レスリングなどオリンピックで開く競技を決めるIOC理事会が開かれていて、そもそもなんで削ら無ければならないのかぐぐって調べてみたのですけど、どうも興行的にお金にならないものは採用しないということみたいですね。
それでは内容的に深いものがあっても、地味なものは削られざるを得ないでしょう。スポンサーは引く手数多でしょうから、必要な種目については少々お金がかかっても負担させるべきです。
もちろん改善するべきところはするべきなのですが、行き過ぎていますし、なんといっても疑問なのは癒着と利権の匂いが濃厚にすることです。
インドのマイナーな競技でも何でもやるお祭りの大らかさが懐かしく、そもそも祭というのはそういうものでしょう。オリンピックも祭りが原点であるならば、祭典としての楽しさを忘れてはなりません。奉納するかのような謙虚さと清らかさが必要なのです。
とりあえずは、おそらくは新自由主義的なグローバリズムの影響がこのようなところにも現れているのだなと確認。そしてそれを煽っているのは、どうもヨーロッパ貴族に代表される既得権層であるのも示唆的でしょう。
5月29日の報ステでも松岡さんが中継していて、古舘さんは、ヨーロッパの貴族が上から目線で選別するのはどうか、といっていましたけど、まさにその通りで、やっぱりなにかおかしなものを感じますよね。
(いうなれば家畜を)必死で競わせて自分たちは涼しい顔で閲している、という感じですよね。
選ぶ委員が圧倒的に人口が多いアジアで3人というのは非常におかしいですし、もっと言えばオリンピックという名前も将来的に変えた方が良いと思います。こういった状況を作り出している根っこになっている名前だと思うんですよね。
メディアでIOC批判がタヴーになっているのではないか、ともいわれていますけど、古舘さんも色々裏側を垣間見ながら容易に批判できない歯がゆさを感じていて、それが上のコメントに現れているのかもしれませんね。
中国包囲網がどうとかってやっていますけど、包囲してどうしようというのでしょうか。相手は隣国です。戦前も似たような間違いを犯したのではないでしょうか。
仮に包囲するにしても、包囲しているのが分かるように包囲するのはへぼ外交だと思います。間合いを計ると計られて無用な緊張関係を生みますからね。
もし包囲ということがありえるのであれば、それは自然な外交の中で自然に築かれる信頼に一番に拠るべきなのです。
火曜曲は郷さんの脇で白目を出している大島さんがかわいらしかったと思います!
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