行って参りました。
この日は、AKBの選挙から間もない頃で、109の横では男女が、さっしーが4位、やべー、と噂話を。前にテレビで現代語の「やべー」は古語の「をかし」と意味が同じ、とやっていたので、とっさに、さっしーの4位、いとをかし、と脳内変換。絶妙の位地で風情がありますよね?!
りのさんはフラッシュも良く撮れていて、布で半分顔を隠したのとか、乙女な感じでしたし、目線も良かったとおもいます!りのさんのこれまでのグラビアのなかで、身体になんとなく、一番女性らしさを感じました。
みゅーずの17話は最初のあごの出た演技が思い切っていて良かったと思います!それでも、ちゃんと台詞が聞き取れたのも良かったと思います。
悪魔が乗り移った時も、台詞のイントネーションが独創的で、面白かったと思います!この感じで「お情けでも票は票だろぉ?秋元さんよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」といってh(以下略
意味がわかりません!も、いい感じだったと思います。
ヴァリエーションがあって、力があって、主人公としての役割を果たしていたとおもいます!
先生が血を吐いていましたけど、沖田という名前はこの複線だったんですねぇ。
司馬遼太郎さんは、他の作家と比較する新聞の記事などで、キャラクターを作るのが上手くない、と書かれていましたけど、そんなことはなくて、むしろキャラクター創作の手腕で売れていたといっても過言ではないと思います。
代表作は新撰組の沖田総司。ほとんど資料が残っていないこの人物の、大半の日本の文芸でのキャラクターは司馬遼太郎さんが創出したものを下敷きにしています。
そしてこの何か優しげで、どこか壊れたような雰囲気は、作者自身の本質にとても近いものなのではないか、と思うのです。
展覧会の一番最初の作品の、ダ・ヴィンチ考案の「柳の枝の飾り文様」は魔法陣風のデザインで、幾何学的でありながら自然を感じさせ、豊かな装飾性を誇っています。
当時の品としてジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ポルタ の「人間観相学」なる本が出品されていて、人類学・医学・犯罪学に生かされていたそうですが、恐らく今日では通用しないものでしょう。物に無理矢理な解釈を施して邪道というか変な方向に行くのは西洋科学の昔からの傾向で、今日も無縁であるとはとてもいえないでしょう。
ただ、解説では、ダ・ヴィンチの観相学は現代にも通じるものがある、というからわかりませんが。
一方、日本で観相学といえば、そういう流派もありますけど、例えば日本語の「挨拶」という言葉は禅語で、「禅語散策」(田上太秀 著)によると、あった瞬間に相手の心や器量を計る意味で、本来の挨拶は心と心のふれあいとのこと。
ベーシックであるが故に今日でも大切と思われる考えで、こういうことを意識して過ごしてみると、日常に高雅さが加わるということもあるのではないでしょうか。
ダ・ヴィンチの言葉が張ってあって「顔に人間の性格、人の癖や性質を部分的に示す特徴が見られるというのは真実である」とのことで、日本もこういったことを突き詰めて、みんなが野田を見た瞬簡に、ああ、だめだなぁ、と嘆息できるぐらいになればとてもよい国になると思います(^_^;)
前に大島さんとガガが似ているっていいましたけど、やっぱり具体的にみていくと色々似ているところは出てくるんですが、一番は、ぱっとみて、こう、この人なら信頼できそうだな、っていうのを感じるんですよね。ガガをみた時にそういう大島さんをみた時に感じたのと似たようなものを感じました。
おまけにいえば、現在のAKBは秋元(康)さんの信用の無さを、大島さんの信用力で中和している状態だと思うんですよね。
他に言葉では「どれほど多くの絵画が神聖な美の面影を保ち、その師たる自然が作ったものよりも高貴であり続けることか!」とのことで、芸術は自然に学びそれを超えるものとのことですが、許光俊が以前本で、芸術は人がやることだから人工美の方が良いんだ、というような事をいっていて頭をひねったものですが、私は真の有機的な名演こそ、自然を超える美として賞賛したいと思います。
リチニオの「鏡を持つ高級娼婦の肖像」はぽろりで妖艶さを強調。
「文明国をめざして」 (全集 日本の歴史 13)牧原 憲夫 (著) は身体に注目した本で、「東京府だけでも「裸体」で毎年1000人が処罰された。」らしく、こういった風俗を取り締まることと、「文明開化」を密接なものとして論じています。
大阪の刺青に関する議論はけんけんがくがくで、社会人としてどうかとかそういう議論も大切なのですが、新自由主義と一体になった「明治的なもの」の推進を目指す一つの分かりやすいサイン、として政策全般と密接に捉えていくことが必要だと思います。
何はともあれこの「文明化」で日本人の露出は異常に減り、今では世界でも最も女性の露出が少ないのではないでしょうか。
日本の男はなぜぱ○○にこだわるのかという論考が大真面目で議論されていますが、私からみれば文明化されすぎてしまったがゆえの憐れという一言でおしまいです。
このリチニオの絵にしても昔の日本人はこれをみても何も感じなかったと思いますが、いまでは若者の絵の中にも似たような趣向を目指したものはとても多いです。そういったものの最初のほうの絵がこの絵だといえるでしょう。
ダ・ヴィンチの「衣紋の習作」は断片ながらもなかなか良い絵で、今回いったのは広告のこれを眺めていたらなんとなく行きたくなったのが理由です(^_^;)
コントラストが明瞭ではっきり描かれていながら、全体としてはくすんだ良い雰囲気もあり、分析と総合を感じます。
ダ・ヴィンチと弟子の合作かもしれないという「岩窟の聖母」は流石に良い絵で、本物をみて非常に納得しました。
衣紋の襞・表情など素晴らしく、いたるところに研究が結晶しているのが感じられます。暗い洞窟と外の明るさも効果的な対比になっていて、その広がるパノラマ感も見事です。さながら質感の博覧会で、様々な効果を織り込むために計算されつくされた構図だというのがわかります。
やはり小さい印刷物ではよく解らない絵で、今までみた西洋絵画のなかで一番良かったと思いました。フェルメールの「手紙を書く婦人と召使い」なども良かったですけど。
近くにダ・ヴィンチの「慎ましやかな女性を描くときは頭を下げて斜めに傾げるといった仕草で描くと良い」という言葉が貼ってあってこの「岩窟の聖母」にはその言葉が生かされています。
女優さんでこういう事をやる人がいるかな、と考えたんですけど、にわかには浮かびませんね。ゆきりんが良く横を向いているイメージがありますけど、下には向けないので、品が良いけどお茶目な感じが出るのかもしれませんね。
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