Bunkamuraザ・ミュージアム 国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展その6

#その他芸術、アート

10月16日の山口一臣さんを招いた大竹まことさんのラジオでは、復興予算の使い道の酷さをやっていて、ああやってどうでも良いのに使っている一方事業を再開しようと資金を申請しても6割が通らなくて困っている状態であるとのこと。

消費税は推して知るべし、ということで、国土強靭化法案が通った今、増税分が借金返済に使われているという多くの議論の前提自体がまったく根拠が無い状態になっていると思います。

ただ二人は、お上がやることは正しい、と思っていたのではないか、日本も欧米に近づいてきた、といっていましたけど、この言葉は江戸期はアジア専制論的な世界であったという歴史観を前提とした、明治以降にできた言い回しだと思うので使わない方が良いと思うんですよね。

来年からは原則被災地のためだけに使う、といっていますが、今の政府の使用法では、原則というのはやらないということであり、そもそもまず最初に涙を流して平謝りに謝るべきであって、原則などと付ける神経は信じ難いものがあります。

ウイルスによる犯行予告事件は、警察がこういった杜撰な捜査をしているかぎりいつか起こる事件だったといえるでしょう。
ただやはり報道の焦点にするべきだと思うのは、複数の人間が自白していることで、その先には可視化の問題があります。
犯行声明が送られたということで元検事の落合弁護士が色々な番組出ていますが、たとえば10月17日のモーニングバードでは可視化などについていわず、誰もそのことについて質問しないのも疑問に思いました。ただこの番組ではコメンテーターが少し可視化という言葉を言っていましたね。

森口事件より報道を間違えてしまったということの検証、批判の試合に時間を割くべきであって、そもそも当初からIPアドレスを頼りに逮捕して良いのかという疑問を提示するべきだったのではないかと思います。

もう一つは未成年なのに明治大学生の学校名が出ていることで、ちょっと慣例がわからないんですけど、おかしいのではないかと思います。

10月17日のTBSの午後6時過ぎのニュースでは復興予算の話をやっていて、被災地で漁業者が冷凍庫も買えないのに霞ヶ関の改修などに使って良いのかという内容。
漁業ということで、捕鯨の予算が実質日本鯨類研究所に流れている、ということをやっていたのですが、鯨類研究所に流れているということはどういうことかという突込みがありません。
官僚の再就職の巣窟であって、そこら辺を解き明かして個人名を挙げることによって、はじめて再発防止の力を持つ報道になるといえます。

10月17日のテレ朝の午後6時半ごろのニュースでは長々と特集で放射能を取り除く偽薬を売っているという詐欺についてやっていましたが、除染の方法があるにもかかわらずコストをカットして東電を助けようとしている環境省のあり方の方が深刻で、あえて言えば小悪党といえるでしょう。叩きやすい所を仰々しく叩いている感じで、iPSの嘘臨床の一連の報道と同じものを感じます。

10月18日のNHKのニュース9では「風評被害」ということで安達太良山の観光をやっていて、線量計は大きく問題のない値を示していて、実際そうなのでしょうが、時間が流れて山の中に沈潜してしまったのでしょう。

政府が復興予算をいらないものにつける一方、山の除染を東電を助ける為にサボタージュしているのが非常に問題であり、ここを掘り下げた上で、山の美しさを称えたら良いのではないでしょうか。

減った観光客分は東電が補償するべきだという事も、必ず忘れてはいけません。放送しないのは旅行や東電に事業債を買って貰っていることが影響しているのでしょう。

「山に子供たちが……!」と陶酔的に読んだナレーションが北朝鮮の首領様を称える時のイントネーションとそっくりで、病膏肓なものを感じます。

原発から70キロの温泉の客が入りが悪いのも「風評被害」とやっていましたけど、4号機も危なく、風評被害というには無理があるでしょう。そしてそこに付け加えて放送するべきことは上と同じです。

エンディングでは、風評被害を乗り越えて、とやっていましたが、なぜ風評被害という名の東電被害を乗り越えなければならないかというと、東電の賠償金節約の為なのです。
週末に行って来たら良いのではないでしょうか、というキャスター陣は忘れているか、そういう視点を意図的に無視していると思います。

10月18日の報ステでは復興予算がとんでもない所に使われているというのの続報をやっていましたが、防衛省にも使われていて、その予算の入った組織は被災地に行っているのか、ときかれて細かいことは応えられない、と防衛大臣がこたえていましたけど、このようなことが機密に当るはずもなく、屁理屈にもなっていません。任命したほうの見識が問われるのではないでしょうか。

このVTRの後に三浦コメンテーターが、不必要なものもあるがそれそれ個別に見ていって、小学校の耐震工事のような必要なものはより分けるべきだ、といっていましたけど、被災地の小学校ならまだしも、普通の学校の耐震工事が復興増税で賄われるのが適当とは思えません。
どうしても政府にフォローを入れないと、落ち着かないような感覚になってしまっているのではないでしょうか。

パチンコの献金の話も出てきましたけど、いつまでたっても廃止できないのは、このように甘い汁の循環に組み込まれているからでしょう。

沖縄の米軍の事件はやはり、防衛相の「事件」という言葉が考えられないもので、責任を取って辞職させないほうも感覚がおかしくなっているといえるでしょう。
そして米軍は全兵士にはじめて夜間外出禁止令を出しましたが、これをやって困るのは飲食店などであり、反省を装った脅しといえるでしょう。誠の欠片も感じません。文化ではない国家の、アメリカらしいですが。当然、実際にやるべきは地位協定の改正です。

そしてそれは政治家が必ずいうべき事で、それが無いのが無残な状態です。

10月20日の素粒子など、甘いのではないかといった論調も多いですが、午後11時に外出禁止で9時から飲みに行く気になるわけも無く、経済的な視点から考えるべきだと思います。

駅内アートがわいせつだとかそうじゃないと話題になっていますけど、こういうのを観て感じるのは、やはり伝統と切れてしまった日本の美術の貧しさで、そういった基盤が共有されていないからこういう場に出して大向こうを納得させられるものができないのではないでしょうか。
先人が磨き上げた美意識を体得して、そこに創造的な破壊を加えてもらいたいと思います。

たとえば「奇想」ブームにしても、色々な作家の作品が伝統的美意識からいかにずれているか、という所に焦点を当てたブームで、そういう事をやっているうちに、風土の中で磨き上げられた大切な核心を失ってしまったのではないでしょうか。

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