日本橋三越 生誕100年記念写真展 土門拳の昭和

#その他芸術、アート

券を頂いたので、行って参りました。
見に行く前のイメージとしては、土門拳はどういう人なのか、といえば、やっぱり浮世絵が写真に譲った役割を、主力として果たしてきた人なのではないか、と思いました。広重は安政江戸地震からの復興を描きましたが、土門拳は戦争と高度経済成長の歪みを、沢山撮っています。

最初の方は、仏像の写真が沢山あって、どれも良かったのですが、「室生寺金堂 十一面観音菩薩立像」が瓶を静かに持つ手が気持ちを伝える、素晴らしい仏像でした。

アラーキーも子供の写真を撮って世に出ましたが、子供の被写体としての魅力は凄いです。特に昔なら尚更と言えましょう。「伊豆 山女釣り(昭和十一年)」が昔の子供の闊逹さが爆発していて、楽しかったです。衆目の一致する所(多分)一番可愛らしかったのは「傘を回す子供 東京小河内村(昭和十二年)」で、子供が笑顔で傘を回しているだけなのですが、今思い出してもニヤニヤするほど、楽しそうな写真でした。ただ、今ちょっと調べたら、この村は今、ダムに水没しているそうです。

「出征兵士を見送る家族 銀座(昭和十二年)」はしなだれた和服美人が綺麗でした。
文楽では「楽屋の吉田文五郎 人形のこしらえ(昭和十六年)」が、人形を丁寧に世話している感じが良かったです。戦前も文楽を観に行く女性には、かわいらしい人が多かったに違いありません。

「砂川闘争座り込み 東京(昭和三十年)」は米軍機が電信柱の真上を、超低空飛行しているのですが、横のおばあさん達が話しているところによれば、威嚇をしているのだそうです(思い出した)

これまた横のおばあさんが指摘してくれたのですが、「那覇の市場 (昭和十五年」は道行く人々がみんな裸足でした。

有名人を撮った物も多く、鈴木大拙は意外と好好爺な感じ。柳田國男は堅物そうな感じででした(笑)山田耕筰はダンディで、ここでは真面目に写っていました(笑)少し久石譲さんに似ていますかね?久石さんといえば、ポニョの作曲について、「打ち合わせ時に、浮かんじゃったんですよ」、と言っていましたけど、山田耕筰にもこういう作曲の神秘があったに違いありません。(……)

特別にパネルが二つ使われていたのは藤田嗣治で、絵を描くだけではなく、色々な事をしていましたした。昔で言う数寄者風で、戦中は日本人らしい日本人が日本に生き辛い時代だったのかも知れません。お調子者な雰囲気に、前の子供の写真に近いものを感じました(笑)

「ヒロシマ」の写真は重要ですが、これは安易に感想を書けるものではありませんね……。

向源寺の「十一面観音菩薩立像」は久しぶり。土門拳の写真は仏像を彫刻ではなく、人間として捉えているような所に特徴があって、実際に観た時は遠くて見え難かった、顔面のアップが眼福でした。

「信楽 流れ薬の大壷」は土門拳が感じた味わい深さが、写っている良い写真。

晩年の風景を撮ったものでは、蛙が筍の先に引っ付いているものがあったんですが、跳ぶ前の力を溜めた一瞬の様で、もし普通の写真家だったら、跳んだ瞬間を撮ったのかも知れません。

時代の中の、人の生きようとか、そういう所に基本がある人のようで、直感的に言えば、阿久悠に似た匂いを感じました。

併設の「NHK「ハート展」」では、ピーコさんが描いた、ハートに蝉が止まっている絵が、心臓が実際にむずがゆくなる様な絵で、一番気に入りました。

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