サントリー美術館 「もののあはれ」と日本の美 第八展示期間 その16

#その他芸術、アート

知恵泉の松平伊豆守信綱の回の後編は明暦の大火。この火災に信綱がここまで関わっていたというのは知らなかったです。

大奥の人たちを避難させるために、とっさに畳を裏返して避難路を示した、とのこと。

また、江戸の食糧が全部焼けて足りなくなったので、参勤交代をやめてみな国元に帰ってよいといったとのこと。紀州藩から強い抗議が来たが、会議をしていては間に合わない、自分だけが責任を取るつもりで実行した、という信綱の言葉に逆に紀州公は手を打って感嘆したとのこと。

山本博文さんは、先例主義の江戸幕府では異例のこと、といっていましたけど、幕府も始まって間もないくらいの時分ではあるので、こういうこともできたでしょう。
それに、幕閣は意外と政策の独創的な判断が多いんですよね。

山本博文さんはタイムスクープハンターの監修なども良く務められていますけど、これもかなり江戸期暗黒時代説的に作られていて、過去を振り返る歴史ものに期待される、そこから引き出せる好判断や教訓がほとんど出てこないのが、かなり異様だと思います。

本なんかも読んでいても、かなりこういった江戸時代像の更新が遅れている人なんですよね。

伊豆守はさらに旗本にお金を配って、江戸に米を集めさせ、食糧難を防ぎ、上野広小路など空間を設けて火災に強い街にし、両国橋などもかけたとのこと。しっかり都市計画がなされて巨大都市に変貌していく江戸の基礎がここで築かれたのだそうです。

江戸城本丸を再建しないで、街の復興に力を注いだ判断も、おそらく伊豆守が関わっているのでしょう。

なんでそんなに知恵が出るのかと問われ、人の話をよく聞いたからだ、といったそうですけど、先天的な知恵ではなく後天的に身につけたと本人は言っているということでしょう。

伝わってきたのは、またここで対処を誤ると、江戸幕府は危なかったな、ということで、再び騒乱の時代に陥ることを防いだという点でこの二つは共通しているでしょう。

秀吉による統一が少し遅れていたら、西洋の勢力に占領される可能性も高かった、といわれていますが、ここでもそういった方向に行く可能性すらあったでしょう。

少し間違えていたら、今頃スペイン人のシエスタの時間が一時間長くなっていたかもしれません。

最後は自分と家康・家光などとの書簡をすべて焼いて臨終。今なら情報を後世に残す意識がない、といわれますが、公儀の安定ということえいえば、一貫した人生であったといえるでしょう。

何か積極的な面だけ見せられて本当なのかな、という感じですが、この通りだったら、日本の礎を築いた偉人ということになるでしょう。

9月25日のモーニングバードではシェールガスの特集をやっていましたけど、これも環境に負荷がかかるので、最大限地熱などを急いだ方が良いと思うんですよね。サボっている、とまで言えるのかは調べないとよくわかりませんが、電力不足を煽った経産省の進め方として非常に遅いのは確かでしょう。

スタジオに戻って萩谷順さんは、原発を含めていろいろなエネルギーをつかっていく、とさりげなく言葉の中に原発を忍び込ませましたが、いったいどのようなメリットがあって原発を使うべきだというのか。原子力ムラは本当にしつこいですし、こういう人を積極的に使っていくテレビ局が実際の本体なのだといえます。

9月27日のスーパーJチャンネルでは萩谷順さんが、申請についての泉田知事の許可について、脱原発を目指す人からは一歩後退に見えるかもしれないが、知事は県民の経済活動も守らなければならない、といっていましたが、福島第一原発周辺の経済は栄えたでしょうか。他人事だと思っているのではないか。そして、地域経済が回らないので原発をやめられないというのは国の無策に他ならないのです。普通はこういったことは踏まえているものですが、とぼけいているのか、本当に知らないのか。

