太田記念美術館 新春浮世絵展 その4

#その他芸術、アート

行って参りました。

広重の肉筆画の名品である「隅田川の雪・飛鳥山の花・品川の月」は特有のもやっとした表現で、大気の中にたち顕れる名勝の味わいが抜群。
北斎の「神奈川沖浪裏」は汚れと判別しかねますが、背後の雲の表現が洋風っぽいなと思ったのですが、ぐぐって真っ先に出てくる一般的な刷りとは違う感じで、もしくは劣化したのですかね?

英泉・国貞・国芳の合作である「宝船」は競い合うように溢れる躍動感とおめでたさが最高。分かりやすい名品で、一目で本物の画技だと分かります。

大島さんを最初にみた時も、他の分野の分かりやすい名品と同じものを感じたんですよね。

フェノロサは高い鑑定力を誇ったらしく、その伝記ドラマの「日本ノ宝、見ツケマシタ」で狩野元信 『白衣観音像』を見出した所で、衣紋の筆勢に注目して鑑定していましたけど、分かりやすい本物の基準だと思います。
この番組は、岡倉天心がまったく出てこないフェノロサの伝記として視点が出色だったと思います。

窪俊満の「猿曳きと万歳」は猿と人が対称になって、対等に踊っている図で微笑ましくて日本らしい感覚です。現代の猿回しはしつけるまでにかなり陰惨な事をすることで知られていて、最近猿回しに就職した女性がそういうのはいやだといって自然に育てているというのが話題になりましたが、ああいうのは本当に伝統なんでしょうかね。そういう感覚からはこういうほのぼのとした絵は生まれてこないように思うのですが。

広重の「州崎雪ノ朝」は場面を瞬間冷凍したような趣があり「江都名所 かすみかせき」は空が高く「江戸 浅草市」は雲・雪・人が一つづりに描かれていて天地人の営みを感じさせます。

「木曽路之山川」は広重の晩年の代表作とのことで、画面全体に山の雪渓が張り出していて、広重の作品で一番迫力のあるものといって良いでしょう。以降の展開を感じさせます。コレラで惜しくも60代でなくなってしまいましたが、後の画業の展開を思うと本当に惜しかったと思います。

広重は日本史上でもっとも海外に影響力があった人の一人なのに、研究の層が微妙で、最近まで使われていた安藤広重という名は実際使われていなかったそうで、研究者が否定していて、最近やっとあまりみなくなりました。一立齋が研究者のお勧めの号らしく、最近テレビで立斎といっているのをはじめて聞きました。

またウィキペディアを引用すると、「辞世の句は、
東路(あづまぢ)に筆をのこして旅の空 西のみくにの名所を見む
であるというが、「後の広重の作ではないか」とする見解もある。」
らしく、実際は西のほうにも行かないで描いたらしい(という説がある)のに、時世の句に行ったとするのは嘘をついているのかなぁ、とも思ったのですが、後世の作なら納得がいきます。

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