太田記念美術館 江戸っ子味めぐり その2

#その他芸術、アート

行って参りました。

展覧会に都合よく「最も好きな外国料理は“日本料理” ジェトロが世界7カ国・地域の意識調査公表―中国報道」(http://news.livedoor.com/article/detail/7475441/)というニュースが。
日本食は実に優れているので、こういった国際的な評価には慣れっこになっている面もありますが、やはり喜ばしいことです。

その形がほとんど出来上がったのは江戸時代で、調べれば調べるほど偉大な創造の多くに感嘆せざるを得ません。

この展覧会や料理に重点を置いた江戸時代の食品を解説した本ではあまり出てこないのですが、品種改良にかけるエネルギーや智慧も物凄かったらしく、「野菜については。当時の西洋とくらべると、品種、品質ともに日本のほうが数段すぐれている。」(江戸の園芸 180ページ)といえる状態になっていたとのこと。

前にも引用した「例えば江戸時代展という重厚な展覧会が企画されるとすれば、世界じゅうを圧倒するに違いない。”文明開化”のはずの明治は、とても明治展として世界のひとびとに見てもらえる内容をもつことができない」(以下、無用のことながら 司馬遼太郎 185ページ)という事実は日本人が良く知っておくべきだといえるでしょう。ただ、氏は食への関心はゼロでした。

歌川国次の「桜下遊宴図」は男女がフラットな感じで宴会をしているのが華やかな図。

歌川芳幾の「弥次郎兵衛 喜多八」は二人のキャラクターがとても立っていて、上手く作ったなぁ、と思わせるもの。弥次郎兵衛は変換できた方が良いですよねぇ。

広重の「鯛 海老 鰹」は海老の触覚に琳派的な気品が。

喜多川歌麿「春興七福遊 七草」は七草の風景で「唐土の鳥が日本の国に渡らぬうちに……」などといいながら調理するそうですが、現代の医学知識からいうとインフルエンザを連想してしまうのですが、ぐぐってみてもやはりその意味みたいですね。

歌川国貞の「東都両国橋川開繁栄図」は女性ばかりが舟で遊んでいる図で、今でいうはとバス観光みたいなものだったんですかね?

渓斎英泉の「江戸八景 日本橋の晴嵐」は売り子の天秤にはマグロらしきものが乗っていて、当時はまるで人気が無くて滅茶苦茶安い魚だったのだそう。そのせいか他の海産物と違って絵でも余りみかけないんですよね。
赤身魚が好かれていなかったとも、油が嫌われていたとも、保存が利かなかったとも。

どうも大量に獲れすぎていたというのが「江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓」((講談社選書メチエ) 大久保 洋子 (著))に書いてある理由で、油をおいしいと感じるのは西洋の価値観が入って来てからだともいわれますが、秋には「油がのった食材」(江戸めしのスゝメ (メディアファクトリー新書)永山久夫 (著) 127ページ)を食べなければならないと考えていたようで、例としてさばやさんまが挙げられています。天ぷらもありますし、それはないのではないかと思います。

司馬遼太郎さんが日本には演説はなかった。明治になるまで日本人は不特定多数の前で自分の意見を述べられなかった、ということをいっていましたけど、それに類する実情とはまったく異なる説なのではないでしょうか。

ただ確かに油が無い方が上品だとは思われていたよう。現代でも西洋では赤身の肉が好まれるといいますが、あちらにももしかしたら上品な場では油を嫌う傾向があるのかもしれません。(予想)

広重の「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図」は物売りが並んでいるだけではなく、左端には完成度が高い蛸の着ぐるみを着た人がおり、当時の立食文化や月見文化が窺えて、情報量の多い大作。右から水菓子(果物)、握り鮨、冷や水売り、いか焼き、天ぷら、蕎麦、団子、汁粉屋、と並んでいるらしく、鮨、天ぷら、蕎麦が江戸時代の発明でしょう。冷水も砂糖を使うのは江戸時代ならではといえます。

砂糖系では練り羊羹は江戸時代の発明。佃煮も同じく。

「江戸っ子は何を食べていたか」には天ぷらは「天竺浪人(住所不定の浪人)がフラリとやってきて始めたものだから」(88ページ)ということで付けられたという説が紹介されていて、こちらの方がポルトガル語のテンペラ説より自然なような気がします。後者はエキゾチックな説で人口に膾炙したのでしょうけど、どうなのでしょう。

本によると、そばのそば切りという言い方はうどんを麦切りと言っていたのに対応しているとのこと。その汁のうまみのもととなっている鰹節も江戸時代の発明です。

この絵は「江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓 (講談社選書メチエ) 大久保 洋子 (著)」の37ページや「全集 日本の歴史 別巻 日本文化の原型  青木 美智男 (著) 」でも取り上げられていて、専門家からみても食文化の資料として興味深い浮世絵であるもよう。

歌川国貞の「見立源氏 はなの宴」では刺身を食べていますけど、つけているのは濃い口醤油でしょう。これも江戸時代の発明。

大豆食品では味噌は「庶民は近代まで自家製の味噌を食べた。(中略)武家も作った。」(江戸歌舞伎役者の“食乱”日記 (新潮新書) 赤坂 治績 (著) 10ページ)という記述を見かける一方、「長屋暮らしの人達は(中略)買っていた」(「江戸っ子は何を食べていたか 」(プレイブックス・インテリジェンス) 大久保 洋子 (監修)51ページ)らしく、長屋暮らしは庶民の中でも例外とするのが正しいのでしょうか。

広重の「浄るりまち繁花の図 髪結店」は髪結店の店先に屋台がひしめいているを描いたもの。うなぎの蒲焼を売っていて、これも江戸期の発明。

国貞の「二五五四好今様美人 うなぎ好き」は、うなぎのぼりにのぼせておいてすゑにさくとは実がない、という歌が添えられていて、古くから良くある話を上手くうなぎの調理法に即して歌にしています。

広重の「名所江戸百景 びくにはし雪中」は山くじらの看板が掲げられている絵で、当時の食べられる獣肉の種類は現代より豊富であるとも言われています。

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