江戸東京博物館 五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信

#その他芸術、アート

平泉が世界遺産に入りましたね!浄土関係のこの展覧会にあわせて、喜びを圧縮していました。
シドニーのオペラハウスが入って、平泉が入らないというのは、おかしいでしょう。遺産としての厚みに、隨分差があると思います。中島誠之助さんがいう所の、生産可能なものの部類に入るかと思います。
これを機会に皆さんも、是非、文化の厚みと浄土を体感してきてください(^_^)

絶対的に期待していて、前売り券を買っていたので、行って参りました。

記念すべき「第 1 幅 名相(みょうそう)」は羅漢たちが談笑している図。拈華微笑の伝統はすべての宗派に受け継がれています(多分)
「第 3 幅 名相」では欠伸をする童子が描かれていて、本来は布袋で描く伝統的な構図であるとのこと。
「第 6 幅 名相」をはじめ異様に細かく、耳毛まで描かれていて、とくに老人の耳毛は真っ白です。

この五百羅漢図は浄土門の画といえると思うんですが、仙厓・白隠といった禅画の適当さとは対極的です。
「日本の国宝、最初はこんな色だった」(小林泰三)の80ページによると、司馬遼太郎さんは浄土真宗はよだれをたらしてねころんでいるようだ、といっていて著者はそれに賛意を示しています。 これは氏がよく言っていた話なんですけど、親鸞の弟子と称して浄土真宗から更に、修業的な要素である念仏を除いたものを信仰していた?彼にしてみれはそうでしょうけど、実際にそうなのでしょうか。

「国宝 薬師寺展」の開催記念特別講演会で五木寛之さんが仰っていたことによれば、色んな所に講演に行くらしいのですが、特に真宗の人は真面目だとのこと。
「重箱の隅をつつくといったら、「正しくは重箱の隅をほじくるです」という手紙が来た」と仰っていました(笑)五木さんが言うには、更に言うと「重箱の隅を爪楊枝でほじくる」が正しいそうです。
以上は浄土真宗の話で、浄土宗とイコールとはいえませんが、やはり似ているでしょう。歴史的にみても、徳本上人をはじめ真面目な行僧も多いですし、真宗は一向宗とも呼ばれていたわけですから、やはり真面目な部分が特徴といって良いのではないでしょうか。

似たところが多いといわれる、キリスト教の美術も細かいのが多いですけど、一神教??の信仰を支えるには生真面目さが必要なのかも。

他には光輪が付いている画が非常に多いことも、禅画と比べた時の特徴。
仏像では円空と木喰の対照がよく言われますが、やはり臨済宗の円空は光輪はほとんど付けず、とりあえず真言宗の木喰は多用しています。これはむしろ禅のいわゆる合理性を示しているといえるでしょう。

今やっている大河ドラマの「江」で信長が無神論者にされていることが一部で問題視されていますけど、実際は神道を信仰していて、宗教に対する興味が非常に強かったのだそうです。(「戦国軍事史への挑戦 ~疑問だらけの戦国合戦像」鈴木 眞哉 著 )無神論者に見える部分も実は禅の合理性から来ているらしく、この「無神論者説」は司馬遼太郎さんの得意でしたけど、氏が日本人の合理性と称しているものは、実は宗教由来のものが多いと思います。

「江戸時代人のリアリズム」の中にそれは多く含まれていると思いますし、身を労する云々の話は前にしました。
他に最近思ったのは、キリスト教徒の割合が日本人の中で一定以上に増えないことを日本人の合理性と氏が称していたのですが、ザヴィエルは「イスラーム教徒に対して布教活動を行ってもほとんど効果が無いことを知」っていたらしく、(世界の歴史13 – 東南アジアの伝統と発展 (中公文庫)生田 滋 著, 石澤 良昭 著(373ページ)) イスラームのように理論的に強固な宗教が日本に存在していたことが、キリスト教徒が増えない事の原因ではないかと思います。司祭に好意的だったともいわれますが、信長が仏教とキリスト教徒を対決させたという法戦にそれが象徴的に表れているのではないでしょうか。

