前日に感動して、胸いっぱい、お腹一杯だったんですけど、今年も行って参りました。
当日は人が減っているともいわれる、横浜中華街を視察に。結構人がいて、インドのお店なんかも多いんですね。
関帝廟とかがあったのでお参りしたのですが、中国ではお賽錢だけではなく、線香を買わないと正式にお参りできないとの事。
祈ること久し。白川静さんが、形式より気持ちが大切だとおっしゃっていたので(確か)気持ちを込めて通り過ぎました。
中華街で何か食べようと思ったんですが、肉まんがどこも一個350円で、そんなに出せるかー!と二時間ぐらいぐるぐる回っていたんですが、これよりリーズナブルな所は見出せず、結局何も食べませんでした。中華街の団結力はやはり凄いのでしょうか・・・?!(、、、)
昭和の歌謡曲ですけど、毎度司馬遼太郎さんは、昭和初期を魔法の森の時代と呼んでいて、この頃の日本人のことを考えると気が狂いそうだ、とまでいっていたんですよね。
他方で日本の不幸の原因をかなり明確に指摘しているので、悪くなった原因が不明であるという、この魔法の森の時代、という名称も怪しくなってきますが――――。
そんな司馬遼太郎さんなんですけれども、晩年、盛んに風塵抄などで、今の日本人より戦前の日本人の方が立派だった、とぼやき始めるんですよね。
壮大な自作自演といいますか、何でそうなったかは兎も角として、この観察は正しい所を含んでいるように思います。
最近の震災への政府の対応など、戦中から進歩していないのではないか、と指摘されることも多いです。各界の機能不全も重症といえるでしょう。
また、音楽の面を取ってみても、現代にはない類の抒情がある曲も多いと思いますし、歴史として各々の中に包摂していて、先を見据えるのに役に立つこともあるのではないかと思います。
一番最初は「故郷」。宇野先生は抒情歌曲が好きで、推薦盤も感情濃厚系が好きだといわれますが、演奏は非常にあっさりしたもの。この曲を始めとして戦前歌曲が油が抜け切って、朧な美しい思い出のように響きます。
フィオレッティは普段バロックの演奏をしているそうで、そういう感じも致します。背後のパイプオルガンが凛冷とした雰囲気を引き立てます。
宇野先生の評論といえば、よく、○○こそ実演で聴いてみたい音楽家だった、と書いてありますけど、あれはなんなのでしょうか。
昔の音楽の特集本とかをたまに古本屋で拾うんですが、とにかくみんな主張してうるさいんですよね。好きな音楽がはっきりしている。
ただ評論家は好き嫌いだけでは勤まらないわけで、嫌いでも内容がありそうな演奏は評価しなくてはなりません。
最初の言葉は、良く分からないけど何かありそうだな、と思ったときに、コメントを濁しているんだと思うんですよね。好きな音楽がはっきりしているファンが多い中で、それはとりあえず評論家としての一段高次な能力として働いていたと思うんです。
時代は下って、許光俊らのファンはどういう人かというと、確か共著本のどこかに、次は何を聞けば良いかファンが聞いてくる、と書いてあったんですよね。
許光俊という人の評論は、好き嫌いがそのまま推薦・非推薦に繋がる割合が高いと思うんですよね。昔の巨匠は録音が悪いから云々、とたまにいう位で、特に躊躇は無いと思います。
それはファンが自分が好きなものさえ解らないのですから、好きじゃないけど何かありそう、なんていう感覚は全然わからないわけで、そのファンのレヴェルダウンに乗っかる形で、好き嫌いを直接訴えていく形に、評論家も一段レヴェルダウンしたんじゃないかと思うんです。
比較的、といった話ですが、そういうことがいえるのではないかと思います。
また許光俊のもう一つのマイナスの特質として挙げられるのが、抒情の軽視で、確かに抒情を介さない名演というのはあるのですが、アリスたそがいうように社会から人の心というものが非常に希薄になってきているような状態でそのような事をいうのは、ただの社会迎合ではないだろうか。
今週の東京マガジンでやっていましたけど、こういう時に空いている住宅を供給しないとか、人間の心としてありえるのでしょうか。
今回の非合理な決定、不十分な対策の原因として、社会の中で情緒というものを十分に大切にして来なかった事が挙げられるのではないかと思います。
