東京国立博物館 特別展「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-」第4展示期間

#その他芸術、アート

行って参りました。
当日は列は無く、結構空いていました。これなら土偶の方が人気がありますかね(^_^;)。流石に歴史の差でしょうか。
パンフレットはホッチキスで留めてあって、これははじめて見ました。出品量が膨大なんですねぇ。

最初は武具の類が。長い角を二本生やしたものなど、流行とはいえ変わっています。横のおばさまが「標的になるんじゃないの」と呟いていましたけど、確かに。標的といわれて思い出したのは、関ヶ原の退却戦で阿多盛淳という人が島津義弘のおとりになった事で、多分みんな変な兜をしていたからおとりになれたんだと思います(笑)

「羽柴秀吉起請文」はぐちゃぐちゃ書いているように見える割には、遠くから観ると整って見える逸品。秀吉は魯山人が日本の新三筆の一人として讃えていますけど、やっぱり上手いことは上手いんですよね。

とはいえ横の細川幽斎の「九州道之記」は細やかなプロ的な上手さで、綺麗さで言えば近衛家煕らへんを上回る位だと思います。

ここで細川忠利を有名ならしめた?宮本武蔵関連の資料が。最初にあったのは武蔵の弟子が寄ってたかって小次郎を打ち殺したという問題の資料で、決闘の裏で大きな政治的な動きがあったからこういう事になった、とも言われています。
なにはともあれ、武蔵が決闘の際の武器に木刀を選んだことには、色々な機微を感じます。
小次郎を自分の手で死なせるのに、躊躇いがあったのではないでしょうか。

「五輪書」の写本もありました。武蔵は「実の道」というのを重視していまして、つまり剣を全てに通じる道としていたんですけど、これがなかなか難しいです。
一番近そうな「大の兵法」への応用ですけど、剣術家の用兵としては丸目蔵人佐が突っ込んで大敗したのが有名ですが、良し悪しは分からないんですけど、武蔵も島原の乱で出陣して、怪我をしているんですよね。
蔵人佐も書道などに卓越していたそうですけど、実は「小の兵法」は「大の兵法」より芸術に近い分野で、「大の兵法」として使うには、時にもうちょっと微調整が必要だな、と昔から感じております(^_^;)
もしくは大の兵法から逆算した、小の兵法の求め方というのが、もっと、あるのかもしれません。

「達磨図」は正面から描かれた達磨図で、珍しいのだそうです。武蔵にしてはじめて、達磨の正面に立つことが出来たのかもしれません?
後に出てくる白隠の物と比べると、内的でマニアックな感じもします(^_^;)

細川幽斎といえば古今伝授の伝承者で、何かがあったら文化的損失だ、と勅使が開城勧告に来たりしていたみたいです。
「太刀 銘 豊後国行平作」はその勅使に返礼として贈った刀だそうで、当時から(当時だからこそ?)古刀の価値は高かったんですねぇ。それにしても贈ったはずなのに永青文庫に収まっているのは不思議です。柳腰の綺麗な刀で、西岡常一棟梁は良い刃物は切った時に粘り気がある、と書かれていましたけど、この刀もきっと粘り気のある切れ方をするに違いありません。

「柿の蔕茶碗」は川喜田半泥子の「ほし柿」に似たがびがびした茶碗で、やっぱり伝統の延長にいる人なんですよね。

白隠のコレクションも充実。「達磨図」はやはり、ひんやり縹渺とした雰囲気が桁違いで、このインパクトが禅画という分野を切り開いたのだな、と思いました。しかもそれでいて、表情は穏やかなんですよね。
白隠も仙厓さんも大燈国師が大好きだったようで、仙厓さんの「大燈国師図」は大きな鼻水(多分)を気持ち良さそうに飛ばす、落書き風の絵。なかなか迫力のある鼻水です。

近世の絵では菱田春草の「黒き猫」が縹渺とした雰囲気があって、見事な伎倆です。

仏像では「菩薩立像」が今まで観た中でも、5指に入りそうな仏像。これだけ優美に腰のまがった像は、凄いです。その小さな姿は、天から零れ落ちた雫のようです。

考古遺物と芸術品の合わさったようなものもたくさんあって、「金銀錯狩猟文鏡」が究極。細かい彫りが凄い、戦国時代の遺物です。

「桃花紅合子」はメロンとトマトが合わさって、苔むした様な綺麗な合子。

バラエティに富んだ巨大な展覧会で、なかなか迫力がありました。大きな意味で、伝統を守り育ててきた方に、感謝です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました