東京藝術大学大学美術館 日中国交正常化40周年記念 特別展「草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス―」 その4

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シャープの経営でごたごたしたニュースが続いていますけど、地デジへの強引な切り替えやエコポイントが歪な消費行動を引き起こして、最高益から一気にシャープを叩き落したのではないですかね。digでも地デジで消費を先食いしたのがシャープの危機の理由の一つだ、といっていました。とすれば半ば国の失策であり、更に言えば地デジは利権の巣窟であり、エコポイントはその場で使える訳ではなく、わけのわからに事務作業を踏まないと使えないようになっていて、ここで公務員の仕事を増やす意図があったのではないかと思います。

国の利益より、自分たちの利権を優先したマイナスが大きく絡んでいるのではないでしょうか。
そしてこの二つはかなり重要なのに、ゆるきゃらとアナウンサーをアイドル的に使ってごまかすばかりで、テレビで追及しているのをみたことがありません。これもきわめて重要なことです。

テレビの不振は他の家電会社にも酷い状況をもたらしており、その場しのぎの消費の先食いは本当に罪が大きかったと思います。

そもそも本当の政府と企業の関係というのは、イノベーションを促して需要を喚起するためにあるべきで、消費者が買いたくもないものを買わせて甘い汁をばら撒くというのは極めて筋が悪く、政策として末期的だと思います。

更に言えば、ものももったいない。9月11日のモーニングバードを初め廃品回収の闇を追う特集はみかけますけど、あのアナログテレビの山は国の政策の犠牲者であり、痛ましさを感じます。そういう政策的な視点からも取り上げるべき特集だと思います。

今でも禅坊などでは、物惜しみに陥るのを警戒しつつ、ものを大切にして十全に生かしきる事を、かなりしつこく教えているみたいですが、そういう基本的な精神を今の政策を立案している世代に伝えられなかったのではないでしょうか。

欧米でいう政教分離は政策に直接関与しないということであって、その精神自体は大きく生かして政治を行っています。ただ、アメリカの福音派のような状況になると良くなく、こういったところはまさに政教分離をするべきだと思うんですが、これは人種的な問題も絡んで歪になっているといえるでしょう。欧州ではドイツの脱原発の会議に聖職者が招集されていたことなどは良い伝統の一つでしょう。

それを何を思ったのか、優れた日本の精神的な土壌を、すっぱり切り離してすっからかんの政治にしてしまったのが明治以降の日本政府で、そういったつけがそういう所にも表れているのではないでしょうか。
そしてそれは前に書いたようなことも大きく影響していると思います。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/51202955.html

8月30日のNHKの午後9時のニュースでは、東大総長が出ていて、日本の政治に喝、とやっていましたけど、電力関係の資金を受け入れて、御用学者をぽこぽこ量産してきたのはこの人でしょう。本来は恥ずかしくて出て来れないでしょうし、メディアもそういう質問をするべきだと思うのですが、みていませんが恐らくしなかったでしょう(確信に基づいた断定的推測)
メディアが責任を問うべき人に責任を問わない。もっと率直に言えば、責任を取るべき人達が、団子になってお互いを権威と称えあってごまかしているのではないでしょうか。その目的は利益の確保でしょう。

8月30日の日テレの午後6時半ごろのニュースでは、最終処分場についてやっていましたけど、日テレらしからぬ好特集。この国土では様々な意味で原子力発電はどだい無理なのだと自然に悟らせます。

ただ、酷いのがコメンテーターの鎌田實さんのまとめで、最終処分場を重要なファクターとして原発の比率を考えるべきだ、との発言で自分の意見が入っていません。
チェルノブイリに行って人助けをするような感じでいらっしゃったと思うんですが、どうもポーズを感じざるを得ません。ああいう所に行けば核の悲劇は体感しているはずなんですが、自分の利害が絡む身近では主張しません。本来なら震災以降に最もやるべきことがあったはずなのに、被災地との交流が何とかとか、悪い意味で穏当な仕事に終始しています。
こういう人間は本当に肚に据えかねるというのが正直な所です。

鎌田さんは9月5日の文化放送ではテレビと較べて結構しっかり言っているようでしたけど、再就職などに触れて、周辺を綺麗にしてから議論して欲しい。とか、原子力規制委員会の人事にしても疑問を呈しながらも、推進に行くにしてもしっかり釘が刺されるということが必要なのではないか。といった言い回しで、こういう経歴の人にしては脱原発へ向けた直截的な迫力に欠けると思います。

