名人戦の最終局はやはり3六金が感動するべき所でしょう。珍しい手ですよね。
それでも終盤は常に一手違いで、みかけより形勢に差が無かったのは、名人の上部の厚みが直接的には働いていなかったからでしょう。
羽生さんの好きな、淡々と粘る、という言葉は実戦から生まれたとてもいい言葉ですが、最後まで指した姿にそういったものも見られた様に思いました。両対局者ともお疲れさまでした。
ニコニコで名人戦をみていたらまた、途中でみれなくなったんですけど、お金はどうこうは別として、ニコニコについて具体的に思うのは、例えば震災後にユーストリームが担った役割をもう少し柔軟性をもたせればできたんじゃないかということですね。
もう一つは町山さんが上杉さんと対論したときとか、それではニコニコでやりましょう、といってそれで済むような環境が無かったことですね。
やはり一部閉じているからで、良質な公共の場を創出する事を一番に考えて、そこにビジネスモデルを沿わせてもらいたいと思います。そうじゃないと厳しい時代が訪れることすら、ひしひしと感じるのです。
行って参りました。
作品は二系統あって、今回は明治のものが沢山出されていた、戦国武者を楽しむもの。もう一つは合戦を幕末の戦争の隠喩として使うもので、一番ぶっ飛んだのは一勇斎国雪の「蒙古合戦図」で、モンゴル軍が乗っている船はなんと蒸気船!国雪なる画家は当時いないそうでたぶん国芳の偽名でしょう。
表面を取り繕えば何でもありで、現代の皇室関連や経産省・東電をはじめとした原発関連の風刺がより描き易いし、何より量質共に優れているのでは、などどいうと言い過ぎになってしまうのかどうか――――――。
皇室について提言すれば、最低戦後の退位は当然だったと思います。いち早く、出家して引退できるような制度を整えるべきだと思います。
祭式もモーニングをやめて、日本的にするべきだと思います。皇后には最近特に、文化の象徴としてそういったものを支えていこうという個人的な努力を感じることがあります。
男系男子は歴史的にも怪しいですし、ここだけ変えないのも意味不明。イギリスの王室は柔軟に対処しましたよね。存続を前提として議論をするなら、こういったことを直して京都に行って貰うのがやはり良いでしょうね。
相撲の土俵も少なくとも少し昔は今のようにやかましくは言っていなかったみたいで、伝統擁護派の側から言うと、伝統を振りかざす人の言う「伝統」には細心の注意を払っていただきたいと思います。
最近のブラタモリで久保田さんに触らせなかったところとか、もっと抗議するべきだと思います。僕に裁量があれば、相撲に予算は分配いたしません。
こういったものを、橋下維新などと併せてみると、明治的な、ある種の退行が社会全体から感じ取れます。
大阪のああいうのを復古主義的という人がいますが、「復古主義」の人は文楽の予算を削らないと思います。
君が代も国旗も明治以来の伝統であり、「明治のめは滅茶苦茶のめ」は野口武彦さんの名言ですが、その滅茶苦茶を起点に伝統を語られても、伝統の中に非常に大事なものがあって、それを大切にするべきではないか、という立場の私のような人間からすると、とても的外れの議論のように感じます。
明治に作られた伝統から自由にならないと、いい加減言論界の議論は深まらないと思います。
文楽のような文化を深めると、東洋的な意味での自由といいますか、本当の意味での主体性のようなものがついてくると思います。橋下さんは直観的にそういうものを嫌っているのではないかと思いますね。
一方、ブレーンの古賀さんは良いことも言うんですけど、最近はどれだけ意思の統一が図られているのか怪しいものです。
古賀さんはよく自然災害特集などのコメントで、日本人は自然だから仕方が無いという風になりがちだけど、やることをやるべきだ、ということをいうのですが、私は自然だから仕方が無いといっている人は知らないんですよね。
むしろ治水や津波対策など、自然の猛威を自覚するからこそ、その対策に智慧をこらせてきたのが日本の伝統だったと思います。