またこの人が原発再稼働を目指すなら、それはそれですが、どのようなメリットを考えて推進するのか、表明するのが最低限です。

また、泉田知事への東電の説明でこの人は納得したのでしょうか。普通の思考であれば、噴飯物であるのは一目瞭然です。

しかしこの広瀬直己社長は目がいっちゃっていて本当におかしいですね。日本を破滅させるためにこれだけの情熱を注ぎこむということは並大抵のことではありません。カルト宗教の信者もびっくりですけど、電力会社にはこのような人たちばかりがごまんといるようですね。

原発推進のネットでの書き込みをみていると、安全神話は崩れ、安いという根拠のない議論も崩れ、石油の輸入量が増えていないことは統計で明らかで、供給も間に合っているので、何も考えないで現に電力料金が上がっている、という言葉を連呼するしかなくなっているんですよね。(何故か間に合っているのに、供給が足りなくなる、というコメントはまだあって、たぶんメディアが連呼していたのが頭にこびりついているのではないかと思います)

事故前から国際比較で日本の電気料金は高かったですが、これは原発をやっているためです。電気料金に含まれないお金はさらに膨大になります。

今になってよく、電力会社がこれだけ払ってください、といっているのをうのみにして、電気料金が上がっていることを客観的な事象のように扱えるな、というのが、感覚として信じがたいところで、電力会社が言うことは常に正しいとまだ思っているのでしょうね?

今推進している人は上のような神話を信じていて、次第に崩された人たちでしょうから、まずは総括が必要といえるでしょう。

電気料金で賠償をわれわれが払っている状態であって、こんどはひそかに積み立てておかなくてはいけなかった廃炉コストまで上乗せしようという議論が進んでいるのですよ。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53666635.html)このURL先ではテロに触れませんでしたけど、あらゆる攻撃から防御するのはまず無理です。ケーブル一つが噛み切られただけで困難なトラブルになりましたよね。

原発を推進している人たちは、海外からの脅威を手引きしているようなものです。まさに売国奴といえまいか。

控えめに言って、ネット右翼と原発推進を兼ねている人は、脳みそがどこかで腐って分裂しているとしか思えません。

ちなみにこの眼前で起こっていることは事実である、なので正しい、といったロジックは、かつての大戦で西田幾多郎が戦地に自らの学問を学ぶものを戦地に送り出した際のロジックです。天皇がいて戦争が起こっているのは事実である。だから肯定しろと。(市川白弦著作集)

仏教というのは、事実と形而上のことは分けます。例えば日々是好日というのは、良い時も悪い時も、その中で積極的に生きていこう、という意味です。しかし間違える人がいて、日々是好日だから何があっても良い日なのだ、という解釈をしてしまうと一気に外道に落ちます。楽観主義的な対処をして誤る。さらに酷くなると、どんな悲劇が起こってもニコニコしているような人までいます。

日々が好日である、というのは、あくまで思想上のものとして受け取られるべきなのです。これは絶対に踏み外してはいけない仏教の基本です。(現代では専門のお坊さんでもここを間違えている人がい多い)

西田幾多郎のここでの誤りは、こういった基本的な間違えであるといえます。
司馬遼太郎さんは西田幾多郎を鈴木大拙の弟子格ぐらいの人、といっていますが、それくらいの評価が妥当ではないかと私も思います。

西田哲学は秋月龍珉さんが推しますけど、仏教そのものに特に付け加えるものがない。
西洋で講義しても理解されなかった、とその難解さを半ば誇るような形で語られたりしますが、文法も西洋哲学のそれに法っておらず、理解されないのは当然だと思います。仏教は人の感覚、今でいう身体性を扱うものですから、普通の西洋哲学では記述できない。むしろ積極的に排除される要件なんですよね。

起こっているから事実である、なので正しい、という意味不明の思考停止のロジックが、かつての大戦、そして現代の原子力ムラに観られることは興味深い事実といえるでしょう。

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