NHKの8月22日の午後9時代では、脱原発でもは伸べ20万人が集まったと発表していましたけど、明らかに過少でしょう。
同日の報ステではデモの代表との会談のニュースの後に、原発推進派の岡村日商会頭との会談を流していて、いかにも経済界の代表のように報道していましたが、東芝の元会長であることを報道しなければ情報としての中立性は保てません。BPOが指摘するべき事案だと思います。
また、政府の試算をそのまま放送して太陽光に疑問を投げかけていましたが、これもおかしな報道で、家庭の屋根だけで試算するのはナンセンスです。
さらにいえば再生可能エネを紹介するという文脈なら他にも方式は沢山あります。
原発の是非を問う特集だったのに、使用済み核燃料の話も無かったと思います。
ラジオでは猪瀬直樹が即時の脱原発は情緒的で、技術者がいなくなるという寺島ロジックを展開していましたけど、先の無い産業であって、人材が集まらないのは昔からで推進派にしても脱原発派にしても技術者の確保は課題である、と小出さんは著書に書いています。推進すれば技術者が集まるというのは根拠の無い楽観論であるといえます。
一つ提案したいんですけど、推進しないと技術者が入ってこない、というのが寺島ロジックですけど、むしろ廃炉の為の技術者を育成します、という風に方針をしっかり確定すると、志の高い人が入ってくる可能性があると思うんですよね。
あえていえば無理をして伸張させないと集まってこないというのは、無理矢理であって、昭和初期的発想だと思います。
それにしてもこういう人をいかにも東電と対立しているかのように報じるメディアの罪はとても重いと思います。テレビは八百長を何度真剣勝負に仕立てれば気が済むのでしょうか。
それと、情緒的といって人の意見を否定する人は怪しい、といいますか、もちろん悪い意味で情緒的に意見を述べるのは良くないのですが、多くの人のニュアンスに含まれることを感じますと、歪んだ男性原理的な側面から「情緒」を否定しているのではないかとおもうのです。
事故が起こった後もspeedi隠しを初め冷血な態度は沢山観ましたし、この杜撰な対策にしても人の命に対する情緒の欠落が大きな理由だと思うのです。
使うにしても情緒の大切さをかみ締めてから言うのが正しい態度だと思います。
脱原発運動に沢山参加されている母親の方達も、やはり子供を守らなければという感情に突き動かされていると思うんですよね。洗練された形で運用できれば感情というものは自らや周囲を大いに助けるものですし、そういう洗練を達成する為の古代からの智慧が仏教であるといえると思います。仏性とはそういうふうに本源に帰れば人間は上手くできている、という人という存在への信頼のこと、と言い換えることが出来ると思います。
同じくラジオで小出さんは、オリンピックは国威発揚なので興味が無いといったそうですが、それだけではなく、真摯な努力のぶつかり合いでもあります。あまりにも一つの面を強調してみすぎているのではないでしょうか。
だまされたあなたにも責任がある、ということで書かれていますけど、僭越ですけど、小出さんに本当に責任は無いのだろうか、と思うときがあります。謙譲の意味も籠めてそういうことも仰っていらっしゃるみたいですが、そうではなくて、たとえば夜は電気を使わない生活をされていたそうですけど、これは原発推進派の、原発が要らないというのなら電気を使うな、という主張に沿っていないでしょうか。多くの人に誤解を与えたということがあったのではないかと思うのです。
再生可能エネルギーも最近は期待されているとも聞きますが、近著では否定されています。
最近でも瓦礫の堤防への転用を汚染の視点から否定していましたけど、ちょっと現実から遊離しているのではないかと思いました。
それは東電がすべて引き取れれれば理想ですけど、今の状況ならまず広域処理を白紙に戻して埋め立てた上で、東電に堤防の汚染分の賠償を求めるのが現実的なのではないかと思います。
良いこともたくさん仰っているんですけど、極端だったり現実から遊離した提案も多いんですよね。
他にも小出さんは相変わらず汚染された食物を食べるべきだといっていて、万が一流通が精確に確保されたと仮定しても、食べるのは意識が低かったり、ボンビー人やその家族だろう、と思われるのですが、嘆くだけではなく、そこら辺と正面から向き合って議論するべきだと思います。
小出さんの提案は非常にボンビーだったり不自由だったりする人に負担をかけるものが多く、夜に電気を使わないように早く寝られるのが有名ですが、そういった風な節電慎ましやか路線にしても、それで困るのは、まず第一にお年寄りや障害を持っている人だと思います。
それ以外にも温暖化CO2主因説を否定されていて、私自身もその可能性はあるのかなと思うときがありますが、著書の中でその理由にあげているのが、決着したと思われる、論文の嘘に関する話であって、これを理由にすると言うのは自分に都合の良いバイアスをかけて語れる人なのではないかという疑念がぬぐえません。
第一そういった生活・主張は脱原発運動に対して誤解を招きかねないのではないでしょうか。
もちろん長年の反原発活動は素晴らしいのですが、そういったこともあって反原発運動の柱になりきれなかったところがあったのではないかなぁ、とも正直に言えば思います。
8月23日の朝8時40分ごろのテレ朝のモーニングバードでは、市民団体との会談を放送して、脱原発には電気料金の値上げや代替エネルギーなど課題が残る、とやっていましたが、原発が安いという神話は崩されており、振り返りもせずにしつこいと思います。事故前から以後の原発は安いという報道を一つづつ数え上げて、すべて謝罪とともに訂正するべきだとおもいます。
読売ではこの会談について、庶民にこびるのか、とポピュリズムを指摘していたみたいですけど、庶民が正しいのは明らかですし、その声を聞くのが政治の正しい姿です。
会談で出された人事案の撤回の部分はデモでもとても大きな掛け声であって、その是非をテレビは特集するべきだと思います。
昨日のデモはインターネットでみたんですけど、スコップをみんなで持って音頭を踊ったのが面白かったですね。サンバみたいにボンゴで踊っているのも面白かったです。
一方、先頭で掛け声をかけている人はがなりすぎで、一緒に掛け声をかけている人が楽しくなるような呼吸の工夫が必要でしょう。
やっぱりやればやるほど楽しくなる工夫、というのは重要ですよね。
しかし裏を取っていませんけど、安保運動の時に物を持って集まってはいけない、というふうに変ったと聞いたんですけど、スコップは大丈夫なんですかね。
世界民族音楽大集成の日本の音楽にスコップを持って歌うのがありますけど、それを思い出しました。
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