結構良さそうな画家の様な気がして、行って参りました。
この頃のロシアの文化は、文学ならトルストイ、音楽家では五人組、といった所の華やかな時代で、画家ではこのレーピンが代表であるとのこと。
最初の「自画像」には、奥の方からじっと見詰めるものを感じます。
レンブンラントの影響の強い人で、明暗表現に特徴があるのですが、「祈るユダヤ人」ですとか、すぅっと吸い込ませるような深みがあり、レンブラントより、より抑えた土俗的な要素を感じさせます。
途中で印象派の影響も受けたらしく「あぜ道にて―畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち」はモネ風ですが、描写はより堅実で培ってきたものを感じさせます。
「今や私の審判は農民たちです。だから彼らの関心事を描くことが肝要です」というレーピンの言葉が張られていて、ミレー的な要素も濃い人です。ロシアの過酷な農奴制からの繋がりが生んだ画家でもあります。
「ヴォルガの船曳」はそういった暗い色調の労働絵で、今回は習作だけ来ていましたが、参考図版のロシア美術館にあるという完成品が素晴らしく、より明るくなった画面の中の力強さ、一人一人の個性の描き出しが見事です。
「浅瀬を渡る船曳き」もそういった方向性の凄絶さを感じさせる絵。
他にもいくつかロシア美術館の作品が写真で展示されていましたが、そちらに真髄が多く眠っているようで、回顧展としては残念な所。
「夕べの宴」も酒場での労働者の群像絵で、人生を感じさせる一人一人の描き分けが見事。
日本で言えば長谷川雪胆とか広重が背景の群像の描き分けが上手いですが、こちらはロシア的な哀感が基調になっているのが大きな特徴です。
この絵を、トルストイは高く評価して、友達で展覧会の絵を捧げられた有名な評論家だったスターソフは評価しなかったとのこと。
「修道女」は弟の妻がモデルで、下に同じモデルの舞踏会用の衣装を着た姿が描かれているとのこと。
「作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像」はアルコール中毒だった本人を忠実に捉えていて、眼は泳いでいます。
レーピンはトルストイを、天才は日常生活が破綻しているような人が多いがその点立派だ、とほめていたそうですけど、ムソルグスキー辺りが念頭にあるのでしょう。
同時代にもそういう人は多いそうですが、政治的な絵もそれなりに描いた人らしく「思いがけなく」はアレクサンドル二世の暗殺を肯定するようなほのめかしが描かれているとのこと。
良い画家で深みのある作品も多かったのですが、通覧してみると、沢山の肖像画を初めオーソドックスなものが多く、創造的な構図・手法にやや欠けていたかな、という印象はあります。
とはいえ当時のロシアの雰囲気もなかなか面白かったです。ありがとうございました。
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