太田記念美術館 江戸っ子味めぐり その3

#その他芸術、アート

国貞の「江戸名所百人美女 長命寺」は蛸足をつまみに熱燗を飲む女性が描かれていて、小粋であるといえるでしょう。

居酒屋は江戸時代に誕生したらしく、今でも特殊な日本独自の居酒屋文化の源流になっています。
これは海外でも面白がられるとききますし、これがなければ東方Projectは無かったといって良いでしょう。

国貞の「今世斗計十二時 辰ノ刻」は朝の7時~9時ごろのことで、寝起きの女性が煙草をふかしてくつろいでいる一方、右上のコマでは夫と思われる男性が必死に炊事をしている姿が。

添えられている歌は、朝床に煙草のけぶりふかしつつ長屋のいぶせきかかあ大将。「江戸の町方では男性に比べて女性が少なく、長屋住まいにはかかあ天下が多く男性が炊事をすることも珍しくなかったようです。」との解説。

「江戸っ子は何を食べていたか」には「女たちは晩の食事の準備となる。」(23ページ)といった感じで分業が書かれていますけど、明治の延長として江戸を見た専業主婦史観に陥っていると思います。この分野の権威の大久保洋子さんが監修されていますけど、文体の違いなどから、どうも名前だけ貸したに近い監修の模様。出版社が色々な本の情報を総合したもののようです。

「庶民の生活、ことに日常の食卓を記録したものとなるとなかなか見当たらない。」(28ページ)とも。

国貞の「今世斗計十二時 巳ノ刻」には漬物のぬか漬けと沢庵漬けが出ていて、これも江戸時代の発明。「江戸っ子は何を食べていたか」にはぬか漬けは江戸の白米を食べる文化とともに発生したと書いており、なるほどと思いました。

漬物系では、梅干は武士の食料として貴重だったという本の話も面白く、偕楽園が梅ばかりなのも合点がいきます。

「漆器が(中略)町人まで普及したのは江戸時代中期以降である。」(42ページ)という記述もありますが、もっと昔から庶民が使っていたというような記述をどこかで読んだ事があるなと思ってぐぐってみると、室町時代から庶民に使われていたという事を書いているサイトがありました。(http://kuroe.soc.or.jp/kuroe/sikki1.html

国貞の「当時高名会席つくし 中橋 ほう月あん」は有名料亭と芸者をセットで描いたシリーズらしく、芸者さんがいなせで格好よいです。

国貞の「今世斗計十二時 寅ノ刻」によると、午前四時だが屋台で蕎麦が食べられたらしい。

豊国の「三座歌舞伎つづき絵」のボックス席に位置には女性の集団が。

広重の「江戸高名会亭盡 八百善」は眺望も良さそうな有名料亭の絵。太田南畝の「詩は五山役者は杜若傾はかの芸者はおかつ料理八百善」という歌が解説についていますが、以前は升屋という深川の料亭が評判高かったのだそうですが、津波で流されてしまい、八百善の天下になったとのこと。(「江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓」169ページ))

四代歌川国政の「志ん板猫のそばや」は猫尽くしの絵ですが、それにしても国政は四代もいたんですね。

広重の「京都名所之内 四条河原夕涼」は名作。高台からみた夜の納涼風景のパノラマ感が素晴らしいです。非常に灯りが多いのわかります。「江戸っ子は何を食べていたか」によると、当時の人の日記を読むと夜の11時過ぎまで起きていたりするらしく、そのために一日三食になったとのこと。

菱川師宣の「和国諸食絵つくし」には現代では使われなくなったまな箸が使われています。

北尾重政の「絵本吾妻袂」では恵比寿講の様子をやっていて、かなり豪華に祀られています。商業の神様で、神無月に皆が出雲に行ってもこの神様だけは残っているらしく、そのときに行われるとのこと。

「江戸名所図会」では上方からの酒が運ばれてくるさまを描いていて、いわゆる富士見酒が着く風景。これは船旅で撹拌され吉野杉の香りが移って美味しくなるらしく、高級品として消費されたとのこと。

現在の日本酒を作る技術が確立したのも江戸時代であるとのこと。板海苔の生産風景も描かれていて、これも江戸時代の発明です。

現代でも非常に生かされている伝統のひとつである日本食の大発展期を絵という事実に(近いものに)即して振り返られる機会でした。ありがとうございました。

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