「宇多田ヒカル悲痛、無言の対面…涙こらえ最後の別れ」(http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130828/ent13082810450003-n1.htm)という一連の事件がありましたけど、ここは夫の照實氏が不倫をしてもめていたはずで、一方からだけコメントが流されるのが納得できません。病院に行きたがらなかった、といっていましたけど、それでも何とかして連れていくのが、当然といえるでしょう。
夫は藤圭子からのもので、社会的に浮上をしたはずで、それで、これでおしまいというのは、釈然としないものがあります。
娘の宇多田ヒカルさんも不安定なところがあるので、上手くバランスを取ってほしいところ。
8月28日の名越康文さんを招いた大沢悠里さんのラジオでは、大沢さんが、海外と比較して日本の言論の自由を讃え、言論の自由だけは守らなければいけない、といっていましたけど、法律的にすぐに罰せられないというだけで、公共の電波で話すと非常にプレッシャーのかかることはいくらでもあります。
そういったものをすべて避けている大沢さんが、このような認識を示す、ということに日本の「言論の自由」を取り巻く、自覚されようとしない病根の根深さを感じます。
8月27日の報ステは、番組最後のコメントが、古舘さんにしてはわずかに滑舌が良くなかったですかね。他にもちらほら珍しく引っかかり気味の所が。やはり休養明けというのはあるのでしょうか。
8月29日の玉川さんのそもそも総研では除染は意味がないのでは、ということをやっていて、現場で除染をされた方の話によると、政府は効果がないのはわかっていたけれども、都市から人がいなくなってしまうので、除染という言葉で魔法をかけたのだ、とのこと。
賠償節約のための嘘であった、と一言でいえます。
除染がいかにも効果があるかのように、社会が思わされてしまったのには、児玉龍彦教授のメディアでの取り上げられ方が関係しているのは否定できないでしょう。児玉教授の除染は本格的なもので、今なされている手抜き除染とは根本的に違うとも聞きますが、それでも最低、児玉教授は国が行っている除染と自らが行っている除染を強く差別化した上で、メディアに登場するべき、もしくは訂正するべきだったのではないでしょうか。
「避難されたい方には避難を応援する。」(内部被爆の真実 38ページ)といわれているように、ご本人の認識に悪いところはありませんが。
チェルノブイリと比較することは原発事故をみる際の基本であって、一日のうちにどこかの局のどこかの番組で一度ぐらいは取り上げられるのが自然だと思うのですが、玉川さんのそもそも総研以外で見ることはありません。
チェルノブイリと比較した汚染図は極めて重要なのですが、そもそも総研がなければ一度もテレビの電波に乗らないで終わった可能性すらあるでしょう。汚染マップそのものですら、最近ではこれ以外の番組で見た記憶がありません。
チェルノブイリ基準では福島も郡山も強制避難区域や避難権利区域相当です。また、葛飾区が避難権利区域相当に入ってしまっていたというのもあって、避難の権利を与えず、やはりお金を節約したのでしょう。浪江町の町長は除染のお金を避難に使ってほしいといっていましたが、当然に東電・政府がしなければいけないことです。起きてしまったのですから、しっかりお金を使って避難するしかないのです。
玉川さんへの質問に復興庁は答えず、100msv以下は健康に害がないとするICRP基準を復興庁が支持しているのだな、と愕然とします。
ICRPの基準は広島長崎のデータを基に作られた基準で、それから今までの間に、低線量被曝でがんなどが増加するという論文がたくさん出ています。
武田鉄矢(の参考にした元ネタ)はおそらく一点張りでICRPの基準以外を無視しているのでしょう。
報ステの特集ですとか、確かに被災地や被災者の方は良く出てくるのですが、こういう風な現状・仕組みに関するレポートはずいぶん足りないな、と改めて思わせます。そもそも総研と比較すると、報ステは被災者に対する至近距離からの傍観者にすぎない、ともいえるかもしれません。
この日の放送はずいぶん評判になっているみたいですね。(http://matome.naver.jp/odai/2137773615543795801?&page=1)
精確に裏を取ってテレビに乗せた玉川さんの苦労は相当なものだったと思います。
次のコーナーでは84歳の女性の太鼓持ちの人を取り上げていて、昔の人は芸を見ていたのだが最近の人は芸のない若い人を好むようになり、太鼓持ちになったとのこと。昔のほうが客筋が良かったような話ですけど、そんなことはなかったと思うんですけどね。
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