今度の伊福部昭音楽祭で舞台で接することが出来そうな方々による唱歌集です。エッケルトは君が代の編曲を手がけた音楽家で、日本の音楽に理解の有った人だそうで、唱歌の伴奏を筝二面で書いています。が、実際には筝では扱えない音域で書かれているので、野坂さんが伊福部音楽用に編み出した絃の多い筝を使って、初めて録音できるようになったそうです(笑)
解説は片山さん・・・ではなくこの分野の権威の藍川さんで当然ながら凄く博識です。藍川さんと片山さんのカップルを見ていると、杉浦日向子さんと荒俣宏のカップルを思い出すんですよね。いや、あちらは荒俣宏が不誠実だった様で、違うと言えば全然違うのですけど(笑(断言)
筝の締まった音色が効いていて、洒脱に聴こえる所が良いです。明治の唱歌なんかが歴史番組か何かでたまに流れると古臭くて仕方が無く感じるものですが、それは編曲や演奏の故なのかもしれません。ちょっと時代は違いますが、前回の宇野先生の公演と併せてそういうことを感じます。
藍川由美さんは正確な歌唱が持ち味で、集中して歌っている様が伝染してくるのか、気軽にのんべんだらりんと聴くのには向かない演奏であることが多いのですが、伴奏の筝が端正ながらも和式の曖昧さを持っていて、そこら辺を中和しています。
「あふげば尊し」とか、こんなに格調高く歌われると、心ある先生方なら思わず自らの行いを振り返って恐縮してしまうに違い有りません(笑)
「秋の夕暮れ」が寂寥感たっぷりで気に入りました。「庭の千草」も良いな、と思ったら原曲がアイルランド民謡なんですね。アイルランド民謡は繊細な感じがして良いですよね。
筝三面合奏によるリヒャルト・シュトラウスの「ピッツィカートポルカ」は筝の音色をピッツィカートに見立てたという、異色で洒落っ気のある曲です。野坂さん小宮さん花岡さんの合奏は、どれが誰だか分かりませんが呼吸がぴったり合っています。表現も格別に素晴らしく楽しく、デクレッシェンドの味など極めて繊細で、音楽の醍醐味を感じました。
解説書に当時在来の音楽が「和声を持たない日本の音楽を音楽を認めることは出来ない」と外国人に批判されていた、と書かれていますが、これを読んで最近までのルネサンス期の音楽の扱いや、バッハの作曲の技術面の業績の高評価の理由の一部を見た思いがしました。やはりだんだん時代が下るにつれて偏見が排除されて行って、それでもまだまだでしょうが、現代は随分住み良い時代だなと思います(笑)
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