出光美術館 日本の美・発見V―「笑(わらい)」のこころ その5

#その他芸術、アート

新聞は読んでいくと相変わらず酷く、7月23日の朝日新聞の窓のコーナーでは小沢を貶していますけど、理屈から言えばマニフェストを破った野田を非難するのが筋で、そのあとにやるべきことだと思います。

この日の前後に何度か立花隆が肯定的な文脈で出てくることも疑問で、散々嘘を書いて、謝りも弁明もしていないのですから、そういう時点で肯定的に扱うのは、嘘を肯定していて、間違っていると思います。こういう所をしっかりしていくのが、責任を取れる国にするためのむしろ急所ともいえると思います。つくほうもそれを本来正すべきほうも、感覚が麻痺して、なんとも思わなくなってしまっているのです。

19日の「決められない政治」云々も意味不明で、原子力ムラを擁護するとためとはいえ、良くこんな変な言葉を考え出してきたな、と嘆かざるを得ません。

7月10日の「鳩山氏への大甘処分」の見出しも同じで、本来野田のマニフェスト違反を突くべきというのは最早いうのも面倒くさい。

27日も声の欄で市民に鳩山を批判させていましたけど、結局普天間で間違ったなんとか、という批判しか出てこず、これは沖縄の地元で評判が良いらしく、テレビが捏造したミスといえるレヴェルで、沖縄についてはむしろ前向きに取り組まない以降の政権の方が酷いことは明らかだと思います。

超巨大化したデモをやっとベタ記事で取り上げたかと思えば「社会像 代案を」とか「手弁当 人繰大変」といった見出しで、「都会で反原発を唱えていれば」云々という内容。それはデモを最初から他のデモと峻別しないレヴェルで正当に取り上げてきたメディアがはじめていう事を許される言葉だと思います。
「代案」は(テレビ・新聞・教育がつくり出した)安全神話や原発低額神話がまかり通っていた時の常套文句ですが、代案としての、再生可能エネルギーと地域分散の社会モデルは広く共有されていると思います。それを検証してからいうべきであり、頭が事故前で止っています。

沖縄電力を取り上げた記事もありましたけど、CO2削減に課題、という疑問符をつけた取り上げ方で、原発が温暖化防止になる、という方向一辺倒で取り上げてきたのを振り返って、検証してから指摘するべきことだと思います。

「放射線教育 悩む学校」というのもありましたが、科学者は今までもこれからも、正しい事を伝えようとしているのだけれども、「保護者の反発が不安」という内容で唖然。不活化ワクチンのときも、保護者の知識の足りなさから切り替えが遅れた、という意味不明な記事を見かけましたが、同じ発想だと思います。
振り返るべきは「原子力わくわくランド」であり、そういった体質を未だに批判できない大手メディアの体質なのです。

トヨタ出身の金田という人がNHKに勤めてまた古巣に戻った、という記事もありましたけど、NHKの震災報道をパニックを防いだとし、NHKはもっとTPP推進で国論をまとめろと、文脈からみるとおそらく言っている、電波インタヴューでトヨタは変な人材を作ってもせいぜい内部で留めて欲しいと思います。

7月5日には藤本貫之という人の、ネット世論の未熟さみえた、という記事が河本バッシングとマライアの話を並べて論じていましたが、マライアの話は国からお金が出ていなく、並べるのに不適当な問題だと思います。
これについては支給額を下げる前段階としてのキャンペーンを官庁がテレビ・新聞に命じて、それにネット世論が踊らされている、という見方もあって、ありえるなぁ、とは思うんですけど、裏の取りようはありません。
まずは、支給額以前に仕組みの変更について話し合うのが、正しいと思います。
こういう騒ぎの裏には新自由主義の普及があって、その総本山がアメリカである、という関係を抑えないと本質が観えてこないと思います。

フラガールの人の記事もありましたけど、これは正に東電が賠償を支払うべき事柄で、復興を目指して頑張れ、というのはジャーナリズムとして極めて疑問だと思います。

23日の宮沢賢治の特集記事では、敵のために主人公の親友が死んでしまう展開は法華経では説明できない、として普遍的な倫理を描いた、としていますが、仏教では釈迦が前世で虎に自らの身を投げ出してしまう説話など、文字通り基本以前に強調されている概念で、おかしい記述だと思います。

理屈では敵なんですけど、自然に慈悲の心が働いて助けてしまう、というのが骨子で、これはまさに身体性に属することです。法華宗でも法華経を色読しろ(身体で読め)とか身体性が強調されますけど、まさにそのことを描いていると思います。
水が高きから低きに流れる如くの、内発的な説話で、やせ我慢の道徳的な話には決して受け取ってはならない、ということが重要な部分だと思います。