8月30日のTBSの午後5時半ごろのニュースでは、旧屋内退避区域の賠償金打ち切りについてやっていましたけど、通達の乱暴さは論外ですし、金額がこの括りの人達もそれ以外も少なすぎます。
VTR中では原発事故被災者支援弁護団が加害者が賠償金を決めるのはそもそもおかしいといっていました。

やはり東電が賠償金を節約して生き残ろうとしているのが問題であって、その状況を作っているのは政府です。そこが問題の本質ですし、今後20mSv未満以内は早く帰そうとしている、田中俊一らの主導の政府対応をこういう節約の観点から、厳しく追求するべきだと思います。

また、そもそも未だに同心円を基準にしてやっているのがおかしく、決めた人間と、継続を決断している人間は個人名でもって説明してもらいたいと思います。メディアも直撃するべきです。

8月30日の玉川総研は自給自足で暮らす若者をやっていましたけど、理由を聞くと、こういう生活ができると不安を煽られることもない、とのことで、計画停電や、脅迫停電といわれる計画停電の煽りなどが不安の煽りの一つでしょう。

計画停電は電気(原発)は大切なんだぞ、と威すつもりだったのでしょうけど、若者側からは、ならそれでいいです、という動きが出てきているといえるわけで、本当なら安定したインフラを元にガンガン働くべき人達が、(電力会社の作為によって)それを前提に出来ないがためにあんまり税金を払えない類の(多分)仕事に流れて行っているといえます。

ただやはり計画停電で病院の電気などを容赦なく切られた時は悲惨だったので、電力会社がまともにならないかぎり社会に対する脅威は永遠について回ります。
それにやはり、少しだけいらっしゃるのはいいですけど、こういう人達が増えすぎるのも問題でしょう。

未来はどちらに転んでもそちら(原発)には行かないので、原子力ムラやその周辺の人達も、もう重厚長大の戦艦大和型の発想は諦めたらいかがか。

8月29日の朝日新聞では「福島産上がらぬ価格」「復興支援さめる?」との見出しですが、例えば今度規制委員会のトップに就く田中俊一は、今回の米のベルトコンベア検査に反対し、森林の除染に反対し、基準値の引き下げにも反対しました。それは賠償費用を節約しようという意図であり、それを重要ポストに据えようとする国の「食べて応援キャンペーン」も同じ主旨のものだといえます。

そういう状況で福島産の安全宣言にたやすく乗らないのは消費者として当然であって、新聞は先に政府の拝金主義的な意図を批判するべきだと思います。この記事は食べて応援キャンペーンの後押しであり、国とメディアの一体性は震災後も揺るぎません。

原発事故の原因をはじめ今日なぜこのようなことになっているかというと、いわゆる記者クラブメディアが政府から特別な情報などを貰うことによって、半官半民に位地にあることが問題であって、第二次世界大戦から引き出すべき教訓はメディアは決して半官半民になってはならない、ということだったと思います。

この前に取り上げました、戦争が始まる頃ではもう新聞は時世に抗えなかった、という話や、統帥権、に責任を求める議論が本質を外しているのではないかという話をしましたが、常にもっと根源的なところに立ち返らなければ、反省として生かせません。

今回も例えば、総括原価方式が悪かった、という結論を導き出しても後世に残るものは皆無ですよね。もちろんこれすら打破できなければどうしようもありませんが。
そこにたかるようになるまでの官民のあり方があって、その後ろには更に人材の問題があるわけですね。

8月28日のクローズアップ現代では浜口中将という特攻作戦を指揮した人物が、遺書を集めさせて、遺族としての記憶を絶つとともに、本人たちが望んで特攻に志願したという自己保身の本の出版に使ったということをやっていましたけど、こういう人物が戦後も生きていることに唖然とします。特攻関係ではおそらく誰も責任を取っていないですよね。

特攻は本人たちが志願した、というのは少し前までは常識だったと思うのですが、今後覆るのでしょうか。そこまでは番組は踏み込んでいませんでしたけど、他の資料によると、他の兵士達も天皇陛下万歳といって死んでいったと戦後にドラマなどで捏造されたそうなので、これも恐らくそういうことになるのではないかと思います。

原子力ムラも責任を取らせないままで野放しにしておくと、何を始めるかわかったものではありません。歴史や記録・記憶の改竄も恐らくやるでしょう。国にとって、一日でも早くここの処理をしなければなりません。

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