の方が帰るところと遭遇しました。

シテの方の日本人っぽい風格は流石だなぁ、と思いました。同事に凄まじい権威を持っているんだなという事も感じました(笑)

なんだかんだいっても、日本の伝統芸のはこれ以上無い位充実していますね。

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