前からグレートサミッツという番組が好きで、録画しているんですが、余り観られていないんですよね。それにしても、さっき消費したクリュチェフスカヤは凄かったです。登頂直前にマグマが・・・!!
富士山を急角度にした感じの漫画みたいな迫力と、生きている感じが凄かったです。僕は本当はどちらかというと、登りたい方なんですが。。。
それにしても最近の東京新聞の迫力には、心打たれますね。歴史が評価をするんでしょうね。
たしか前の大戦の時の反省に、平時の時に確りしていなかったから、非常時に政府を批判できなかった、というのがあったと思うんですけど、ほかのメディアは平時の時に癒着を振り切ることが出来なかったのではないでしょうか。非常時は平時の延長ですけど、これからで良いから確りしていただきたいものです。
テレビでは最近まで焼肉店の報道が花盛りでしたけど、もっと報道・検証・追及するべきことがあったのではないかと思います。被曝限度量が1mSvから20mSvに引き上げられた話はどうでしょうか。子どもに本当に絶対だいじょうぶだよ、と言えるのでしょうか。当日に危険な地域に居ながら知らされなかった人たちもいるわけですし、これからでも報道の失地回復をしていただきたい。
話は飛ぶんですけど、武術では力むことを嫌って、脱力を勧めるんですが、これは無駄な力を抜くことであって、まったく抜いてだらけてしまうのとは違う、という区別を確りとするんですよね。
震災直後、全ての局が震災特集になってしまって、子どもが安らげるような番組が放送されなくて現地の人が困憊してしまいましたけど、これは力んでしまった状態だといえるでしょう。
逆に今はだらけてしまっている状態なのではないかと思います。
最近見かけた番組で一番力んでしまっていて酷かったのは「総力報道!THE NEWS」という今、堀尾正明さんがやっている夕方の番組の前身ですけど、キャスターの目が血走っていてなんなのかと思っていました(笑)アナウンサーの小林さんを客寄せパンダ風に使っているなと思ったんですけど、彼女の肩を持つわけじゃないですけど、その個性を中心に番組内容を展開していけば、隨分違ったのではないかと思います。
悪い意味で男性的でキッチュでマッチョな番組だったんですね。打ち切られてしまいましたけど。
この番組で一段と思ったのは、世間では肩を怒らせることを、確りすることだと思い込んでいるのではないかということです。そうではなくて、誰も批判することが出来ないことをするのが確りするということであって、これには適度な脱力、諧謔・ユーモアの精神のようなものが必要なのです。
なんでだらけるか力むかしか無いかというと、中庸とか道とか狂とか自然体と言われた、過去の心身の遺産に対する研究・継承が足りないのが大きな理由だと思います。
肩を怒らせることが確りすることだと思っている限り、不毛な報道を始め、利権なり癒着なり矛盾は永劫続いていくでしょう。
というわけで、本展の江戸人の粋な姿から、是非、その絶妙な精神性を学んでいただきたいと思います(笑)
行って参りました。
喜多川歌麿の「うちわ持つ美人は」は当時流行の絣を着た、渋いデザインの女性。安易に比べるわけではないですし、直感的な話ですが、歌麿の官能性と渋さの塩梅は、ショパンのそれを思い出させます。
菊川英山の「傘さす美人」は帯が綺麗な銀の刺繍なのかと思ったら、黒を上手く掠れさせて色を出しているようで、感心しました。
渓斎英泉の「当世松の葉」は背景が清元節の詞章という、おもしろい描き方。
鳥居清長の「羽を取る男女」は木に引っかかっている羽子板の羽を、男が女を肩車して取る図。実に微笑ましいですし、柱絵という縦長の媒体を生かした構図。
国貞の「肥後不知火諾右衛門」は画面全体に描かれていて、巨大です。肩のラインが眉毛より上なんですね。
コメント