ちなみにこの前に紹介した「天下人の自由時間」(荒井 魏 著) という本にも、宗教に興味が強かった信長の姿が描かれています。しかし先ほどの「戦国軍事史への挑戦」によりますと、この本には武功夜話という偽書を元にした記述が多く採用されているということです。真偽は断定しかねますが、一読の際はご注意下さい。

「第 7 幅 名相」は異国の王が受戒している画。その従者が歓喜にむせんで泣いているのですが、おそらく一信自身の感覚であり、真の宗教のもたらす感動とはそのようなものなのだと思います(多分)
「第 9 幅 浴室(よくしつ)」は幕末ながらほのぼの調。背後の深山幽谷は雪舟のように抽象化されたものではなく、現代テレビで観ることが出来る、チベットの渓谷に近い感じ。

・・・一信に倣って、細かく感想を書いていこうと思ったんですけど、十分の一を過ぎた所で、結構な字数になりましたね。。。

「第 13 幅 布薩(ふさつ)」の布薩とは懺悔などをする催しに事で、ザヴィエルが異様な風景といった感じで書き留めている(ザビエルの見た日本 ピーター・ミルワード、松本 たま(47ページ)あれですわね。いまでもこれってやっているんですかね。あんまり電波に乗らない(多分)のでよく分からないのですが。
「羅漢たちの反省会」とのことで、羅漢でも失敗することがあるんですね。正直であるということで、宗教者としての自己同一性を保つという面もある、面白い風習なのではないでしょうか。
散華ということで、蒔かれる花びらが綺麗です。

「第 15 幅 論議(ろんぎ)」は解説によると、羅漢たちのフリーディスカッションとのことで、朝まで生テレビなのだそうです。。板橋美術館の人???
それにしても朝まで生テレビは最近すっかり見なくなりましたけど、議論の中心となる人材は見当たらないし、タブーも多いみたいですし、あんまりみて面白いものではないですねぇ。

それにしても、昔のお坊さんの記録を読むと、論戦を年がら年中やっていたみたいなんですよね。最近は宗派や宗教の垣根を超えて宗論を戦わせる、という事を聞かないので、伝統宗教の弛緩がこれを復活させることでかなり緩和されるのではないかと思います。

また議論といえば、私は福沢諭吉をよくくさしますし、実際問題が多いと思うんですが、慶応義塾の中で良い伝統を受け継いでいる人は、論議をする姿勢が確りとしている人が多いと思います。

福沢諭吉は忠臣蔵は義士なるか不義士なるか、どちらを持っても勝ってみせる、ということをやっていたようです(福翁自伝)。これを司馬遼太郎さんはディベートの練習をしていた、といっていたので西洋由来なのかと思っていたんですけど、これは適塾の風習で、恐らく元を辿っていけば日本の風習で、こういう論戦に辿り着くのではないかと思います。
「半学半教」といった適塾の伝統が生きているからである、ということに最近気が付きました。

「第 19 幅 伏外道(ふくげどう)」は異教徒を改心させている絵。異教徒が髑髏の首飾りを外している後ろで、羅漢が耳掃除をしています。この首飾りは修驗道の人が良くしていて、インドでこの風習を維持している村を、この前「ふしぎ発見」で訪ねていました。
白川文字学では道という字は首を掲げて進む字ですが、そういう古のユーラシアの風習が残っているわけですが、普遍宗教たる仏教にとっては教化の対象ですかね?

