戸栗美術館 古九谷名品展~躍動する色絵磁器~ その5

#その他芸術、アート

竜王戦の第五局はやはり渡辺竜王の1九角成周辺の終盤の構想が見事だったでしょう。全局振り返ると丸山九段の手で面白味があったものがあまりなく、やはり意外と記憶に残る手が無いと勝てないものだったりするんですよね。奨励会員の研究手だともいいますけど、対谷川戦の名人戦の4五桂ですとか、丸山九段も調子の良いときは決断の良い面白い手が出るんですけどね。

1、2局で圧倒して、3、5局は終盤で競り勝って、まぁ、全体的に強かったな、としかいいようが無いでしょう。

11月30日のワイドスクランブルでは脱原発派の市民の声を流した後、維持派の声を「慎重派」として紹介。これだけ地震が頻発していて核のゴミも行き場が無い状態で、維持派が慎重派であるというのはおかしいと思います。そういう印象操作に最近は精を出している印象です。
同日の天声人語の新しいものに飛びつく云々も文脈が非常にぼけていますが、そういったことなのでしょう。新しいものといったら再生可能エネ(とそれの周縁に広がる政策)でしょうからね。新党の可能性もありますけど、それでもおかしなことになるでしょう。

例えば仏教ではすぐに新しいものに飛びついてはいけない、という教えがあるのですが、同時に古いものを尊んではならない、という教えがあるんですよね。それは教理が矛盾しているわけではなくて、新しいものと古いものの真ん中を自分の言葉で説くことが仏教であるということです。
そういった視点で観た時に、ぼやけている上に偏っている文章だなぁ、と感じました。

加えて似たようなことを古典から探してくると無為自然があります。これは当然何もしないという意味ではなく、無理なことをしないということで、運動量の話ではなく運動の質の話である、という所がひとつの大きなポイントです。
そして老子では無為ではないものとして爪先立ちが挙げられています。(講談社学術文庫版 81ページ)
爪先立ちとは何か、というと、今だけで長くは続かないものの喩えであって、これは核のゴミの行き場がなく、事故を起こして子孫に負債を残しかねない原発が当てはまります。
更にまったく破綻している再処理施設はきわめて不自然な存在で、有為の極みといえるでしょう。

また老荘の後継思想といわれる禅には真空妙有という言葉があります。無の本質は有の極限であるということですが、これを老子に当てはめると無為とは有為の極限である、とも理解できるでしょう。老子にも「「道」はからっぽで何の役にもたたないようであるが、その働きは無尽であ」るとあります。(25ページ)

こういった「有為」を選択肢から削っていくと、自然に将来に向かって大きな資産になりうる再生可能エネルギーに傾注するのが残された選択肢になります。これに「有為の極限」として常に先手を打って臨むのが、古典の正しい理解から来る現代への応用と言えるのではないでしょうか。

11月30日の大竹さんのラジオでは小沢が出ていて公務員制度改革を訴えていましたが、天下り禁止のマニフェストが破られたのは鳩山政権下で小沢は十分に影響力を持っていたはずです。

民主が野党だったときに、自民党を責めるに際して「絶対やれない事をいえ、天下りが良い」と小沢が言ったという報ステの報道がありましたけど、これが本当なら、公務員制度改革を選挙の武器として捉えていたことになり、純粋に政治家として出てきた政策ではなかったということになります。後の行動もそこから外れないもので、そこに政権下で政策が歪んでいく原因が胚胎していたといえます。

今回も同じ事をラジオで繰り返しているのでないかと感じますし、これは日本の政治のここ20年で繰り返されてきたポーズであって、今回の多くの党の党首がいう改革も同じものであるものが多いと考えるのが妥当でしょう。

11月30日の日テレの午後6時15分ごろのニュースでは、今日のトピックである追加公開された東電のテレビ会議の映像が流れましたが、発言者の名前は出ず、かわりに福島第一原子力発電所、などとかかれていて疑問。そして、今まで誰の責任で公開しなかったのか、枝野はなぜ公開しろといわないのか、という追及・疑問は必ず入れるべきです。

都知事選では松沢成文と猪瀬直樹と石原の後継候補が二人でていますけど、松沢氏は新銀行東京の清算を主張しているのが猪瀬との違いで、当たり前の話です。猪瀬は恐らく前任者の責任を糊塗する為に魂を売ったのではないかと思わせる対立で、ますます原子力ムラ・軍部っぽくなってきたと思います。

12月1日のニュースキャスターでは就活特集をやっていて、最後に離職の理由をフリップに並べてみると、長時間労働をさせられる等等、要するにブラック企業だったということです。
齋藤孝さんは、どこかで妥協しなければ、というようなことをいっていましたけど、せっかく社会に訴えられるテレビに出ているのですから、こういった使い捨てる傾向が濃い社会側のことも言って欲しかったと思います。ネットでそういった噂が血眼になって調べられている一方で、テレビではそちら側に言及されることが少ないんですよね。

渡辺えりさんは最後に安住さんに振られた時に、部隊舞台名を叫べればよかったんですけど、あたふたして終わってしまいましたね(^_^;)

12月2日にはトンネルの崩落がありましたけど、水による腐食が原因として挙げられています。西岡常一棟梁は良くコンクリや鉄の弱さ・劣化についてついて言っていて、檜の優位性を説いていまいしたけど、日本の国土の特徴からいうと更にそういった違いが増幅される所があるのでしょう。コンクリや鉄の耐用年数というのは、かなり少ない感じで考えるのが妥当みたいです。

ご自身、伝統建築の再建で当時はなかったコンクリや鉄骨を強要されそうになったそうですが、それでは持たないのだ、といっていました。棟梁が指摘したそういった材料の脆さへの認識の甘さが招いた事故ともいえるでしょう。

せっかく水があるのはとても良い事ですので、それを生かすような工業のあり方にしたいですし、それは原発も同じことです。

次の日のモーニングバードでの良純のなぜ通気孔のコンクリがあんなに重いのか、という質問に対する専門家の答えが面白く、当時は剛構造の設計思想が流行っていてコンクリを厚くして強度を得るという考え方で、軽くて丈夫な素材を使うという考え方はなかった、とのこと。重厚長大な昭和の思想のつけがきているといえるわけで、そういう面でも原発と共通点があります。

当日のフジのMr.サンデーは高度成長期の粗製濫造を問題にしていました。次の日のモーニングバードの青木さんは高度成長期の濫造を指摘。
また、9月に構造の点検をしていたといいますが、結果的に手抜きだったということになるでしょう。目視ではわかりませんよね。道路などを造るだけ造ってメンテナンスが追いついていないのが一つの本質ともいえます。

道路を掘り返してはまた造ってということを繰り返していたりするわけですが、一方で電柱地中化など市民の望む土木工事は行われません。
広域処理の過程などをみてもわかりますけど、(官僚に)お金を落としたい特定の団体があって、電柱地中化などはそういったところに落ちないのでしょう。地元にはお金が流れると思うのですが、そういったところにはまったく回す気が無いのもそっくりでしょう。
そしてまた、国土強靭化でその愚を繰り返そうとしているのだと思います。

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