山種美術館 開館記念特別展Ⅵ 江戸絵画への視線―岩佐又兵衛《官女観菊図》重要文化財指定記念―

#その他芸術、アート

券を頂いたので、太田記念美術館に続いて行って参りました。
凄い猛暑日だったので、少し考えたのですが、恵比寿まで歩きで移動。出るという字は強く踏み出す足と踵の跡からなる字だそうですが、寄り道しながらそんな感じで、ぽんぽんと。
表参道は上手く日蔭になるんですけど、青山通りは影になる場所がないですねぇ。

新しくなった山種美術館に行くのは初めて。前の美術館のひなびた?感じとは違って、会場は地下世界。前の方が自然光が近い感じで、日本美術に良いような気がしますが、慣れもありますかね?
会場の端々に会場を見守るお姉さんが居て、みなさんお綺麗でびっくりしました。
受付のお姉さんがあんまり綺麗な会社はブラック企業である、との言い伝えが一瞬頭をよぎりましたが、文化に手厚い山種はむしろホワイトである、といえるのではないでしょうか(笑)
まぁ、普通の意味で綺麗な人というのはいるんですけど、心が綺麗な人は奇跡的ですよねぇ。

証券会社といえば、前に展覧会の会場の出口で某証券会社がPRをしていたんですけど、お金を転がして儲けているわけではありません、皆様の生活のお役に立っているんです!ということを開口一番にアピールするんですよね。
つまりマイナスイメージを持たれないようにする所からはじめているわけで、もの作りをしている会社の宣伝が、日本のもの作り!じゃないですけど、かなりシンプルだったりするところとは、隨分違うな、と思いました。

この体を動かして働いている方が偉い、というのは中国には無い日本の美点である、ということは司馬遼太郎さんが強調する所で、最近聞いた話ではインドでも体を動かさない方が偉いので、ITが発達している面がある、とのことですが、ともかくこのことは日本の特徴といえるでしょう。

良寛さんの話になるんですけど、良寛さんは大工が好きで、世の中に大工の仕事ほど正直なものはない、と仰っていたそうです。西岡常一棟梁も江戸時代は大工は非常に尊敬されていた、と仰っていましたけど、大工は一流知識人も含めた、みんなが尊敬する職業だったわけです。

これはなぜかといいますと、禅の影響があります。淵源は荘子の庖丁の逸話ではないか、と白川静さんは仰るのですが、禅には身学道といって「ここで道元は、はっきりと仏道というのは、身体で学ぶものだといっています」(秋月龍珉著 道元入門 講談社現代新書135ページ)というような、身体によって仏教を極めるという思想があります。これが鈴木正三などの人たちによって普遍的な形で一般に流布されたことと、支配層が身体を使う武士達だったのでこのような考えが社会のなかで維持されてきた、ということで、上のような良寛さんの考えが導かれたんだと思うんです。

ちなみに司馬遼太郎さんは「盆踊り(中略)あれは文化ではない」(日本人の内と外―対談 (中公文庫)120ページ)ということも仰っていましたけど、人が身体をエレガントに使っていくことで、精神的に向上するということを認めなかった人だったと思うんです。幕末の志士の業績を剣術修行と結び付けて語る、といったことも無かったと思います。それ以前に、運動そのものにそのような意義を認めていない、ということでいえば、文武両道ですとかを推奨する、といったことも無かったと思います。
つまり体を労する人が何故にして偉いのか、ということの根っこを認めなかったわけで、司馬遼太郎さんの意に反して、司馬遼太郎の本が読まれるにつれて、体を動かすほうが偉いんだ、という日本の美風は、根っこの所からだんだん弱くなっていったのではないか、と推測しています。

それ以前にも、明治になって東洋的なものが衰微していくなかで、大工は尊敬されなくなっていくわけですが、方向転換して、このことが西洋科学と結びついて生き残ったのが、現代の日本のもの作りといえるでしょう。
そういった精神的基盤は更に縮小を続けているような気がするんですが、ここら辺でもう一度原点に戻って、もの作りを大切にしていく、更には遡って、身体をエレガントに労することによって向上して行く、そういう考え・職業を大切にしていく、ということが必要なのではないかと思います。
これは、農業などの産業を質の高いものに転換して行く、という日本の方向性の精神的基盤となります。
そして、そういう考えが浸透した時に、はじめて、リスクを自らとって決断するような、良い意味で幕末の志士たちの様な外交が可能になるのではないかと思うのです。

この日は江戸絵画の特集。山種の江戸絵画は確かに粒よりなんですよね。
やはり本命は鈴木其一の「四季花鳥図」でしょうか!其一の写生を重視した端然とした感じと生命力、琳派の香りのある簡略化と、四季の物が全て集まった混沌とした感じが体に馴染みます(笑)
綺麗なものをみると、昔から拝みたくなるんですよね。ありがたや、ありがたや、、、。

柴田是心の「墨林筆哥」は漆で金地に書いたもので、筍とか岩の底力のあるあっさりとした重厚さが、素晴らしかったです。
漆の確りしたかすれ具合が、記憶の底に残ります。

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