「第 21 幅 六道 地獄(ろくどう じごく)」からは非常に筆が踊っている、ということで、救おうとしても救えない原発村の人々が描かれています。

「第 25 幅 六道 鬼趣(きしゅ)」では羅漢が食べ物を差し出すのですが、食べようとすると発火してしまうという絵。解説には書かれていなかったと思うんですけど、これは仏教を説いても受け入れることが出来ない人々に対する暗喩で、みんな血まみれで非常に怖いのですが、地獄に落ちたら怖いぞというだけではなく、この連作自体が浮世の暗喩であるといえます。

もっと程度の高い話をすれば、仏教には「正受」という言葉がありますけど、人の優れた教えを正しく理解するのは難しい、という実感がこういう専門用語を成立させいます。前に天上天下唯我獨尊の話をしましたけど、人は境地に応じてしか説けないし、境地に応じてしか受け取れないんですねぇ。
これは、通常の学問でもいえると思います。全体の中での言葉の位置ですとか、ニュアンスの聞き取り違いが命取り、みたいな。

仏教というと非常に特殊なもののように思いますが、普遍的な精神的な教え、という意味でいえば現代もかくの如しで、特に今の日本はとりあえずは食糧事情も安定しているわけですから、もっと精進するべきなのだといえます。

「第 27 幅 六道 鬼趣」では一信の工夫で河童が描かれています。宝塔からのビームも冴え冴えしています。
「第 29 幅 六道 畜生(ちくしょう)」の動物達は元は人だった人だそうで、羅漢たちが動物愛護の精神を発揮しています。胸を開いたら仏が出てきた、ということで鹿が目を丸くしています。

「第 32 幅 六道 修羅」では諸葛孔明みたいな人が描かれていますね。「あの世にあっても戦をやめないどうしようもない奴ら」が描かれているらしく、躍動感溢れる戦乱の絵。

殺し合いですから論外ですけど、仏教は競争を否定している風な印象が世間では多いと思うんですけど、実際はどうでしょうか。
さっきの「論議」の絵がありましたけど、他流間・弟子同士は当然として、「半学半教」といいますか、弟子と師匠の間でも激しい問答が日常的に交わされていて、その間には常に真剣勝負がありました。
羅漢同士だって境地を競って切磋琢磨しているわけですから、伝統的な僧侶の修行には、競争に次ぐ競争であった、という面があると思います。

では、その競争にはどんな特徴があったか、といえば、競争するほど人材の質が上がっていく所にあったと思います。現代の競争では政官財メディア学界どれをみても酷いし、経産省や東電の社長のような人材を生み出す競争で良いのか。もっと人としての価値が積みあがっていくような競争を模索するべきではないかと思います。

また、東電ということでいえば、競争そのものが少ないということが大きいでしょう。社会が決定的に硬化していて、先ほどのスクラムの中で競争原理が働いていないのではないでしょうか。なので発送電分離は人材論的にみても必須であると言えるでしょう。

記者クラブの解体もかくの如しで、今回の震災でも一部のフリージャーナリストの情報の方が正確でしたが、彼らが競争に晒されていて、自らの足で立って、適当な事をいうとすぐに淘汰されてしまう環境にあったことが大きかったと思います。
TBSとか今になってしたり顔でSPEEDIの追及をしていましたけど、これまた片腹痛い。あなた達が癒着で初動が遅れたのが原因だ。

というわけで、現代でも「半学半教」に象徴される、フラットで活発な競争を江戸時代から学ぶべきではないかと思います。
山本太郎さんのような、自らの足で立つ人が得をするような社会を目指して、地味に前進して行こうではありませんか!

「第 33 幅 六道 人(にん)」では鎌倉時代以来、この画題では生老病死が描かれて来たが、ここでは王侯貴族が描かれているとの事。意味についての解説は特にないんですけど、王侯貴族を揶揄したのか。素直に読んで現世肯定的な感じのような気がします。やはりお釈迦様の暗さに反発したくなった?
「第 34 幅 六道 人」では太鼓橋を渡っての入城で、著しく中国風?ですが江戸城そのものですね。

文字数制限に引っかかったので分割いたします。

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