出光美術館 明・清陶磁の名品―官窯の洗練、民窯の創造

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三井物産が大規模太陽光発電所をつくるそうですね!
三井はどうもイタイイタイ病でイメージが悪くて、他の企業が良いというわけでもないですけど、三井記念美術館には行かないことにしていまして、三越にもただ券が無い限り行くことはありません。今度行ってみようかと思わないわけではないんですけど、グループ全体の動向を見極める必要がありそうですね。

しかしかなり前に、抱一の仏画が出るというので、まぁいっか、と思って美術館の正面まで行ったのですが、ギリシア風の建築がしゃらくさく、明治の嫌な気風を感じて、急旋回。
そのまま出光美術館に歩いていったんですけど、やっていたのは「王朝の恋―描かれた伊勢物語―」。王朝の恋?まぁ、いいや。。。。と思って入ったんですけど、カップルがいちゃついていてどうしたものか―――――――。

ギリシアが嫌いというわけではないんですけど、「文明国をめざして (全集 日本の歴史 13) 」(牧原 憲夫)では小森陽一さんの自己植民地化という言葉が引かれていましたが、そういう精神を代表している建築なのではないでしょうか。

自己植民地化にあたって大きな役割を果たしたものに軍隊がありますが、端的にいえば近代はナポレオンに代表されるように軍隊と密接な関係にあって、それを吟味しないで取り入れた結果、日本全体が軍隊化してしまったということです。

明治以降の日本は基本的に軍隊国家なんです。
たとえば起立・礼とか甲子園の軍隊行進とかですね。あれは僕にいわせれば、おじさんのハイカラ趣味に他ならない。韓国の跡を追う形で消えていく習俗なのではないかと思います。
ほかにも、最近志学館のポップス調の校歌が話題になりましたけど、全国の校歌の雛形は軍歌なのではないかと思うんですよね。

あと、日本人は人の気持ちを読むから意見をいえないんだ、と言われることがありますが、それは軍隊的な空気の中で言い難いだけで、人の気持ちを忖度する日本人本来の能力は既に絶滅に瀕しているのではないかと思います。

海外でも地元のニーズを読みきれなくて、他国企業に競り負けるということがあります。
外交でも日本は中国と違って自分たちの意見を聞いて、話し合うことが出来ない、というアジア諸国のぼやきが新聞に載っていました。

神主のもいっていましたけど(おつかれさま~♪)電車の中での気遣いの無さとかを見ても、そういったことが良く表れていると思います。そういう惨状なのではないかと思います。

何より議論には人の気持ちを忖度する能力が必須不可欠で、それはなければ、お互いの気持ちを汲み取って発展的な結論を出すことが出来ないのではないでしょうか。東電賠償支援機構法を通してしまう近年の国会ですとかは、そういう傾向が顕著なのではないかと思います。

今回の震災や現代の日本にみられる欠点というものは、意外なほどに軍隊が持っているとされる欠点と重なり合うのではないかと思います。
縦割りで横並びなんていう表現もありますけど、それは軍隊であるということです。

歴史の中で何がいけなかったのかということを正しく認識して、自己植民地化から抜け出し、かつての日本の長と、現代の長をあわせる所に、斉一性から抜け出した、人を本当に大切にする国家があるのだと思います。

行って参りました。
この日はかつて無くお客さんが少なく、いらっしゃるのは一つのフロアに2、3人だったりもします。折角、明・清の焼き物を扱っているのですから、中国ツアー、、、、じゃなくて、中国からツアー客を招けば良いと思うんですけどねぇ。あちらの人は結構焼き物が好きだと聞きますし。

解説もほとんど無く、焼き物がぽとりと置いてある展示。しかしカタログの解説はかなり充実していて、最初にぽとりと置かれていた「白磁壷」は大きく極めて肉厚で、なんのこっちゃと思っていたんですけどカタログを立ち読みした所によると、明王朝の宮廷の祭祀用だからこれだけ厚ぼったいのだろうとの事。

神様は大食いなんですかね?心が綺麗だと集中して召し上がるのかもしれませんね。

明王朝は最近中国で流行っているみたいですけど、どんなものですかね。日本のモンゴル関係の本では元の次の明を暗黒時代のように書いてあったりするのですが、実際洪武帝をしらべてもかなりあかん感じがしますし、文化的にも南宋・元に及ばないような気がします。

明王朝でもしばらくは元代の青花を良くつくっていたらしく「青花葡萄唐草文輪花皿」がエキゾチックな感じが良いお皿。
しかしパソコンは最初の設定では「青花」が変換できないんですねぇ。

明のものでは「黄釉皿」が黄色一色のお皿で、色むら無く塗るのは結構大変なのだそうです。
清廉な暖か味が、心が美しい女性を思わせます。
「白磁刻花龍文鉢」はクリーム色のやや赤みがかった色で、龍が彫られています。

展示その2は清の焼き物のシリーズ。
粉彩という技法が編み出されたらしく、「粉彩桃花文天球瓶」ですとか精緻な桃の描写が極めて典雅。
「五彩十二ヶ月花卉文杯」は熊田千佳慕さんを思わせる細密描写。
なにか骨董関係で清の焼き物を褒めているのを余りみないのですが、日本の茶道ですとかは、大拙、守拙といったものを大事にしますので、そういう尺度からいうと上手すぎるのかもしれません。
「青花臙脂紅龍文瓶」の龍とかも形式に流れているかも知れません。臙脂はえんじのことのようです。

他に新色がたくさん開発されたらしく「藍釉暗花龍門皿」ですとか「緑釉皿」が極めて鮮やか。特に「茶葉末釉獣耳方瓶」は日本で蕎麦釉といわれて親しまれたらしく、蕎麦に通じる渋くて簡素な味わいがなかなか。
前時代の焼き物とかなりかけ離れた感じもあり、清の焼き物は骨董という部類では括り難い面もあるのかもしれませんね。

この時代は民間の窯も元気だったらしく「金襴手孔雀文仙蓋瓶」はあおういう巧緻で豪華な金襴手。景徳鎮にあったらしく、鍋島と伊万里の関係に結構似ています。

「五彩牡丹唐草文尊式瓶」は商代の酒器を模したもので、焼き物には結構こういうのがあります。それにしてもこの前ふらふらっと神主の生中継をみてみたら、余りにも飲むのでビックリしたんですけど、CLAMP先生はもっと飲むんですかね?

「素三彩花卉文方瓶」は真っ黒ででなかなか綺麗な瓶。

展示その3の明代地方窯がおそらく一番面白く、「青磁刻花仙桃文皿」が緑の大皿。青磁に唐三彩のテイストが加えられているとの事。
「法花透彫人物文壷」は青と黄色と紫が使われた、ふんだんに透かし彫りされた大きな壷で、かなりユニーク。

かなり人が少なくマイコーになったのかと一瞬思ったほど(思わない)ですが、興味があって抑えておきたい分野だったので、ありがたい展覧会でした。ありがとうございました。

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