5月30日の朝日新聞の高橋源一郎さんの論壇時評は慰安婦問題について私も以前引用した((http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53551390.html)
「日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと~「慰安婦」問題の理解のために」
(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130525-00025178/))江川紹子さんの大沼保昭さんへのインタヴューを大きく取り上げているのですが、その中で強調されているメディアの報道への疑問は取り上げられず。メディアの中枢中の中枢でこの文章を取り上げるのですから、その問題意識は共有されてしかるべきだと思います。
このコラムは読みますけど、メディア自身も始め問題山積の中で、当たり障りのない事をぼやっと書いている印象。震災後の本来ならメディア自身を強く振り返らねばならないときに、このような書き手は通り過ぎたい人達にとってありがたいのだな、と感じます。
この連載をこれだけ長く続けているのは異例だ、と以前紹介されていましたが、むしろそれは恥ずかしいことなのではないでしょうか。
その横の濱野智史さんのメディア論は平たく言ってツイッターなどは暴走しやすいので「自己の「反省」を促しくれる新たなメディア」が必要であると書かれていますが、結局は何をもって反省の材料としての基準にするか、といったことや、都合の悪い情報は切り捨ててしまうのではないか、といったことを鑑みると、難しいのではないかと思います。
政治家、もしくは一般人が発言の範疇として守るべき基本をまとめたような本を作って共有できれば、こういう炎上が減ることもあるかと思いますが、それとて根本的な解決にはならないと思います。
そういったところを補うには、結局はどこまでいっても、自己の論理力と感覚を鍛えていくしかないのではと思います。
そういった反省は異なるメディア間で行われるのが一つの形であって、インターネットには大手メディアが振り返るべき指摘がたくさん書かれていますが、大手メディアは都合の悪い情報として切り捨てているように思います。まずはそのことを指摘するべきではないでしょうか。
たとえば、この直前の朝日新聞の一面である、甲状腺被曝はチェルノブイリの30分の一である、という記事も極めて根拠があいまいなものを大々的に扱っており、その後ろには広告費や飲み会、旅行、広告会社経由のキャンペーン、記者クラブを通じた政府との癒着などが指摘できます。そういったときに専門家が余りにどうでも良い事を話しているような気がしてならないのです。
「ヤマダ電機、中国・天津から撤退 南京に続き販売不振で」(http://www.asahi.com/business/update/0606/TKY201306060436.html?ref=reca)や中国で自動車販売がドイツ車に抜かれたという記事もありましたが、どちらも石原や野田の責任にはまったく触れません。実にとばっちりを受けてしまったなと思います。
国対国は政治家個人の能力によって大きく変わってしまうことの実例といえます。
「与那国島の小1が詩を朗読 沖縄全戦没者追悼式 」(http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2302M_T20C13A6CC1000/)はニュース9や天声人語をはじめ、大きく取り上げられましたが、これを聞いて沖縄について何かをしたような気分になっては逆効果でしょう。求められるのはあくまで大人の具体的な行動である、ことを肝に銘じて聞かなければなりません。
そういったときにメディアはオスプレイは国防のため、という詭弁を押し通しましたし、県外移設を唱えた鳩山政権を徹底的に叩き、何も解決していないのに以降の政権についてこの問題に対して無かったかのように振舞いました。この詩に共感する資格があるのかと思うのです。
「ヒロイン吉高由里子「役に食らい付く」=来春スタートの朝ドラ「花子とアン」」(http://www.jiji.com/jc/c?g=etm_30&k=2013062500720)は吉高さんがどうこうというのは別として、やはり朝ドラは新人の登竜門であるべきだと思います。
新人を育てるというのは、時間がかかる上に外れるかも知れずリスクがあります。ただそのリスクを負わなかったしわ寄せは演劇界全体に来るのであって、有望な女優が日の目を見なかったり、育てられる機会を失うことにつながります。
そしてNHKは本来そういった公益的な部分を担わなければいけない存在なのです。
新自由主義的な社会傾向が強まってくるにつれて、そういった持つべき余裕が社会から失われていることがNHKにも来ているのでしょうが、市民のお金を直接徴収して運営しているNHKがこのような状況に陥るというのはあってはならないと思います。本当は公共の電波を使っている他局も同様なのですが。
6月8日の朝日新聞の私の視点では日本体育大学名誉教授の森川貞夫さんの文章がのっていますが、体罰と勝利至上主義を一直線に結びつける内容で、このような認識が一番危険だと思います。
6月27日のモーニングバードでは電気事業法改正案の廃案のニュースで、民主党が協力野党か抵抗野党かのどちらになるか、ということをやっていましたけど、どちらも政局本位の考え方であって、政策を軸に意思表示をしない限り、民主党は人っ子一人いなくなるまで没落が続くだろうと思います。
スタジオの解説では、ねじれで国民のための法案が通らないという視点を強調。法案が理想的ならその通りだが、そうではないのではないか、という玉川さんの突っ込みが入っていました。
ここでねじれをマイナスとして強調するのは、参院選での一本化へ向けた露骨な誘導であって、自民党→電通→大手メディアというつながりもみえて来るのではないでしょうか。
そもそも総研は好特集。節電目標が課されいるにもかかわらず、農地に置いていた太陽光発電を撤去させられたり、農地の合間にある風力発電を平成21年以降に石破農林水産大臣(当時)のもとでの改正で増設できなくなったとのこと。元々は大型スーパーを規制した政策だったのだそうですが、いまは再エネを普及させない足かせになっています。
今回は取り上げられませんでしたけど、これに加えて接続の問題もあります。
農林水産省はインタヴューに応じないらしく、その上で管轄できそうな、エネルギー・環境ワーキング・グループの安念潤司委員にインタヴュー。
おっ、久方ぶりに懐かしい原子力ムラの人の名前が出てきたな、と思って話を聞いていると、こういった改革は根底であってフィロソフィー(哲学)に関わる、と極めてやる気のない反応。寺島ロジックと同じでいかにも大きな事を言っているんだぞ、という感じで曖昧模糊たる話をして、既得権益を守る方向に議論を持っていこうとする所が共通しています。
動画をみれば分かりますけど、動きがそもそも実に挙動不審で、これはだめだなというのが、音声を消しても誰の眼にも分かるレヴェル。
爆発的に情報量が増えた現代では情報を省く技術が非常に重要だと言われていますが、こういった人の態度なりというのをしっかりみていくことは、極めて有効で非常に信頼できるその手段であって、各人が鍛え上げなければいけない部分だと思います。私も精進をして、そういったことについて情報を発信していく心構えですので、参考にしていただけたら幸いです。
このインタヴューによると、閣議で全会一致しなければ変えられない。常任理事国と同じで各省が拒否権を持っている、とのことですけど、これでは政治主導になりようがありません。
現状でも変えようと思えばある程度できるはずで、実際に霞ヶ関の人事などを現政権は主導しているといわれています。指導力不足も指摘できますが、首相の権限をさらに強くしないと、将来やる気がある政権が出てきても仕事をしづらいでしょうね。
最期は結局は原発政策と関連している、ということで、根本、根本、という言葉がスタジオで番組後半に飛び交いましたが、結局は首相次第ということですよね。ここでは出ませんでしたが。
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