東京国立博物館 開山無相大師650年遠諱記念特別展「妙心寺」 後期

#絵画

行って参りました。
この前ブックオフの半額セールに行ったら、三百円の半額でカタログがごろごろ。ばばんと買った訳ですが、全てみんな、昭和から平成になる頃に出版時期が集中しているんですよね。
きっと、当時好きで、良く展覧会に足をお運びなっていた方が、鬼籍に入られたに違いありません。そして、遺族がやむなく処分したのでは。。。。。多分、好きな人間に買って貰えたら本望ですよね。大事に使わせて頂きます。
・・・等と虫干しに精を出しながら、妄想していました(笑)

最初のフロアでは、「虚堂智愚墨蹟 尺牘」が、王義之の様な端正な魅力を持った書で、素晴らしかったです。
「利貞尼像」は、横のイヤホンガイドを聞いていたと思しき御婦人が呟くには、79歳の時の像だそうで、それでなお、ふっくらとした感じが残っている所が良い感じでした。
後期は全体的に女性の肖像が多い感じで、女性あってこその古刹であることが分かります。

後期で凄かったのは「第4章 禅の空間 1 ―唐絵と中世水墨画―」の一室で、高麗仏画の傑作「摩利支天像」が素晴らしく、中々感動しました。例のカタログの中に古い仏画がたくさん載っている物があって、その余りの怪しさに撃たれたのですが、この絵はその怪しさを残しつつ、女性像の華やかさがあって、味がある良い絵でした。ちなみに摩利支天と書かれていますが、実際は帝釈天なのだそうです。

伝馬麟筆の「普賢菩薩像」は上半身がはだけた、無頼な普賢菩薩で、象に乗って寛いでいる酔狂な感じが見事でした。

蔡山の「十六羅漢図」は、香炉からたゆたう煙の幽かな風情と、それを見つめる羅漢に、仏教的な感興が含まれていたように思います。

如拙の「瓢鮎図」は歴史的に重要な絵だそうで、竹・波・山とどれをとっても非常に繊細な質感を出していて、無駄の無い、名品のお手本の様な絵でした。
如拙は老子の「大巧は拙なるが如し」から名前を取っているそうですが、この絵に関して言えば隙の無い上手さでした(笑)それにしても日本のお寺は漢籍全般を学ぶ所に特徴があるそうですが、お坊さんなのに老子から名前を取っている所に、それが表れているのかもしれません。

狩野元信の「浄瓶てき倒図」は禅問答の末に、片方のお坊さんが瓶を蹴り倒して去る絵で、場面の緊張感と各々の表情の微妙な感じが良かったです。
中国語は感情に訴える言語だ、などと言われることがありますが、禅も中国では非常に激しい、気持ちのぶつかり合い、という面がより強かった様で、画面の中のそういう熱気がたまりません。
そういう訳で僕は、枯山水に代表される日本の禅の枯淡な部分をみると、いつも神佛習合を強く意識させられるんですよね。
草木岩肌山並などの質感も素晴らしくて、元信の伎倆の高さに感嘆させられる前・後期でした。

他にも海北友松の「寒山拾得・三酸図屏風」は奇人・寒山拾得コンビの、ふゅーとした曲線的なポーズが印象的で、周囲の雲と同化しているかのような、美しさがありました。懐を開いた姿が神楽の様でした。

狩野探幽の「山水図襖 妙心寺大方丈障壁画のうち」は、今回展示されたものも素晴らしく、鄙びた風景画ですが、余白に目をやると、不思議に呼吸を止められます。

そのまんまですが、お寺の楽しさが詰った、素晴らしい展覧会でした。ありがとうございました(合掌)

帰りには上野公園で、雑技団の人が大道芸をやっていました。壷を頭に乗せる芸や、椅子を重ねて逆立ちする芸など、あまりに凄いのでバチバチ拍手をしていたら、こっちを向いてポーズをとってくれる様になりました(笑)そういうお客さんを見つけて煽るのが、一つのコツなんでしょうねぇ。日本の観客は大人しいのか、ほぼ完璧な発音で拍手を要求しまくる、女の人が可愛らしかったです。

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