楽しそうなので、行って参りました。自分の中での、幻の名画が幾つかあって面白かったです。
山の上にあるので前回は結構迷ったんですが、今回はストレートで。美術館の入り口には今回は、「見ないと損ぜよ!!」との幟が上がっていて、龍馬伝の影響でしょうか。23区内にありながら、ローカルな自由さに心が打たれます。
狩野一信(逸見一信)の五百羅漢図は増上寺に納められたという100幅のうちから3幅。
やたらリアルな画風で、洋風表現も取り込んでいるらしく、「第50幅 十二頭陀・露地常坐」は月夜に集う羅漢たちが、密林と同化したような妖しさ。「第71幅 龍供絹」は海の上を羅漢がげんこつで虎を駆って、駆け抜けていく図で、もはやなんのこっちゃとしか言い様がありません。羅漢は悟った人のいっちゃった面をストレートに描けるので、結構自由な画題なのかもしれませんね。
間違いなく巨匠です。増上寺にこんな至宝があったとは!!
次の白隠はやたらほほえましいものばかりがあって、展覧会によって絵師の画風は変わるのかもしれません(笑)伝説の名画「すたすた坊主」があって、これは吸い寄せられるような素晴らしい絵。布袋さんだそうですけど、白隠の自画像っぽい要素もあるように感じますね。
次は土佐で非常に大切にされている絵金。今回は有名な作品が土佐からお取り寄せです。幕末の空気を西側で一身に背負った絵師である、という印象で、歌舞伎の惨劇場面を描いているのですが、そこまで趣味は悪くありませんね。
NHKの特集が面白かったですけど、外で飾る行事に使われている割には綺麗だな、と思っていたんですが、流石に痛んでいるらしく、修復の募金活動をしていました。
目を蝋で盛り上げたりして、リアルさを出していると聞いたんですが、そんな感じだったような気がします(笑)やっぱり基本の表現力が確りしているんですよね。絵師としての伎倆が高い人です。
入り口の土佐弁は、実は絵金の言葉だったのかもしれません。
ここまで十枚くらいみてきて、既に体にずっしりとした感覚が(笑)
祗園井特は昔から画集をみていて、なんかこの人おかしいな、上方はこんな感じなのかな?と感じていた人で、やっぱり畸人だったそうです(笑)リアルさを追及した絵師で、西の写楽といった感じで紹介されていました。ただ、写楽と違って成功したらしく、写楽が成功しなかったのは、新興都市のある種の保守性に阻まれたんですかね?京都の人は伝統の深さの分だけ革新に振れる事が出来るんだ、といつも自慢していますからね?
「虎御前と曾我十郎図屏風」が寛いで品もある、女性の佇まいが良い絵。地デジになってよく見えて大変、とかそういう話がありましたけど、結局綺麗な人はリアルになればなるほど綺麗なんですよね。
加藤信清は絵の全てをお経の文字で描いた人で、何故このような技法を開発したかは謎だそうです。アスキーアートの一種(元祖?)ということも出来そうですが、その出来は寄って見ても、普通の丁寧な作品にしかみえない、精緻なもの。
「江戸時代の人は信仰心が厚かったと驚かされます」と解説にありましたけど、むしろボランティア位の感覚だったのではないかと想像します(笑)これで現世が微妙に良くなるという確信もあったのではないかと思います。
手間をかけるのが仏教美術の精神ですから、その延長線上に確りといる感じです。
「法華観音図」がなかなか清楚な美人図で、今まで見た観音さまの中でも、女性的な美しさが際立っている作品だと思います。
仙台出身の菅井梅関は「舊城朝鮮古梅之図紙」が黒々とした伊勢海老といった風の、面白い作品。非常に技術があるひとで、創造性も感じるのですが、天保の大飢饉の際に極貧に陥って井戸に身を投げてしまったのだそうです。
昔、仙台の町人文化について調べてみようと思って、ぐぐったことが有るのですが、殆ど情報が出てこなかったので首を傾げたんですが、これだけの文化人を養えないのでは、あまり文化は発達し難いですね。やっぱり食事が無いといけませんね。
林十江は楽しみにしていた人で、名高い「鰻図」は泳ぐ様が玲瓏とした至高の作品。「蜻蛉図」も枯れた筆勢が力強く、画風が確りと織り込まれています。
佐竹蓬平は独特の空間感覚で、わけわかめ、としか言い様がありません。山水図の空間が朗らかにも歪んでいて、なんともいえない味が出ています。鑑定団で安河内さんは掛け軸を鑑定するとき、必ずといっていいほど、絵に奥行きがある・無い、ということを言うのですが、その表現が日本美術の本物の作品の多くに共通した特徴なんですよね。ただこの作品ばかりは括れない感じで、鑑定も難渋されるかもしれません(笑)
舟の下がのこぎりのようにぎざぎざに描かれていて、これは波のつもりなのか、との解説。良い意味で、抜けています。
曽我蕭白の「群童遊戯図屏風」は銀箔の上に闊達な群像を描いた蕭白らしい作品。人物解説によると、ある藩に招かれて絵を描く事になったのだそうですが、何日たっても食っちゃ寝で描かず、痺れを切らした家老が催促すると、高い絵の具を混ぜ合わせて、屏風に横に一本線を描いて、おまけに家老の顔にまで描いたそうです。綺麗な虹が描けたという話なんですが、こういうのが許されるのは、ある面ゆるい所のある社会だったんだなと思います(笑)
修行期にじっと養ってくれたお坊さんが居たのが、飛躍できた理由だそうですし、なかなか幸せな人だったのかなとも思います。
中村芳中は自分の絵を「光琳画譜」と題して出版して大ブームを巻き起こした人だそうで、実は江戸の光琳文化は芳中文化だった??
「たらしこみ技法をむやみに使った画風を作り上げました」と、解説に「むやみ」と断定されている所に、僅かに哀愁を感じます。
「白梅図」はたらしこみに覆われていて、染みの集合体のような作品に。梅は中国伝来ですけど、あちらでは結構峻厳に描かれたりする物が、渡来して、日本化された究極がこの絵ではないかと思います。
「菊花図」ですとか、光琳以上に簡略化が進んでいる感じで、巧さを感じさせません。いわゆる守拙といいうことを大事にしている絵師なのだと思います(多分)
図録の解説によると、畸人は本格系とゆるキャラ系に分けられるらしく、芳中は後者の雄なのだそうです。
素晴らしい質とヴォリュームで、江戸文化の絢爛さを讃えないわけにはいきません。
作品数の割には非常に濃ゆい展覧会で、本年度最強の企画だったのではないでしょうか。板橋区立美術館の展開に目が離せません!
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