真に改善すべきは、こういう決定をしてしまう組織であり、それに痛痒を感じない個人を育て上げてしまうシステムである。
そういう所こそ、改善して行くべきではないでしょうか。
ただ許光俊が全面的に宇野功芳に劣っているかというと、そうとはいえなくて、例えば著書の印税を寄付に回すとか、宇野先生はやっていないと思います。評論は余技だというので、まぁ、それ以外の収入に差があるのかもしれませんけど、陰徳を積んでいるということでなければ、寄付をしても良いのではないかと思います。
日本にはそもそも寄付の伝統が昔からあって、鈴木今右衛門とか亀田鵬斎ですとか、いざという時にお金を出す地元の篤志家、といったものも広く居たといわれています。
戦前から戦後にかけてそういう精神はだんだん途絶えてきたと思うんですが、その復活の萌芽が見出せるような気がします。現に今回の震災を見ると、若者の間にそういう気風が着実に広がっているのが見て取れると思います。今の時期にあんまり使いたくない言葉ですけど、最近の人は変な欲が無いんですね。
ちなみにこの鵬斎ですとか中江藤樹や、幕末の人たちを見ると、儒教というのは江戸時代には、高い精神性を養うのに、特に社会活動の方面で非常に大きな役割を果たしていたなと思います。
盤珪さんが儒家に明徳とはなんですか、と聞いて、そういうのはお坊さんに聞きなさい、といわれて僧籍に入ったという話がありますけど、仏教をやっている人には、江戸時代に儒教は社会では礼教としての役割を果たしていたけれど、精神の深い所を訪れたい人は仏教をやっていた、と思っている人が結構多いんですよね。
私もそう思っていた時期があって、中村元さんですとかも「仁は(中略)階級的秩序に順応」(慈悲 文庫版185ページ)とか、そんなに高い評価を与えていないんですよね。
一方白川静さんは「仁義を父子君臣の秩序の原理とするような理解は(中略)思想としては大きな後退である」として「仁とは、人の存在の根拠に関している」(孔子伝 文庫版196ページ)と非常に理想性の高い思想であることを述べられています。
江戸時代の人たちをみていると、こういう思想として社会で機能していた時期があったのでしょうね。明治以降の朱子学は朱子学とはいえ無い様な歪められたものだ、ともいいますけど、現在日常で見聞する儒教は、かなり変質してしまっているのかもしれません。
ちなみに逆に白川静さんは仏教に関してまったく淡白であることも付記しておきます(笑)
このあと、最近もとのアメリカ歌曲が見つかった「仰げば尊し」でテンポが遅くなり異変の予兆が。この前震災二日前に録画したテレビを観たら、震度三位の地震と津波の警報が断続的に、、、。
「さくら」で、かのリリー・クラウスを呆れさせた驚かせたというメサイア並の激遅テンポに。ドラマ性を排して、非常に儚く響かせます。善悪はともかくとして、変わった演奏で、能登麻美子さんが合唱しているようだ、と書けば、当ブログを読んでくださっている淑女紳士の方々には良く伝わるかもしれません。
一転「ゴンドラの唄」では歌心を発揮し、「故郷を離るる歌」は緩急を大きくつけた演奏。
休憩を挟んで暫く軍歌が続き、どれもストレートな硬質の指揮。
軍歌は平和を祈って演奏している、というので安心して聞いていたんですが、どうもまた最近とみに右傾化しているみたいで、自分の意見が載ったそっち方向の雑誌のビラを持ってきていたんですよね。これはこのコンサートの趣旨にも反していると思います。
ひとりでネタとして面白がっている限りでは良かったんですが、もちろん良いところもあるんですけど、もし多くの人に影響を与えるとするならば、宇野先生を一人の人間としてトータルに推薦することは出来ない、と感じましたので、しばらく当ブログでは距離を置こうと思います。
最近の震災関連のテレビを見ていてとても腹が立つのが、会見の前に国旗に礼をすることですね。
これは虚礼であって、国旗の後ろにいるのは国家機構であって、国民ではないと思います。だから国民の安全より、組織防衛が先に立ってしまうのではないかと思います。
大本営主義とでもいうべき、政府の今回の在り方の核心を成しているのではないでしょうか。
コメント