他にも、古賀さんの色々なコメントをみていって並べてみると、日本人は思考停止に陥っているが、俺は違う。という思想に収斂するんですよね。ちょっと無理気味にそういう論理を構成していく傾向があると思います。
姿勢を見ていくとやっぱり背中が硬いんですよね。いわゆる良い姿勢であるが故に自然体の視点からみると悪い姿勢、といった感じだと思います。
関電との交渉で問題になっているコメントも、失言といえるかは微妙でしょうけど、慎重にやらなければいけないときに付け入る隙を与えてしまったとはいえるでしょう。
悪い意味で大上段から振りかぶってしまったが故に出てきたコメントで、色々やっていくと失言は出てくる人だろうなぁ、と思ってみていました。
6月2日のニュースキャスターでは、渡辺えみさんはかなり橋下の転換を残念に思っていたみたいで、やはり原発に抗議する情熱が伝わってきました。横の齋藤孝さんは経産省からの独立性が何とか、とかありきたりな穏当な表現に留まっていて、率直に言って残念に思います。
6月16日ニュースキャスターで齋藤さんは高橋逮捕のニュースについて、漫画喫茶にきっちり身分証明書を提示してから入れるようにするべきだといっていましたけど、漫画喫茶に来られる方にはそういうものを持ち合わせていない人も多く、そういう意見を言うならそこをフォローする提言が必要でしょう。
福沢諭吉とか、言ってしまえはやっぱりでんぱだと思うんですけど、氏の著作をリバイバルしている齋藤さんは新自由主義的な傾向があって、疑問に感じることが多くあります。
また、齋藤さんは藤原正彦と対談していましたけど、氏がいくら品格品格といっても本人からまったく品格が感じられないのは、軸が無いからです。そういう人と大切な本で対談をするのは、身体関連の著作を書かれる人として疑問だと思います。
最初においてあった錦絵は広重の「信州川中嶋合戦之図」で、ここから川中島を描くのが流行ったそうです。
明治の芳年の作品が多く、この人はあまり好きではないのでさらっと。
歌川芳藤の「元弘年中楠木正成北條が八十万の大軍を防がんと千早の城へ楯こもり兵糧運送の図」は暗喩として外国との戦いに備える江戸城を描いているらしく、ペリー来航前の1849年の作品ですから、やはりそのころからロシア関係などぴりぴりしていたみたいですね。
凄絶な場面が多く、ちょっとささくれだった企画展でもあったので、最後の広重の東海道五十三次や北斎の富岳三十六景には癒されました(笑)
小林清親の「今古誠画 浮世画類考之内 天正三年之頃(山内一豊)」は有名な山内一豊の妻が馬を買ったという美談。しかしこれは山内家の資料に無く、出典がかなり怪しいらしい。
このエピソードが引かれている「功名が辻」は私が読んだことのない司馬作品の内の一つですが、ウィキペディアによると良妻賢母が主題であるとのこと。
良妻賢母は明治に成立したといわれています。
司馬遼太郎さんの作品の一つの特徴として、現代の日本を歴史的に擁護する、という傾向がありました。
例えば日本語に男に対する罵り言葉が少ないのは、女性の地位が低かったからである、といっていたのですが、そうとはいえないでしょう。
昔から女性を描くのが苦手だった、といわれていますが、「ひとびとの跫音」の子規の妹の律をはじめとして、主体的なキャラクターに乏しいのではないでしょうか。
坂本龍馬には同志の妹を男装させて志士にしようとした(らしい)、というとても面白いエピソードがありましたが、あれは小説に取り上げられていませんでしたよね?
また、日本で医者の地位が高いのは御殿医の伝統である、といっていて、「胡蝶の夢」ですとかそういう線で描かれていたと思うんですが、日本の医者は(人によってかなり違いますが)伝統的に地位が高くないと聞きました。
地位とは関係ないですけど、自分から回診に出かけるような人が、明治ではまだ多かったと思います。
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