行って参りました。行こうかどうか迷ったんですけど、行って大正解でした。
僕が普段行っているおばかなコンサートとは違うだろう、と思って身だしなみをそれなりに小奇麗にして行ったんですが、これも大正解でした。周囲との調和を著しく崩す結果にならなくて良かったです。あぶない、あぶない。
野坂操壽さんと助演の小宮瑞代さんによる筝の演奏会です。伝統的な筝はそもそも13本の絃が張って有るのですが、野坂さんが伊福部昭さんの曲を弾く為に20絃、25絃と自ら改良していき、更に伊福部昭さんがそれに曲をつけたものが11曲有るそうです。邦楽のライヴに接するのは前回の「日本音楽集団」の時と合わせて二回目で余り詳しくないのですが、筝の表現力を極限まで追及した演奏会なのでは無いでしょうか。
「二面の二十五絃箏による日本組曲」は伊福部昭さん最初期のピアノ曲を筝に移し変えた曲で、盆踊・七夕・演怜・佞武多、という各地の祭りに取材した四楽章で構成されています。
「盆踊」はいきなり激しい音楽ですが、一転した弱音の部分が素晴らしく、静謐でモーツァルトのピアノソナタの良質な演奏を聴いているような感覚がして、痺れて腰が浮きそうでした(大袈裟で済みません。でも本当なんです)
「七夕」の演奏前に筝を変える為に野坂さんが舞台上を私の居る方角に歩いてこられたのですが、余りの迫力に一瞬、とてもたじろいでしまいました(笑)
伊福部昭さんの音楽の緩徐楽章の演奏は難しいです。氏の音楽の最大の特徴はリズムですけど、緩徐楽章は流石にそれが潜在的になるので、上手く演奏しないと音楽がぶつぶつ切れてしまうんですよね。ここで感じたのは筝の音の時間的な支配力の強さですね。平たく言えば、筝の音は一音一音は凄く短いんですけど、余韻が有って、間の持つ時間が音が鳴り終った後もかなり続くということです。それによって音と音の間が凄く生きていましたし、ややもすれば伊福部楽曲の持つ重たさも洗練された響きに収斂されていて、ピアノよりオーケストラより筝でやった方が勝るんじゃないかとさえ思いました。
「演怜」はいきなりベースの様な非和風な音がしたので、驚いてステージを注視したんですが、小宮さんが筝の端っこを手で叩いているんですよね。筝は色々な奏法が有るんですねぇ。しかも叩く場所によって音が違うようです。
「佞武多」が凄かったです。音楽も凄いですけど、野坂さんの動きが凄まじく、体もガンガンリズムを刻んでいますし、頭も振っておられました。ロックで言う所のヘッドバンキングですが、私には単に頭を振っているというより魂を振っているように見えました。ロックの中でも凄いものを見ればそういう印象を持つのかもしれませんね。僅かに長く伸ばしたもみ上げが、中空を舞う様で美しかったです。私は人の呼吸を読むのが得意なんですけど、最後の畳み掛ける所では、恐らく野坂さんは一分位息を吸っていない所が有ったと思います。オスティナートによる連打が圧倒的で、演奏終了後は凄い拍手が乱れ飛び、野坂さんは破顔一笑されていました。
二曲目の「二十絃箏曲 物云舞」は「日本音楽集団」のコンサートに行った時にCDを買って来ていたんですが、開封するのがまことに勿体無く、予習のためにということで前日に初めて聴きました(笑)その時も余りの音楽の気迫に驚いたのですが、予想通りといいますか、今回の演奏会では輪をかけて気迫に溢れていたので、驚いたし、痺れました。佞武多でも呼吸の事を書きましたけど、この呼吸を観る楽しさが今回のコンサートの嬉しい誤算でした。物云舞では特にゴジラが光線を発射する直前に背骨を伸ばすように強力に吸って、ウッと止めて、ずずいと前傾しつつ弦に力を傾注して弾く姿が印象的で、正に舞いの様でした。物云舞は平安時代の歌いながら踊る芸能で、詩の最後の句が4文字であるとか字足らずで終わるのを、最後の一音を舞いをもって補ったそうですが、この演奏における野坂さんの舞いも同じ役割を果たしたと思いますし、美しかったです。今回のコンサートの楽しさの比率を表すと、所作・呼吸3.5対音楽6.5、位でした。これはCDでは余り分かりませんし、好位地から撮ったDVDでも余り伝わらないと思いますので、本当にライヴを聴きに来た甲斐が有ったと思いました。
