太田記念美術館 歌川芳艶~知られざる国芳の門弟

#音楽レビュー

前田武彦さんが亡くなられましたね。世代が違うので全盛期を知らないのですが、みのもんたさん並に出ていたとか。それが政治的なポーズ一つで全てから干されてしまったわけで、日本の自由の皮を被った強権体制ですか。ノモス極まる戦後、そういうものを象徴していた出来事だったと思います。団結小屋が取り壊された成田もそういう意味で象徴的なのではないでしょうか。
何か死を持って私たちに思い出させるメッセージがあったのかもしれません。重く受け止めるべきことだと思います。

前田武彦さんの共産党関連の話と同様。一昨日も大きいデモがあったようなんですが、どうも報道されないですねぇ。
干されたことすら報道されないのは、山本太郎さんとかと同じで、特定の問題については、意見が違うこと自体がタブーで、あってはならないことということでしょう。
そういう中でいうと、吉永小百合さんや鈴木杏さんは今後が心配です。

それにしても中国の脱線事故は、みんな突っ込んだと思いますけど、日本という主語を中国に変えただけのような報道でしたね。
「大災害の中の大きな愛を報道せよ」という通達が下っていたというのですが、日本の震災後のメディアをみるにつけ、なにをかいわんやです。

中国のメディアに関する報道で、商業的になると市民に寄り添った報道になる、と説明されていましたけど、それでは日本のマスコミはどのように解釈するべきですかね。

個人個人が商業的に振舞うことで世の中改善される、という思想があったと思うんですけど、現実には複合的な利権集団が出来て、諸々の監査が甘くなって事故は起きるは、情報は隠匿されるは、社会は活力を失うはで散々なわけですから、見直されるべきだと思うんです。

司馬遼太郎さんの思想を一言で言えば、戦争をやったのは個人個人が利己的に振舞わなかったからである、ということで、これを補強する話の間違いはこの前に書きましたし、実際戦争を調べて出てくるのは、中枢・責任のある人間の利己的な決断の塊です。これは今回の事故でもまったく変わっていません。

「この国のかたち」で龍馬の言葉として「英将秘訣」の「義理など夢にも思うことなかれ。身を縛らるるものなり」を引用して、なんと素晴らしい言葉だろう、と感嘆していますけど、こういう思想は捨てて社会を根底から見直す時期に来ているのではないでしょうか。

「第一次世界大戦中に展開された国民向けの強烈なプロパガンダは、政府ばかりか教会や種々の権威ある組織までが過剰な美辞麗句で団結と忍耐を繰り返し訴えつづけるものであったために、戦後になると国民の間で反動が生まれ、知的な青年たちの間では公的な道徳論に一切耳を貸さない風潮が強まった。」(空の帝国 アメリカの20世紀 (興亡の世界史) 生井 英考著 105ページ)らしく、第一次世界大戦後に西洋が体験したこういった時代の日本版といった面と、同時代としてはポストモダンの享楽的な風潮が、この文章の背後に流れているのではないかと思います。

こうした二つの中庸を欠いた時代を乗り越えて、東洋の理念に立ち返るべきだと思うのです。

行って参りました。

何でも史上初めての同作家の展覧会ということで、出品作の所蔵先は過半数が個人蔵で、太田記念美術館の展覧会として異例で、気合を感じます。

解説によると早くに流行絵師になった人なんですが、途中で遊びにふけって三年位ドロップアウトしていたらしく、同門の遊び友達が死んだことで、再び作画に精を出すようになったとの事。

いつもは肉筆画が飾ってるところに、代表作の錦絵があり「文治三年奥州高館合戦白衣川白竜昇天」は怪光線が乱れ飛ぶ、豪壮な合戦シーン。
この前の一信と合わせて、幕末の怪光線ブームを感じるのですが、横にある「為朝誉十傑(白縫姫と崇徳院)」は北斎の挿絵が下敷きらしく、その淵源は北斎にあるんですかね。

「どうけじごくごくらくのず」は宮本武蔵などが地獄の閻魔様などを返り討ちにしている図。
中に大力と書かれた、当時の力自慢の職業の人がいて、これは以前にNHKの「熱中人」で取り上げられていましたね。
昔の力自慢の人の事を調べている人が出ていたのですが、流浪の中で人間関係を築くのが上手かったらしく、今政治家にもこんな人がいれば、と嘆息していたのが印象的。
どんな人だかも解りませんけど、大きく肯きました。

師匠の国芳と較べると全体的に平凡な印象は免れないと思うんですが、「大江山酒呑退治」など中央に実に大きく異形の生物を据えた作品が印象的。

現代でも珍獣がいますけど、さすがにパンダでも素晴らしい女性の可愛らしさにはなかなか勝てません。

「祭礼図」は師弟合作。やっぱり昔のお祭りとかでも、暑くて脱水症状になったりするんですかね。
心が綺麗な女性の、水を飲む美しさに感動いたします。

「八代目市川団十郎の神谷仁衛門と四代目市川小団次おいわ」は肩の位置が写楽の「二代目嵐龍蔵の大伴の宿禰山主」並。

「当世物語嘘真 稽古所の嘘言」は、音曲の女師匠が弟子をおだてる一方、後で腕をまくって、人の遠吠えを聞くのも大儀な、とぼやいている図。
大儀なといえば、このまえさっしーの番組をみてみたんですけど、罰ゲームがかわいそうで、みていられませんでした\(^o^)/
先週は内無双を食らっていましたけど、相手の足を踏まないように気をつけるスポーツマンシップに感服いたしました。怪我にはお気をつけ下さい。
売れなくなっても良いんであんまり無理しないでくださいね。その方が売れると思いますので(多分)

忌憚無くいって、やはり定評のある絵師たちと較べると力が足りない感じもありましたが、江戸美術の新しい分野を発掘する熱意を感じました。ありがとうございました。

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