出光美術館 やきものに親しむVII 中国の陶俑 ―漢の加彩と唐三彩―

#その他芸術、アート

行って参りました。
この日はなぜか、会場の話し声が多く、注意するアナウンスが二回も。陶俑の肩肘張らない楽しさが影響しているのでしょうか・・・?!
話し声があって、丁度雰囲気が良くなるような、出し物だったと思います。

毎度、司馬遼太郎さんが言うには、日本は若い社会である、ということが分かったそうです。また白川静さんがいうには「社会的な経験としてはかけ離れた」ものがある、としながらも、古代氏族制の崩壊期という面では、万葉集と詩経の成立時期は同じ段階にあるという事で、だいたい千うん百年ぐらいのラグがあると言って良いと思います。
江戸時代もそんな柔軟な時代ではなかったと思いますが、中国と比べると比較的若い社会なので、維新にも成功した、という面があると思います。
しかし、そんな日本社会も流石に老朽化してきているような気がします。
社会が長期的な老朽化と、時代的な短期的な老朽化の極みを同時に迎えたのが、自民党政権末期だったのではないでしょうか。
新しい政権のもと、また若々しい社会に戻ったら良いですねぇ。

最初の方は漢代の焼き物。
やはり可愛いのが「褐釉犬」で、母性本能?をくすぐる小さな手足に、はっと気が付いたような表情が秀逸です。
「灰陶加彩騎馬人物」も中間的な表情が良く、作らない良さの勝利だと思います。
「科学書は最新のものを読め、文学は最古のものを読め」は最近チラッと目に入った言葉ですが、もちろん一概には言えませんが、芸術も文学の範疇かもしれません。

「緑彩楼閣」は世界最大の塔らしく、良くぞこんな物が残っていたと、思います。兵が弓で狙いを定めているのですが、弓が弩で、日本で何故弩が使われなかったのか、逆に気になります(笑)(今調べたら、長弓の方が技術が必要な代わりに、有効な場面があるそうです)

「灰陶加彩神将」は八戒の様な格好で、横のご婦人が「メタボだね、このおじさん」と言っていました(笑)
ぐにゃぐにゃの餓鬼を踏みつけつつ、直立するバランス感覚がお見事(笑)あくまで神将であって、四天王では無いそうです。
唐代の「三彩女子(28)」は青と緑の釉薬がエキゾチックで、既に室町時代位の都会的な?貫禄があります。

「三彩騎駝人物」は駱駝に乗った雄雄しいソグド人。昔Nスペでソグド人特集をやっていて、生まれた時にお金を持たせる風習や、全盛期の興隆。安禄山の乱に加担して崩壊するまでをやっていました。
唐三彩の色彩感覚は西方由来っぽいらしく、最盛期もどうやらソグド人のそれと重なっているようです。唐三彩の茶系の色彩を観ていると、キャラバン隊の土恋しさが感じられるかもしれません。

中国は意外と外来文化の影響が強い国で、以前韓国で針治療が朝鮮発祥であるかのようなドラマを作って、中国から抗議を受けていましたけど、実は針灸も西方由来だという説があって、結構有力なのだそうです。

ズボンを穿いているのも特記されていて、そういえば、洋服は北方騎馬民族由来という話があるそうです。ローマとかは布を巻く感じですからね。

唐代の「藍釉獅子」は背後のつるつるとした釉薬が素晴らしく、鮮度の高さが凄いです。
「藍釉万年壷」は真っ青な中に黄色の筋がぼんやり入っているのが、海中に光りが差した感じで味わい深いです。万年壷は死者の食料を入れる壷だという俗説があるそうで、海というよりは冥界的といえるかもしれません。

「三彩皮嚢壷」はどろどろにかかった釉薬が、原始と中国的洗練が合わさった感じで、好きですねぇ。
一見すると牢屋で使うような汚い器にも見える物が、良く観ると凄い味を出している、というのは茶道の究極の様でもあります。
「褐釉龍耳瓶」は柿渋をかけたような感じが、優雅さの欠片もなくて、破調的な面白さがありました。

中国の陶俑を観ていると、自分まで釉薬を上からかけられているような気分になります(笑)そんな甘茶をかけられる誕生仏の様な気分を味わいながら、この、覚えのある感覚はなんだろう、と思ったら、白隠が書き残した軟酥(なんそ)の法という、禅の伝統的な修行法に似ていることに気が付きました。
坐禅の疲れを取る方法なんですが、陶俑を見ていると自然にそんな感覚がして、リフレッシュするような気分になりました(笑)

中国の古代の息遣い、国際都市。。。そんなものが観えて来る展覧会でした。色んな意味で変わった展覧会で面白かったです。ありがとうございました(笑)

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