また、過去の偉人から不離不即の仏教などの伝統的な要素を剥がして褒め称えたい、というのは司馬遼太郎さんにも繰り返し出てくる要素(振りまいた幻想)で、戦後社会の大きな欲望の一つなのだと思います。
前に横井小楠が東洋思想重視だったという事を書いていなかった、ということを書きましたが、自らが賞を設立した山片蟠桃についても朱子学の信奉者だった、という面はまったく書いておらず、このことに私が気が付いたのも、実は十年以上前ではないと思います(^_^;)
山片蟠桃の世界は朱子学の格物致知をもって鍛えられた本質を観る眼によって築き上げられた学問である、というのは本人も強調しているみたいですが、我々もまさにその通りに受け取って生かすべきだと思います。「夢の代」という著作の名前も、なんとなく荘子っぽいですよね。

ずっと昔に出た「湯川秀樹が考えたこと」( (岩波ジュニア新書 95) 佐藤 文隆 (著))なんていう本を読みますと、「原子力の脅威から人類が自己を守るという目的はどのような目的よりも上位に置かれるべきではないだろうか 。」(154ページ)なんて書かれていてはっとっさせられますけど、この人も東洋の思想と向き合って鍛えられたことが人生の大きなトピックになっています。
にわかには科学的な繋がりに得心行かない方もいらっしゃるかと思いますが、そういうものだ、ということだと思います。

一方東京新聞では夕刊の社会時評に高村薫さんの文章が載っていて、この人は震災前後からかなりしっかりした事を仰っている方ですよね。
この文章も例に漏れないのですが「これが繁栄の終わりの惨状なのかと思う。」という末尾がちょっと気になります。やはりバブル経済を繁栄と呼ぶような思考からは未来はみえてこないでしょう。
それは経済的な成長を放棄するということではなくて、むしろ高度経済成長とまったく違った発想の先にむしろ成長の余地もあるということです。
原発は典型ですけど、あの時代のつけを払っている、というのが正しい認識で、本当の意味で、決して繁栄ではなかったと思います。

高村さんの思想を正しくフォローできているかはわかりませんが、こういう思考で原発後の世界をみている人は多く、それでは良くないと思うので、そういう意味でもあえて書いておきました。

また少し同じようなのでは、7月24日の朝日新聞に川本愛一郎さんという水俣病の運動をなさっている方のインタヴューが載っていますけど、水俣は経済発展の犧牲になった、という文脈で、前にも書きましたけどそれはおかしいと思います。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/52706718.html
7月3日に池澤夏樹さんが「会社はこの結果を握りつぶした。その段階で会社が非を認めてあの方法によるアセトアルデヒドの製造を止めていれば被害者の数はこんなに増えなかった。」と書いてある通りで、むしろ問題にするべきはその時点でやめられなった人達の精神性であって、それを深くえぐれなかったメディアです。調べると、報道の凄まじく酷い不作為も一杯あったようです。
それを社会全体に責任を押し付けるのはおかしいと思います。

水俣の犧牲は、人の犧牲が出ているわけですから、経済発展にとってはむしろマイナスだったと思います。

川本さんの文脈で主張すれば、日本の経済成長を支えたという栄誉が水俣やその運動を支えている人達に来るのかも知れませんが、むしろ日本の体質改善の嚆矢になったという名誉を目指すべきだと思います。
経済成長には犧牲が必要だ、といったような現実離れした理屈になって、エレガントな成長を果せなくなってしまうと思います。
獅子身中の蟲、というと申し訳が無いですけど、こういう形で本質からずれた位地付けをしてしまうと、再発防止に有効ではなく、被害者の方々も浮かばれないと思います。

これも川本さんの思想をどこまでフォローできているかはわかりませんが、こういう考えの人は多く、それは問題だと思うので、あえて書いておきました。

朝日新聞では東電の値上げのニュースを一面に書いていたのですが、4人家族で夫婦が共働きの設定で、使用量がかなり低く見積もられており、どこを基準にしているんだ、とラジオでも抗議の声をいくつか聞きました。

4人家族で3段階まで行かないというのは、ありえないと思います。冷房をまったく使わなくても、3段階は超えると思います。

こういう報道が悲しいですし、もっというと東電よりに常に報道するのが悲しいというより愚かしいですね。

しかも値上げを決めた個人個人に対する切り込みはゼロです。

テレビでも経産省が東電の値上げを認可した、とありましたけど、誰の考えで、誰の責任においてなのか、はっきりと報道するべきだとおもいます。

東京地検が東電に対する告発を受理しましたけど、朝日新聞8月2日一面は、国民感情に配慮してやったのだろうけど難しいだろう、という内容。ここは過去の、事故をちゃんと伝えてこなかった(過去を遡ると、重要な事故でも載っていなかったり扱いが小さいという話があります。それが当っていても当っていなくても自社で検討して、紙面で調査を発表するべき事柄だと思います)原発は安い・安全・温暖化に効果的などの間違えた報道を繰り返してきたことを悔いながら、捜査を当然とするところだと思います。

http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201207200768.html)「線量計に鉛板、東電下請けが指示 原発作業で被曝偽装」
というニュースがありますけど、これはどう考えても立派な犯罪です。これだけでも強制捜査をするべきですし、メディアはきちんと要求するべきだと思います。

被害の規模や東電の人事のような姿勢からいって告発の受理は当然とするのが当然のことです。

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