名曲の「二十五絃箏曲 琵琶行-白居易の興ニ效フ」は名前の雰囲気からなんとなく推察できる通り、緩急の激しい物云舞と比べると流麗な曲で、筝の美しい音色が際立っていました。そもそもがギターの為の曲を筝に移したもので、そのせいかトレモロが有ったりアルペッジョが多く、それを正確にこなす野坂さんの技術は素晴らしかったです。
「二十五絃箏甲乙奏合 交響譚詩」は第一回伊福部昭音楽祭でも演奏されていて、原曲と違う音が出ていた所が編曲の仕様なのかどうか僅かに気になっていたんですけど、今回は完璧といって良い位原曲通りだったので、やっぱり微妙な瑕瑾だった様です。きっと2人で沢山精進されたのでしょうか。一方日本組曲は(あんまり自信が有りませんけど)たまにあれっ、と思った所も有ったので、僅かに瑕が有ったかも知れません。野坂さんの気合が凄くて、例えるなら剣術家が踏み込みで床板を踏み抜いてしまうようなものだったかもしれませんが。
筝は音が短いので、二重奏、特にこの曲は音の横の線を揃えるのが難しく、聴いていて大丈夫なのにはらはらしました(笑)アインザッツの呼吸合わせ方は神秘の世界でした。
第一譚詩はやっぱり圧倒的な迫力で素晴らしかったです。第二譚詩は低音部を受け持つ小宮さんがメインと言っても良い楽章でしたが見事な表現力で、野坂さんと掛け合いのように味わい深い音楽を作り出していました。日本組曲と交響譚詩は2人の合奏なのですが、小宮さんは突き進む野坂さんに的確に呼吸を合わせていて、正に縁の下の力持ちでした。
アンコールは予告にあったにもかかわらず演奏されなかった「二十五絃箏曲 胡哦」の冒頭で、自然で侘びた曲でした。なんでも演奏されなかったのは時間の制約故だったとの事で、無尽蔵かと思わせる野坂さんの体力の前にホールの契約時間の方が先に尽きてしまったようです(笑)きっと本来の予定なら、胡哦と更にアンコールを何か用意なさっていたに違い有りません。感嘆するしか有りません(笑)もう野坂さんは釈迦とかタプカーラでも弾きこなしてしまわれるのではないでしょうか。
余談も余談ですけど、当然見ていないんですけど、演奏会の間にテレビでは「新撰組!」の特番の再放送をやっていたんですね。僕は以前やっていた本放送を見たんですけど、凄く面白かったので今でも印象に残っています。土方歳三っていうのは凄い合理主義者なんですよね。動き易いという事でいち早く洋装に切り替えたわけですが、当時の社会通念を知るにつけ尋常じゃないと思います。
筝っていうのは演奏する姿勢が凄く大変だと思うんですよね。実際に弾いたことは殆ど無いんですけど、書き物をするのにテーブルに体重がかけられないような状態に近いと思います。こういう姿勢を取る時に和服が体を格定してくれるんだと思うんです。長くなりましたけど、要するに筝の奏者にとっては和服が合理的なんじゃないかな、ということです(笑)
横の人がちょっと変わった感じの人で、休憩中には何やら楽譜を取り出して鼻歌を歌っていたので、てっきり音楽家の人かな?と思っていたんですけど、演奏終了と共に何やら外国語で叫んだのでビックリしました。いきなりで全く自信が無いのですけど、wow, she is happiness!(めっちゃうまい!)って言っていた様な気がします。微妙に分析的な言葉ですが、彼女(演奏会中は男だと思っていた)も筝をやるのかもしれないですね。
本番中は鬼気迫る表情をされていた野坂さんですが、演奏が終わった後の表情はとてもチャーミングで素晴らしかったです。凄まじくも楽しい演奏会でした。
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