券を頂いたので、行って参りました。
大晦日では、小林幸子さんはゆかりんを思い起させましたねぇ。実際ああいう表現の一つの源流として、いづれ評価されるのではないかと思います(恐らく)
あとは一青窈と平井堅がいなかったのが、残念だったんですけど、似たもの同士とも言われる二人が揃っていないのも、何かの縁なのかもしれません(笑)
石井は途中から見ましたけど、やっぱり手数が少なかったですよねぇ。
リスクを絶対にとらないことを、試合前に新聞で語っていましたけど、勝つためにとるべき最適なリスクは競技(と技術)によって違うんですよね。
柔道と総合の技術的な壁より、そこら辺の調整ができていなかった事が大きかったのではないかと思いました。
と、石井を心配しながら年が明けるのでした(^_^)
いきなり夏に戻って、この日は日差しが殺人的。風も強くて、パンを食べていたら、横に置いていたビニール袋がパンごと吹っ飛びそうになったので驚きました。しかし、何か見晴らしがよく、横浜は良い所だなぁ~、と感心しました。
アカデミズムと呼ばれる、ちょっとお堅い系統の絵の展覧会です。
村内美術館にあった「ヴィーナス誕生」は久しぶり。ヴィーナスが何やら浮いているのが不思議だったのですが、背景は思いっきりおまけだ、ということが書かれていて、納得しました(笑)今回は審美眼で統一されている展覧会ではないので、村内美術館は個人が集めたコレクションだったんだな、ということも、今回を観て感じました。
筆触を残さないのがアカデミズムだそうで、音楽なんかでも弾いている感じを出した方が良いとか良くないとかいわれますけど、そういう思想的な一線を感じることはありますね。
ダヴィットの「男性裸体習作」は、細かい産毛の雰囲気まで出ているようなのが良かったです。
コローの「少年と山羊」は村内にあった作品と似た趣向。神話の人物である少年を小さく、上に広がる木々と空を大きく描いた作品で、神話の絵の中では変わっていますが、神話的な清澄さがあります。
「黄金への欲望」は眉間に皺を寄せつつ、ぽろりをしてる若い女性がそれなりに見所。
ボードリーの「アラクス河岸で牧人たちの発見されるゼノビア」は川に流された女性を助けるはだけた図。う~む。
アカデミズムの絵全般に言えることですが、写実にこだわるせいで、どうしても内面の深い所やパッションといったものが描けないので、それをポロリや全裸で補っている、という気がします。まったくけしから話d(以下略
クールベの「眠れる裸婦」は美人じゃないですけど、女性の自然な感じで、そういう意味で言えば、この展覧会で唯一のヌードだった気もします(笑)
デュランの「ヘベ」は鳥の背に乗った女性のヌードですけど、泉野明を思わせるような少年的なところがあって、なんとなく筋肉を良く観察。
エンネルの「牧歌」はこれまたヌードなんですけど、一番重要な点を打たないという、漫画でも良くある表現が。これが元祖だったんですねぇ(違
いかにもな絵に、微妙に抑揚をつけていたと思います。
印象派の巨匠達の絵も申し訳程度に?一枚ずつ。ゴーガンの「水飼い場」は南国の牛のいる風景が良い雰囲気です。ゴーガンという人は、湿度を上手く描いた人なのかもしれません。
西欧の中央画壇の価値観の様な物が、なんとなくも体感できた展覧会でもありました。ありがとうございました。
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