全生庵 円朝幽霊画コレクション

#その他芸術、アート

涼みに、行って参りました。
一直線に行こうと思ったんですが、例によってあさっての方向に。途中でおばさま方の団体に助けていただきました(^_^)
うちのIME。全生庵は一発変換ですね(笑)

お寺とはいえ展示の仕方が独特。虫干しを兼ねているらしく、壁にただ作品が掛けてあるだけで、今までの展覧会の中で最も作品と近かったです。また一幅一幅に対する説明も過去最長で、鉄舟の野放図さと一人一人に対する慈しみが伝えられている、というと当っているでしょうか(笑)

昨今の鉄舟の周辺を見て感じるのは、集まってくる人の質が良いこと。
現代の鉄舟ファンは、何かバランスが取れていて、良い雰囲気の人が多い気がします。直感的な話ですが。

日本的な精神、というと軍隊的、集団主義的なものを想像される方も多いかと思いますが、前も書きました通り、日本は軍隊行進が出来なかった国民だったわけです。確かに纏る時は纏るでしょうが、職業によって在り方もばらばらでした。あれはいわば明治に輸入された歪んだ西洋の姿である、といえるわけです。
では、そうではない日本の本来の精神の在り方とは何か、というと多様性もあってズバリとは示せないのですが、山岡鉄舟という人を研究することで、その中の良質なものを幾らか知ることが出来るのではないかと考えています。

例えば、日本人の責任の取り方についてですとか、中村元さんは「かれらは決して責任を回避しませんでした。いざというときには切腹したのです。責任を取ったのです」(仏典のことば―現代によびかける知慧 (同時代ライブラリー) 153ページ)と、強い語調で書かれていますけど、かつてはそういう時代があったんですねぇ。切腹というと誤解されてしまいますけど、それを覚悟で訴えたいことが、この碩学にはあったのだと思います。
軍部の無責任、高度経済成長~バブル崩壊の無責任を称して、日本的という方もいますが、誤解も甚だしいと言えるのではないでしょうか。
鉄舟は切腹していませんけど、その人生は責任を請け負う姿勢と清らかさで満たされている、といえるでしょう。もちろん鉄舟も完璧ではないですけど、そういう人材を育てて行きたい、と思う時に非常に参考になる、豊潤な人だと思います。
こういう心優しい真摯な方というのは、いまでは滅多にいなくなってしまいました。

感想を書かなかったんですが、この前に「ナポリ・宮廷と美―カポディモンテ美術館展 ルネサンスからバロックまで」という展覧会に行って来ました。少し怖そうだったんですけど、中学生もたくさん入っていっているから大丈夫だろう、と思って入って行って、一番怖そうな絵を通り過ぎたと思ったら、首切り死体が出てきて、涙がちょちょ切れたんですが、リアルだとやっぱりおどろおどろしいですよね。
今回は幽霊の展覧会ですけど、全生庵が集めているので、それなりの趣味だろうと思って行ったのですが、案の定洗練された涼やかさでした(笑)

光村のの「月に柳図」は、まぁ、月に柳がかかっているだけなんですけど、こういうの、良いですよね(笑)

鈴木誠一の「雪女図」は雪山の中に輪郭だけ描かれた作品。この人と、兄弟の守一は父親の其一のアイディアを描いていくことが多いそうです(笑)

応挙のものもあったんですが、作者が確定していないそうです。また、応挙作が確認されている幽霊図は存在しないらしく、解説には「応挙の幽霊画自体が幽霊のような存在なのだ」と書かれていました(^_^;)
応挙の幽霊画は足が無い元祖。幽霊が物音を立てないで、無拍子で近づいてくる様を、応挙の天才が視覚化したんでしょうねぇ。
これがまったく普通の表情で、そこに怖さが薫るというものなんですが、やはりだんだん涼しくなってくる絵で、王者の風格があったと思います(笑)
応挙は写実的と言われていますけど、やっぱり通常の写実からは、積極的な意味で遠い所にいた人といえるでしょう。

鰭崎英明の「蚊帳の前の幽霊」は清楚な幽霊で、やっぱりこういう感じが一番良いです(笑)

観終わった後は、境内を借りて昼食をとり、鉄舟と圓朝の墓参りに。鉄舟の墓の前にはアサヒスーパドライと大吟醸と書かれた日本酒が、圓朝の墓の前にはぽつんと一円玉が。アサヒスーパードライは軽いいびきといいますか、味が薄いと聞いているので、鉄舟が満足するかどうかわかりませんけれど、まぁ、こういう人達なんですよね(笑)
瀟洒なお供え物なのではないでしょうか。

墓地の横で亀が飼われていたんですけど、放生会用なんですかね??

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